日本と中国の山間の渓流にすむオオサンショウウオ Giant Salamander は今の世界では最大の両生類だ。日本では岐阜県以西の本州と北九州、それに四国の一部に分布する。普通60−70cmくらいだが稀に1mを超えるものがある。
 今までに知られる最大(最長)の記録は1993年に広島県で捕獲され、安佐動物公園に飼われていたもので長さ151cm、体重27.6kgあった(2002年9月に死亡)。
 これに次ぐのが岡山県・湯原町に飼われていたもので148cm(1999年に死亡)。
 1931年5月に旧東ドイツのライプチヒ動物園で死亡した日本産のオオサンショウウオは長さ144cm(カーブに沿って測ると164cm)、体重が40kgもあった
 1925年6月にパリの Jardin 植物園で死亡したものは長さ140cm、体重34kg (Wood, 1972)。

 中国ではオオサンショウウオは東部、南部にすむ。日本産とは別種とされることもあるがよく似ている。ただ皮膚はいぼ状突起が少ないので滑らかに見える。
 最大の記録としてよく引用されるのは1920年代に南部の貴州省で見つかったもので長さ152cm(カーブに沿って測ると175cm)あった (Wood, 1972)。Carwardine(1995)によれば湖南省で長さ180cm、体重65kgの記録があるという

姫路市立水族館で約20年間飼育されているオオサンショウウオの足の指が15年かかって再生したことが確認された(2009年4月)。同じ両生類のイモリで指の再生報告はあるが、オオサンショウウオでは初めて。
 長さ98cm、体重7.4kgの個体で5歳の時に、水槽内で仲間とのけんかで右前肢上腕骨の先を食いちぎられた。レントゲン検査で、4本の指の骨が確認され指まで完全に再生されたことが判明した。自然界では欠損した指の再生は確認されておらず、再生が止まった小さな突起状態がほとんどだが、条件さえよければ欠損した指が完全に再生されることが判明したわけだ(産経ニュース)。
※ Yamada さんから知らせていただきました。

現在日本で飼育されている最大のオオサンショウウオは、城崎マリンワールド(兵庫県豊岡市)にいる。2013年2月21日の測定で、全長150.5cm、体重37.4kgもあった。この日の身体測定では、飼育員らが水槽の中に入り、特製のケースにオオサンショウウオを入れて引き上げ、はかりにのせて体重を量り、メジャーで全長を測定した。
 このオオサンショウウオは1993年に姫路市立水族館から譲り受け、城崎マリンワールドでは「円山川の上流の生き物」の水槽で飼育されている。
 93年には全長96.5cm、体重6.2kgだったが、2009年には全長、体重とも日本一となった(MSN産経)。

 奈良県御所市の用水路で2012年夏に偶然見つかったオオサンショウウオを一時保護している奈良県橿原市の市昆虫館が、生息地を特定するため2013年夏、初めて捜索区域を近接する吉野川水系に拡大する。近畿の繁殖地は三重県や兵庫県などに限られるとされ、奈良県南部で確認された公式の記録はない。文化庁は「西日本の“生きた化石”の生息地図が塗り替えられる可能性もある」と捜索結果に期待している。
 保護されているオオサンショウウオは、全長1.1m、体重13.4kgの雄。2012年8月下旬、御所市の曽我川支流の用水路で見つかった。近畿のオオサンショウウオの分布は、奈良だけが事実上の空白地帯なだけに期待も大きい(MSN産経)。


中国種が日本で野生化

 チュウゴクオオサンショウウオが日本の河川で繁殖していることが、京都大学の調査(2005−2007年)で確認されている。過去にペット用や食用として持ち込まれたものが野生化したらしい。日本固有種が駆逐されたり、交雑によって遺伝子が乱されたりする恐れがあるという。
 以前から、体の模様が違うオオサンショウウオがいるという情報があった。しかし、オオサンショウウオは個体によって体の色が様々で、外見だけでは区別が難しい。
 三重、大阪、岡山、大分など14府県でDNA調査をした結果、京都府の川の4匹、徳島県の水路の1匹が、中国の揚子江流域などに広く生息するチュウゴクオオサンショウウオの遺伝子型と一致した。若い個体も交じっていたことから、日本で繁殖した可能性が高いとみている(朝日新聞)。※ 上田さんから知らせていただきました。

 2008年6月、京都府南丹市園部町で見つかった1.4mのオオサンショウウオ。国産では記録に迫る大物(大阪オオサンショウウオの会)

