新生代更新世(1〜300万年前)に入ってもサイの仲間は繁栄していた。熱帯地方にいたものは、おそらく現代のアフリカや南アジアにいるサイの近縁種、あるいは祖先だった。一方ユーラシアの中部には別のグループのサイ類が幾つも棲んでいた。その多くは現代のスマトラサイにごく近縁だった。Dicerorhinus 属は漸新世に遡り、現生の哺乳類のうちで最も古い属の一つである。
 この属は少なくとも4種が、氷河時代の異なった時期に、また異なった環境に生息していた。その中で最もよく知られているのは、間氷期にヨーロッパからアジアに分布していたメルクサイ Merck's Rhinoceros だろう。



 更新世後期(37〜7万年前)のメルクサイは化石が多数発見されていながら、全身骨格は知られていないようである。かなり大型のサイで Woodland Rhinoceros と呼ばれる。しかし森林だけでなく草原にも棲んでいたようだ。ドイツの古代人住居跡からメルクサイの骨が多数見つかっていることから、当時の人類がこのサイを狩っていたことは確かだ。
 メルクサイは体長3.5-4m、肩高1.8-2.1mくらいもあった。更新世中期の etruscus から進化したと考えられている。
 更新世の初期から半ば過ぎまで、300〜45万年前にヨーロッパに生息していたエトラスカン・ライノセロス Dicerorhinus etruscus は比較的小型で脚の長いサイだった。体長2.5m、肩高1.5m、現代のスマトラサイより少し背が高いくらいだ。断片的な骨は多数見つかっているが、全身骨格は少ない。
 やはり森林に棲み木の葉を食べていたが、草原にも頻繁に進出していたようだ。また川沿いの森林に好んで生息したともいわれる。


更新世中期、45〜85万年前にヨーロッパに棲んでいた Stephanorhinus hundseimensis。体長2.7m、肩高1.6m、頭骨の長さ60cm。エトラスカン・ライノセロスに近い種類でやはり短めの角を2本持っていた。

 Dicerorhinus 属のサイはアジアにも拡がっていた。中国北部や南部にはそれぞれ別の種が生息していた。周口店からはメルクサイの化石が出土している。また日本にも分布しており、福岡県や栃木県から化石が見つかっているが種の同定までには至らないようだ。
※ 最近では Dicerorhinus に代わって Stephanorhinus の属名が使われることが多くなっている。そして Dicerorhinus 属は現在のスマトラサイ1種のみとされている。


 スマトラサイは現在のサイでは最も原始的な種だ。黒っぽい赤毛をはっきりと残しており、短いながら2本の角を持っている(前の角で最大38cm)。森林に棲み、やはり水の近くを好む。かつてはアッサムからインドシナ、マレー半島を経てスマトラ、ボルネオに分布していたが、今ではごく少なくなっている。1978年の調査では100〜150頭くらいとされていた。
 スマトラサイ現在のサイでは最も小型で、体長2.5m、肩高1.3mくらい。多くの動物図鑑では体重1tに達するとしているが、計量例はほとんど知られていない。安間繁樹氏(2002)によれば、ボルネオ島で飼育されている2頭の体重は2000年12月現在で、雄(15歳)が486kg、雌(22歳)が536kgだった。

 最近ではスマトラサイの分布はマレー半島やスマトラ、ボルネオ北部(マレーシア)に限られている。生息数は300頭以下。ボルネオ島のインドネシア領(カリマンタン)では1990年代に絶滅したといわれていた。
 2013年4月、東カリマンタン地域で調査を行なった、WWFインドネシア、西クタイ県林野庁、ムラワルマン大学および地域の関係者は、スマトラサイ生存の足跡などを、20年ぶりに確認したことを発表した。さらに共同調査チームは、2013年6月23日と30日、さらに8月3日に、調査用の自動ビデオカメラで、スマトラサイの動画を撮影することに成功した(WWF)。
※ ロブ君さんから知らせていただきました。

HOME