アメリカバイソンは新大陸では最大の陸生動物で成長した雄は肩高1.7〜1.8mに達する。雌は肩高1.5mほど。頭が大きく、肩から背中にかけて著しく隆起している。また体の前半部は深い毛に覆われている。そのため後半身が頼りなげに見えるほどだ。アメリカではよくバッファローと呼ばれる(イギリスでは Buffalo はスイギュウを指す)。

1116kg カルガリー博物館所蔵標本、肩高1.8m
1089kg カナダ北西州、V. Radford(1912)
1031kg ユーコン(B. C. 環境局)
1005kg カンサス(1898)、シートンによる
978kg カンサス、Larry Crain
942kg Hugh K. Ferguson、角の長さ44cm
860kg カンサス、Les Hepner、角の長さ49cm
770kg ノースダコタ
(Westward Expansion博物館所蔵標本)
 ニューヨーク自然史博物館の Hall と Kelson(1959)によれば全長が雄は304−380cm(尾は33−91cm)、雌は213−290cm(尾は30−51cm)。
 Elman(1974)によれば体重は合衆国の草原バイソン Plains Bison で650−900kgだが、カナダの森林バイソン Wood Bison ではしばしば1100kgに達するという。彼はカナダの森林バイソンは世界最大の野生ウシであるともいっている。
 しかし草原バイソンが小型化したのは一時絶滅に瀕したせいかもしれない。1885年にはカンサスで体重3100ポンド(1406kg)の記録がある。

 19世紀の半ば、南北戦争の終わり頃には、何百万頭というバイソンが、メキシコからカナダに至る広大な地域に生息していた。それから30年ほどの間に言語道断な乱獲によってほとんど絶滅に瀕してしまった。ウィリアム・ホーナディが1889年に統計を取った時には、バイソンが541頭しか生き残っていなかった。

 メキシコ系インディアンのミッチェル・パブロが1906−1910年に、たいへんな苦労をして約800頭のバイソンを集め、モンタナからカナダの保護地に送った。これをきっかけにアメリカ政府もバイソンの保護に乗り出している(ロバート・フローマン、1966)。
 1912年9月、アメリカの探検家、V. Radford がカナダ北西州のスレーブ湖近くで350頭余りのバイソンを発見した。彼はカナダ政府の許可を得て、1頭のバイソンを撃ち、その毛皮と骨を持ち帰った (NYTimes)。

 ウッドバイソンはユーコンからアルバータまでのカナダ西部に分布する。草原バイソンより大型であるといわれることが多い。

 カナダのアルバータから北西州にまたがる44800平方キロの広野は1922年に Wood Buffalo National Park に指定され、その3年後には7000頭の草原バイソンが移入された(この頃にはアメリカでもバイソンの数は増えつつあった)。一方、これによってウッドバイソンとの混血が進行していた。
 '60年代にはこの公園のバイソンは15000頭に増えていた。しかしながら、伝染病の流行により下降に転じた。1995年には2500頭にまで落ちている。
 1965年、純血のウッドバイソンで感染もしていなかった23頭がエルク島に送られ、こちらは順調に増えているという(Wood Buffalo National Park)。
 1998年の統計では、カナダでは健康なバイソンは6つの群があり、約2600頭。他に感染の可能性がある約2300頭が Wood Buffalo National Park 内や周辺に棲んでいる。他に私有の放牧地などで飼われてるウッドバイソンが1500頭前後いる(ブリティッシュコロンビア環境局、2002)。

 一時はほとんど絶滅したアメリカバイソンだが、現在では35万頭にまで増えている。これは保護が功を奏して国立公園などの保護区に生息する野生のバイソンが増えただけでなく、バッファロー・ランチと呼ばれる放牧地が合衆国各地に多数できているためだ。ここでは味が良くて低カロリーが売り物のバッファローミートを生産したり、ハンターに狩猟の機会を与えている。
1270kg Red Canyon Ranch(ワイオミング)
1119kg Red Canyon Ranch(2005)
1064kg 肩高1.8m、Red Canyon Ranch(1999)
1028kg Red Canyon Ranch(1999)
1120kg H & A Ranch(テネシー)
952kg Buffalo Hunt Ranch(サウスダコタ)
934kg Buffalo Mountain Ranch(テキサス)


