朝の8時頃、1頭の雄のガウル(インドヤギュウ)が鼻を鳴らして低い茂みに向かって立ちつくした。ウシは頭を低め、鼻孔を広げてあたりの空気を嗅ぎ、3回ほど唸った。
 20分余りがたち、草を食んでいたガウルは動き出し、茂みに近づいた。25mくらいまで接近すると、茂みの中で雌トラが吼えた。ガウルはゆっくりと向きを変え、歩み去った。トラは後を追いかけようとはしなかった(小原、1980)。

 ガウル Gaur(原音はガウァ、ゴワーに近い)はインドからマレー半島にかけて分布する大きな野生ウシ。マレーシアではセラダン Seladang と呼ばれる。著しく隆起した背中と逞しい前半身、少し頼りない気もする白い肢が印象的だ。雌や子は赤褐色であるが、雄は成長するとほとんど黒色になる。

 ガウルは世界の野生ウシ類でも最も大きいとの評判が高い。少なくとも高さではNo.1であることは確かだろう。
 大英博物館にあるまだ十分に成長しきっていない雄の標本は、肩高182cm、全長365cmもある(ガウルの尾は通常85cm前後)。同博物館には別に角を含む頭骨の標本もあり、こちらは肩高194cmもあったという。
 ビルマでは肩高2.1mの記録がある(Maurice Burton, 1972)。これは胴回りが2.5mだったので四肢が長くてスリムな個体だったようだ。ガウルの両肩の中央部から背にかけてはさらに盛り上がっており、正面から見た時の印象は圧倒的だという。
 丘陵地帯の疎らな森林や草原に5〜20頭の群で棲む。時にはいくつかの群が集合して大群をつくることがある。成獣の雄は繁殖期以外は単独か、雄だけで群をなしていることが多い。ガウルはバンテン(ジャワヤギュウ)と同居しているのが見られることがあり、またゾウと混生していることがある。

ガウルの雌は茶色。肩高1.5−1.6m。

肩 高 隆起の高さ 体 長 尾 長 胴 囲
189 201 287 86 300
192 204 291 88 315
 角はカーブに沿っての測定で60−80cmほどある。最大は102cm(Ward, 1914)。

 R. C. Morris(1938, 1947)や Minertzhagen(1939)によると、雄の体重は780kg、862kg、882kg、930kg、939kg、1105kg。Minertzhagen の撃った雌は702kgもあった。Kanha でシャラー(1967)が死体で発見した雌は439kgだった。

 ガヤル Gayal はガウルを家畜化したものだといわれる。アッサムからビルマにかけて生息するが、真の野生状態で見つかったことはないともいう。しかし両種の角や頭骨には幾つか違った点が見られる(Walker、1964)。
 ガヤルはガウルよりかなり小型で雄で全長2.8m、肩高1.5m、胸囲2m、体重540kgくらい。
 ガウルには傷を負っているものがしばしば見られる。雄で首や太腿に突き刺された痕があるのは、雄同士の戦いによるものだが、背中や脇腹に切り傷があるものはトラの攻撃を受けたものだろう。
 ガウルの子はトラの餌食になることが少なくない。シャラー (Deer and Tiger, 1967) の観察では、生まれた子の半数以上が1年以内に死亡している。その主な要因の一つはトラによる捕食である。しかし成獣になるに連れ、死亡率は大きく低下している。ガウルは密猟されることが少ない。大きくて扱いにくい上にヒンズー教徒にとってウシに似たガウルを殺すことにためらいがあるのだという。
 ガウルの群は警戒心が強く、仲間や他の動物たちが発する危険信号には敏感に反応する。危険を察知すると頭をもたげ、周囲を嗅ぐ。しかし成獣の雄はそれほど神経質ではなく、シャラーはしばしば30mくらいまで接近することができた。
 雌雄2頭のガウルが75mほど離れたところにトラを見つけた時、2頭は頭をもたげ、雌は鼻を鳴らしたがどちらも逃げようとはしなかった。また雌のトラが8頭のガウルの群から45mくらいの所を通りがかった時には、トラが背の高い草の茂みに姿を消すまで、しばらく後をつけていた。一方、雌の1頭がトラを見つけた時にはすぐに逃げ出し、群の仲間もそれに続いて逃走した。

 ジャック・D・スコット(1966)はインドで妻と共に若竹のジャングルの中を歩いていた。行く手にはハゲワシの群が雲一つない青空に、大きな扇形になって広がっていた。
 彼らは大きなインドヤギュウ・ガウルの死体を見つけた。それがトラの仕業とわかっても、スコットは1トン近くもあるに違いないこんなウシは、トラだってなかなか倒せはしないだろうにと不審の気持ちを口に出した。その時 Shikar(ハンティング・ガイド)がそっと彼を肘で突いた。
 小麦色の草が腰まで茂っていた。100mと離れていない所で大きなトラが1頭、その草の上から首を出していた。じっと彼らを睨みつけていた。その背後では尾の白い先が鳥のようにぴくぴくと動いていたのだった。トラは低い唸り声をあげてから向きを変え、草の中に姿を消した。スコットらは恐怖のおかげでサルのようにすばしこかった。一番手近の木に走り寄り、それに登った。

