200万年前−更新世初期のアフリカ。猿人オーストラロピテクスの背後からサーベルトラが襲いかかった。その衝撃で男は倒れ、サーベルトラの両顎が鈍角をなすほど上下に開いた。それから長大な牙が男の後首に突き立てられた。サーベルトラは既に死んでいる男から牙を抜くと、立ちすくんでいる12歳の子の方に逞しい上体を向けた(実吉達郎、1986)。

 東アフリカの化石発掘者、L. S. B. リーキーはオルドバイ峡谷で、人類の遺骨を発見した。それは12歳以下の子供の頭骨や顎、左足、手それに大人の指などだった。これらの骨にはサーベルトラの歯形を残すものがあり、この猛獣に襲われ、大人も子供も殺され食われたのだった。
 実吉氏はスミロドンと書いておられるがそれはないだろう(スミロドンはアフリカにはいなかった)。このサーベルトラはメガンテレオンかあるいはもっと大型のホモテリウムだったかもしれない。

 タンザニアのオルドバイ峡谷は人類史における最も有名な遺跡だ。堆積物の年代は約200万年前である。頑丈型オーストラロピテクス類のクルミ割り人パラントロプス Paranthropus boisei やヒト Homo habilis の化石が知られる(アラン・ターナー、2004)。

 ケープタウン大学の考古学者、 Julia Lee-Thorp と Nikolaas van der Merwe、そしてトランスバール博物館の古生物学者、Francis Thackeray は250万年前、南アフリカのサバンナでメガンテレオンはヒトを狩っていたと信じている。この時代のアフリカには、既にライオンやヒョウも現れており、ハイエナもいたのでサーベルトラだけが人を襲ったのではないが、カンサス大学自然史博物館の Larry D. Martin もメガンテレオンを人食いだったと見ることに問題はないとしている(National Geographic)。

 実吉達郎「古代の牙王・サーベルタイガー」

 メガンテレオンは鮮新世後期から更新世にかけて、150−350万年前にアフリカにすんでいたサーベルトラでヒョウ大から大型のジャガーほどもあるものまで、数種類に区分されているが、雌雄の違いかもしれないとして Megantereon cultridens 1種にまとめる意見もある。
 メガンテレオンはヨーロッパやアジア、北アメリカでも知られている。ヨーロッパでの最も新しい化石は90万年前のものである(ドイツ)。一方、最も古いメガンテレオンは北アメリカ(フロリダ−Bone Valley)から知られ、それは450万年前のことである。

 メガンテレオンの化石は断片的なものが多いが、フランス中部の Seneze で完全な骨格が発見され、バーゼルの自然史博物館に保存されている。肩高72cm。大型のヒョウくらいの大きさで、もっと頑丈な体格をしており、かなり大きな獲物をしとめることができたようである。Alan Turner(1997)は主にウマやシカを狩っていたのではないかと考えている。
 首が長めで前半身がよく発達したメガンテレオンは短い尾を含めて全長1.7m、体重は90kgくらいあった。体格のイメージはジャガーに近い。そして北アメリカのメガンテレオンからより強大なスミロドンが派生したとされている。



 Alan Turner はまた、ホモテリウムとメガンテレオンが共に生息していた地域では、メガンテレオンは森林でもっと小型の動物を獲物にしていただろうともいう。一方、鮮新世から更新世中期にかけての中国では、非常に小型のホモテリウムと最大級のメガンテレオン(Megantereon nihowanensis ともされる)が見つかっている。周口店から知られたホモテリウムの頭骨は基底全長234mm、同じ場所から出たメガンテレオンの頭骨より僅かながら小さいのだ(雄ヒョウの頭骨基底全長は185−223mm)。ここでは双方の立場が逆転していた可能性がある。また周口店で北京原人と共に見つかっていることから50万年前までは生存していたようだ。
 同じ時代、同じ地域には肩高1m、体重120kg以上もある大型のハイエナ、パキクロクタも生息していた。ホモテリウムやメガンテレオンと競合したかもしれない。特にメガンテレオンにとっては−今日のヒョウに対するブチハイエナのように−やっかいな存在だっただろう。

 南アフリカのマカバンスガット石炭採掘場から鮮新世後期の猿人・オーストラロピテクス Australopithecus africanus の化石が見つかっている(1925年)。この古代人を鑑定した解剖学者のレイモンド・ダートは同時に発見された大量のかつひどく破損した動物化石に基づいて、マカバンスガットのオーストラロピテクスは動物の骨や歯、角などからいろいろな道具を作り、使用したと考え、「骨歯角」文化と呼んだ。
 一方、スワルトクランズを発掘した C. K. ブラインは、ダートの主張は単に化石の表面的な外見に基づいているだけであると指摘した。動物化石の損傷を古代人の為せるわざとダートは考えたのだが、ブラインはシマハイエナのような大型の肉食獣による自然な破損であると説明したのだ。マカバンスガットからはシマハイエナの化石も幾つか見つかっているのだ(アラン・ターナー、2004)。

 南アフリカのステルクフォンテイン谷からはオーストラロピテクスが、ディノフェリス Dinofelis barlowi と共に見つかっている(240−280万年前)。いくつかの洞穴はディノフェリスの巣として使われており、この大型ネコは、ヒトや他の獲物をそこへ運び込んだと考えられる。もっともディノフェリスの主要な獲物は霊長類ではなく、もっと数の多かった有蹄類だっただろう。
 ステルクフォンテインと向かい合ったスワルトクランズからは、多数のパラントロプス Paranthropus rubustusヒト Homo に同定される化石が発見されている(160万年前)。石器も知られており、そこで使われたもののようだが、C. K. ブラインによって、ヒトを含む動物の骨の多くは、肉食獣の捕食によるものと認められる。サーベルトラやハイエナ、及びライオンやヒョウも生息していたのだ(アラン・ターナー)。

 ディノフェリス Dinofelis barlowi は南アフリカにすんでいたが、もう1種のより進化した Dinofelis piveteaui は170万年ほど前に南アフリカと東アフリカいた。いずれも現在の大型のジャガーくらいあり短めの尾を含めて全長2.2m、力強い体格をしていた。アフリカで最後のディノフェリスの化石はケニヤとエチオピアで知られており、150万年前である。ディノフェリスはアジア(中国、インド)、ヨーロッパ(フランス)、北アメリカ(テキサス)にも分布していた。中国産の Dinofelis abeli が最大種で体重160kgに達したといわれる。

 レイモンド・ダートの「骨歯角文化」では、オーストラロピテクスのような初期人類は、しとめた動物の骨・歯・角を使ってさらなる獲物を殺していたとキラーエイプ説を展開している。彼はオーストラロピテクスの頭骨に残された窪みや穴は初期の人類同士が殺しあってできたものであると確信していた。
 ところがその証拠を詳しく調べた C. K. ブラインはアフリカの大型肉食獣の下顎を測定して、ヒョウの牙がオーストラロピテクスの頭骨化石の穴とぴったり一致することを発見した。オーストラロピテクスはおそらく狩る側ではなく、狩られる側にいたと思われる(ハート&サスマン、2005)。

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