中生代のジュラ紀から白亜紀にかけて、カメのような胴体に長い首を持ったプレシオサウルスの仲間が繁栄した。これを日本では首長竜(長頸竜)と呼んでいる。これらは二つのグループに分けられ、主にジュラ紀にヨーロッパに生息していたのがプレシオサウルス類。一方、白亜紀後期(8000万年前)に北アメリカに多く現れたより首の長いものがエラスモサウルスだ。


 ジュラ紀前期、約1億7000万年前、イギリスやドイツに棲んでいたプレシオサウルス属の1種、Plesiosaurs macrocephalus 全長2.3m。同属の他の種より頭が大きめである。

 プレシオサウルスのパドル(水掻き)と四肢を慎重に調べた Jane Robinsonによると、プレシオサウルスは鰭肢をボートの櫂のように前後にかいたのではなく、ペンギンやウミガメのように上下にはばたかせて泳いでいたという。
 一方、プレシオサウルスは前の左右の鰭をそれぞれ反対方向に動かすことによって体の位置をほとんど変えることなく方向変換できたともいわれる(Barry Cox, 1988)。


 ジュラ紀後期、イギリスのクリプトクレイダス Cryptoclidus oxoniensis 全長3.3m プレシオサウルス類としては首が短め、頭は大きい。

 プレシオサウルスは最初に発見された首長竜だ。それ以降に見つかった似たような動物の化石はすべてプレシオサウルスと鑑定されてしまい、ついにはプレシオサウルス属の種は90を超えてしまった。その多くが無効になり、あるいは独立したりして現在のプレシオサウルス属は3〜6種で構成されている。この辺りは獣脚類におけるメガロサウルスを想起させる。
 またプレシオサウルスの名はこの属だけでなく、首長竜類全体の名称としても使用される。


 ジュラ紀後期、イギリスのムラエノサウルス Muraenosaurus leedsi  こちらは首が長く、頭は小さめだ。全長6.2m。

 プレシオサウルス類の首の柔軟性について、彼らは水面近くを泳ぎ、頭を高く持ち上げ、首はハクチョウのようにS字型に掲げられていたと考えられていたが、最近の頚骨の調査ではムラエノサウルスやクリプトクレイダスにはこれは無理ではないかといわれている。
 逆に彼らは下方にはかなりの角度(45度)で首を下げることができたという。水面近くを泳ぎながら自分の下にいる魚を捕らえ、また左右にも首を動かすこともできたようである(Dixon, 2007)。しかしこれだと首を動かすときに水の抵抗を受けてしまうのだが。

 プレシオサウルスの最初の化石が発見され、科学的に記述されたのは1821年のことである。記載者の一人、ビクトリアの研究者、Dean Buckland はプレシオサウルスをカメを呑み込んだヘビと形容した。
 ドイツの医師 Anastasius Kirchner は1678年に Mundus Subterraneus地下世界)と題する本を出版し、その中で古代に Holzmaden 地方に生息していたドラゴンの姿を描写している。その翼を鰭に変えるとプレシオサウルス見えなくもない。中世の人々は偶然見つかった首長竜の化石から、伝説のドラゴンに想いをはせたのだろうか。首長竜は西洋の大海蛇 Great Sea-Serpent 伝説にも一役買っているかもしれない。


 プレシオサウルス類は首の骨が28〜44個だったが、白亜紀後期(8000万年前)にカンサスに棲んでいたエラスモサウルスでは72個(D. Dixon, 2007)もあった。すべての動物中、首の骨が最も多い。全長は12.7〜14.3m、このうち半分、7m以上を首が占めていた。エラスモサウルスを最初に研究したEdward Drinker Cope はその首を尾と誤認したほどである。1867年、彼が化石を組み立てる際に頭骨を尾の先端に付けたといわれる。
 エラスモサウルスはその長い首を活かして、泳ぎが非常に速い魚でも捕らえることができた。


 エラスモサウルスは、海上に首を出し、ヘビウのように、水面近くを泳ぐ魚を捕らえていたと考えられる。もし水中で首を動かすと大きな抵抗を受けてしまうので速い魚を捕まえるのはむずかしい。
 エラスモサウルスは長い首をもたげ、頭を持ち上げて狙いをつけたことだろう。首が非常に長いので、彼ら自身はあまり動く必要は無かった。


  カリフォルニアから見つかったヒドロテロサウルス Hydrotherosaurus alexandrae。全長12.8m、首はきわめて長く頚椎骨は60個ある。エラスモサウルス類の首は上下にも左右にも自由に曲がり、蛇行のように波打ち、またとぐろ状にもなったことが頚椎骨の構造よりわかる(鹿間、1979)。


 白亜紀後期のモレノサウルス Morenosaurus stocki (全長8〜12m)のすさまじい乱杭歯。エラスモサウルス類は獲物を噛まずに丸呑みにしただろう。カリフォルニア産、日本でも近縁種(同属)が発見されている。

 ジュラ紀の首長竜(プレシオサウルス等)と白亜紀の首長竜(エラスモサウルス等)にはかなりの相違があるという。白亜紀のグループはむしろジュラ紀の首の短いプリオサウルス類に近いことが頭骨の形状などから指摘されている。首の長いプレシオサウルス類はジュラ紀の末には絶滅し、白亜紀に全く新しいグループが、プリオサウルスの系統から派生したとされている(Dixon, 2007)。


 ジュラ紀後期、ヨーロッパのプリオサウルス類、Peloneustes philarchus
全長3m、首の骨は20個。大きな頭と短い体からペンギンのように見えたかもしれない。

 首長竜は多くの哺乳類のように、卵ではなく子を産んでいたとする研究結果が発表された。1987年に発掘された白亜紀後期(7800万年前)の首長竜 Polycotylus latippinus (全長4.7m)の腹腔の部分に小さな骨が収まっていた。母親が死んだとき、胎内にいた首長竜の赤ちゃんの骨だったのだ。これは首長竜が胎生だったことを示す初めての証拠である。
 他の古代海生爬虫類では魚竜イクチオサウルスが胎生だったことが知られている。イクチオサウルスは複数の小さな子を産んでいた。しかし今回の首長竜の胎児は約1.5mもあった。大きな赤ちゃんを単胎で産む現生動物の多くは、社会性を持ち、子育てに多くの時間と労力を費やす。自分の遺伝子を残したければ、そのたった1頭の子に多大なエネルギーを注ぐしかない。これは首長竜が子育てをしていたこと想像させる(NationalGeographic)。
※ 上田さんから知らせていただきました。

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