慎重にガウルの死体に近づく子トラ。それは母親(ガウルの向こう側にいる)がしとめ、母子4頭で食べていた(IndianNatureWatch)。

 トラは成獣のガウルを襲うことはないとよくいわれる。しかし R. C. Morris はトラが雄のガウルを殺した例を6件確認している。一方、彼はまた少なくとも6回の失敗に帰した攻撃も確かめた。そのうちの1回は、ガウルはひどく傷ついていて、どうやってトラを振り切り、攻撃を脱したのか Morris にも見当が付かなかった。頭や頸、肩をひどく咬まれ、後脚には骨に届く傷があった。
 トラはたいていガウルの脚を狙う。動けなくしておいてから止めを刺すのだが、この時は傷つきながらも膝を守り通し、トラのほうが諦めたのだろうか。

 Nagarahole(インド南部)ではトラは自分の5倍近くもあるガウルさえしとめる

 シャラーは雌のガウルがトラに襲われた例を紹介している。それによるとトラに直接殺されたのではなく、トラに襲われた傷が元で数日後に死んだのだった。そのガウルの死体を点検したところ、喉と胸に深い咬み跡があり、腰と首には多数の爪跡が見られた。トラはそのガウルを執拗に追い回し、何度も攻撃したようだった。
 また別の例では、雌のトラが土手の上から雄のガウルの背中に飛びかかり、その勢いでガウルを地面に叩き付け、それから喉に噛みついて殺した。

 1954年、ガウルが人を攻撃して殺したことがあった。近くにトラに殺された雌と子の死体があった。その2年前、やはりガウルが人を殺していた。このガウルはトラに襲われて負傷していた。Morris はガウルが人を襲う背後にはトラの影があるとさえいう。しかしもちろんそれだけではない。むやみに発砲するハンターによって手負いになったのが原因の場合も少なからずあるだろう。

 Kinloch(1892)が Satpura Hills でガウルを撃った時、ガウルは攻撃した者に報復すべく突進してきた。Kinloch の従者たちは武器を携えてはいなかったので、皆木に逃げ登った。彼は40ヤードまでガウルを惹きつけてから再び発砲した。


 K. Anderson(1955)はブッシュを踏みしだいて長時間おこなわれたトラとガウルの戦いを忘れられないという。このマラソンマッチの終焉は、角で何度も刺され、足で踏みつけられたトラの死体を残していた。


日本でガウルが飼育されているのは、横浜の金沢動物園だけのようで、ここでは4頭の雌が見られるが雄はいないそうだ。


 1937年にカンボジアへ来たフランス人、アシル・ウルベーンはその4年前に撃ち止められたウシの角を見て驚いた。新種の野生ウシではないかと考えたからだった。ヴァンスの動物園の理事でもあったウルベーンはその角の持ち主、ソーヴェールに依頼して若い雄の生け捕りに成功する。ソーヴェールは成長しきった雄も1頭射殺してきた。その年、1937年のうちにウルベーンは「カンボジアの野生ウシ・コープレー」と題した論文を発表した。
 そこには、この灰色のウシは、バンテンとは明らかに、はるかに大きな点で区別がつく。肩高は1.9mにも及ぶ。若い個体や雌では体色はグレーで、雄は黒色。肩と腰に白斑があり、四肢の下部も白く、そこに明るいグレーの横縞がある。胸の肉だれは非常によく発達し、尾は長く、四肢はバンテンより細い。角は断面が円筒形で、横に広がり、雄では先端が前方に曲がり、雌では先端はやや外に向いている。時には雄の角の先端部はささくれていると記述されている(20世紀の新発見、1964)。

 ハイイロヤギュウ Kouprey はカンボジアやタイラオス、ベトナムに生息する。最もめずらしい大型獣のひとつだ。発見された当時でさえ生息数は800頭くらいと見積もられていた(ソーヴェール)。1940年の推定では1000頭といわれていたのだが(Walker、1964)、ベトナム戦争の影響で絶滅に瀕していると危惧されている。
 現在ではカンボジア以外では絶滅したとされ、そのカンボジアでの生息数も250頭以内という。1994年のカンボジアでの地上と空中からの調査ではコープレーの生存は確認できなかった(CSEW.com)。
 コープレーは四肢が長く、背が高い体型で体重は900kgに達するとされる。灰色がかった褐色で、雄は成長すると黒っぽくなる。額にはガウルのような白い部分はない。80cmに達する角は少し横に広がっていて、アフリカスイギュウの角に似ている。

 コープレーは、ガウルやバンテンに比べると胸の肉垂れは発育がよいが、背の隆起はほとんどない。ガウルは背の隆起は著しく顕著であるが、胸の肉垂れは発達していない。ところが家畜化されたガヤルの方は、背の隆起がかすかになり、肉垂れが発達する。つまりこれは家畜化されたウシ類の一般的な傾向ではないかとも考えられ、コープレーはガウルまたはバンテンと家畜のウシとの混血ではないかと疑われたこともあった。


 バンテン Banteng はビルマからマレー半島、ジャワ、ボルネオに分布する(スマトラにはいない)。雄は肩高1.5−1.7mでガウルよりだいぶ小さい。バリ島では家畜化されている。

 ところで動物図鑑などでは、コープレーの大きさについて奇妙な一致が見られる。たとえば Collins の Rare Mammals(1987)では、
 体長210−225cm、肩高170−190cmとなっている。
 講談社の動物図鑑5(1997)では
 体長180−220cm、肩高150−190cmである。
 いかに足長とはいえ、この体の短さはどうしたことか? おそらく元となったソースが間違っていたのだろうが、監修をした人は疑問に感じなかったのだろうか。

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