 Walker(1968)はハイイログマ Grizzly が450kgのバイソンを殺したことがあると述べている。しかし待ち伏せが成功しない限りハイイログマがバイソンを倒すチャンスはないだろう。しかしオオカミの群はやっかいである。
 Douglas W. Smith らが1997−99年にイエローストーン公園で行った観察では、オオカミの群がバイソンを殺したことが14回あり、そのうち5回は成獣が殺された。たった2頭のオオカミがおとなの雌のバイソンを殺したこともあった(1997年2月)。これ以外は7−18頭がかりでの攻撃だった。また雄の成獣と確認できたのは1頭だけで、しかも怪我(片足の骨折)をしている個体だった(1998年12月)。

シロサイVSバイソン、丘の上の決闘
 九州自然動物公園・アフリカンサファリで、シロサイとアメリカバイソンの衝突があったそうだ。
 アフリカンサファリでは草食動物が共にくらしているそうだが、通常はそれぞれがテリトリーを保っていて出会ってもどちらかが避けるという。しかしこの時は機嫌が悪かったのか、バイソンがシロサイを追い払ったとか。それもいったん引くと見せて丘を駆け上がり、追ってきたサイを上から威嚇するという頭脳作戦(サファリトピックス)。

こちらはバイソンとヤクの激突? バッファロー・ランチで撃たれたバイソンをヤクが突き飛ばしたそうだ。


 かつて、ヨーロッパから西アジアにかけての森林に生息していたヨーロッパバイソンはアメリカバイソンによく似ている。DNA鑑定では同種であるとの説も出ている(Nowak, 1991)。しかし体の前半部の毛はアメリカバイソンほど密生しておらず、後半身との落差はそれほど顕著ではない。アメリカバイソンとほぼ同大。

体長299cm、肩高168cm(大英博物館所蔵標本)
体長307cm、肩高180cm、胴回り254cm(コーカサス産、Rowland Ward, 1914)
体重は普通700kg前後、最大のもので952kg(Mazak, 1979)。

 ヨーロッパでもアメリカほどドラマチックではなかったが、バイソンは滅亡に向かった。20世紀初頭にはポーランド東部(737頭)やコーカサス(800頭)だけになっていた。これらの地域では法律で厳しく保護されていたのだった。
 戦争とそれに続く混乱期に野生のバイソンはついに絶滅してしまった。残っていたのは各国の動物園に飼育されていた個体だけになっていた。1923年に66頭の生存が確認され、1938年には96頭に増えていたが、種として非常に弱っていたので、かつての力を呼び戻すためにアメリカバイソンとの交配もおこなわれたという。



 現在では、ポーランドやベラルーシ、ロシア、リトアニア、ルーマニア、ウクライナなどの保護区にほぼ野生状態のものが690頭に増えている。他に世界各国の動物園に飼われているものを含めて約1000頭になっている(sfsu.edu)。
 コーカサスのバイソンは1919年に絶滅し、飼育下では1925年(ハンブルグ動物園)が最後になった。第2次大戦後にポーランドから移入されたものが増え、1970年頃には800頭以上になった。現在では2200頭にまでなり、その半分が野生である。


 ポーランド東部の農場から迷い出た若い雌ウシが、野生のバイソンの群に混じる。2017年10月下旬に農場を脱出したウシはもう3ヶ月も Bialowieza Forest でバイソンと共に暮らしている。
 研究者は、雌ウシがバイソンと交流することで雑種が生まれ、それが広がることを危惧しているが、一方でウシが大きなバイソンの子を出産できるか、生命に危険があるのではと心配している(Telegraph)。

HOME