 2007年10月、愛知県瀬戸市でオオサンショウウオの生態調査が行われた。国内ではオオサンショウウオの東限とされる瀬戸市北部の蛇ケ洞川にはこれまでで最大の個体が生息することがわかり、11−12日に捕獲作戦が行われたが失敗に終わった。
 蛇ケ洞川では46頭の生息が確認されており、最も大きかったのは8月に見つかった102cmの個体。目撃されたものはさらに一回り大きかったという。これを捕らえるために金属製の箱(縦50×横70×高さ20cm)を二つ繋げ、中に魚のあらを置いた罠を用意、11日に20個ほど仕掛けた。12日に回収したがかかっていなかった(中日新聞)。
 2008年2月10日、愛知県瀬戸市の蛇ケ洞川で行われた5回目の生息調査で、全長89cm、体重8kgのオオサンショウウオが見つかった。昨年秋の調査で発見したが捕獲に失敗した大物で、体重では過去最大だという。性別は不明。体内にチップを埋め込んだ後、川に放した。
 捕獲されたのは下流の生息域から離れた場所で餌となる魚やザリガニが多く生息し、隠れ家としての条件を備えていたという(毎日新聞)。

 瀬戸市が専門家と地元住民らで組織したオオサンショウウオ調査委員会委員長で日本ハンザキ研究所(兵庫県朝来市)の栃本武良所長は「1mを超えるためには水質などさまざまな条件が必要だが、蛇ケ洞川では開発などで汚染が目立っている」と話し、生息環境に警鐘を鳴らしている。

※ スズメっちさんから知らせていただきました。


メトポサウルス Metoposaurus algarvensis

 2015年3月、2億年以上前の中生代三畳紀に生息していた大型両生類の化石が、ポルトガルで見つかったと発表された。イギリスのエジンバラ大学のチームによると、古代の湖跡で発見された化石は、全長約2m、巨大なオオサンショウウオのような姿をしていたという。
 メトポサウルスは三畳紀後期に川や湖に棲み、生態は現在のワニに似て、魚を常食としていたようだ(AFPBB)。
 エジンバラ大学の研究者は、ポルトガル南部、Algarve の泥岩から掘り出された骨を新種の両生類であると鑑定した。メトポサウルスの仲間はドイツやポーランド、アフリカ、インド、それに北アメリカから知られている。今回見つかったイベリア半島産は、頭骨や顎の形状から別の種であるとしている(Guardian)。

 メトポサウルスに近い種類(メトポサウルス科)の大型両生類にブットネリア Buetteneria Perfectaがある。テキサスやアリゾナの三畳紀後期の地層から見つかっている。
 全長2.4m、頭骨は45cmほどあり丸みを帯びた三角形で吻部はあまり尖っていない。テキサスの泥灰岩層からは頭骨化石が密集して発見されている(鹿間、1979)。
 2007年にブットネリアは Koskinonodon と改名されたようである。キリギリスにこの属名(ブットネリア)を持つ種がすでにいることがわかったためという。

 3億年ほど前の古生代石炭紀、両生類でも大きくて扁平な頭を持った迷歯類と呼ばれるグループが現れた。昆虫その他の小動物を食べたらしい活発な一群で、その後の爬虫類への進化でも母胎となったとされている。
 石炭紀後期から二畳紀にかけて北アメリカに棲んでいた代表種エリオプス Eryops megacephalus は全長2m。頭が非常に大きく、頭骨の長さは60cmもあった。地上では顎を持ち上げないと口を開くことができなかった。姿はワニに似ているが、両生類であるから、皮膚はカエルのようにぬらぬらしていただろう。

 エリオプスが両生類であるからその皮膚はぬらぬらしていただろうということについて、読者の方から現在の両生類にとらわれすぎているのではないかとの指摘を受けました。酸素が容易に透過可能な皮膚であればそれは薄いはずで、エリオプスのような巨体では、硬いものどころか草木に擦れるだけで、めくれてしまうのではないか、エリオプスにとっては皮膚呼吸は重要ではなかったのではないかとのことです。
 両生類にとっては皮膚呼吸の重要性は失われているでしょうが、化石動物の皮膚を推定するのは困難であり、現在のオオサンショウウオでも皮膚は粘膜で覆われていて、これが外傷を防ぐ役割を果たしているとも考えられます。

マストドンサウルスMastodonsaurus giganteus

 中生代三畳紀には非常に大型の両生類が繁栄していた。なかでも1875年にドイツ・ウルテンブルグで発見されたマストドンサウルスは最も重厚な種類で、全長3.3−4mもあり頭が非常に大きく最大の頭骨は125cmもあった。
 2008年6月、宮城県沖の無人島で、三畳紀前期(約2億4500万〜2億4200万年前)の両生類の化石を東大大学院生が発見した。見つかったのは下顎の付け根の骨(長さ約6cm)でマストドンサウルスと鑑定された。日本での発見は初めてであり、四足動物としては日本最古の化石とみられる(iza)。
※ ムカイさんから知らせていただきました。

 古生代石炭紀後期のイギリスには迷歯類よりも体がもっと細長く、頭も小さい型の両生類が生息していて、最大種のエオギリヌス Eogyrinus wildi は全長4.5mに達した。頭は比較的小さく、脚は体の割に極めて小さい。泳ぎに適した体型から、水中で魚を追っていたと考えられている。


 3億年ほど前、石炭紀初期に北アメリカやヨーロッパに生息していたディアデクテス Diadectes phaseolinus は両生類に分類されることが多いが、初期の爬虫類であるとも、両者の中間的な存在であるともいわれる。
 全長3mに達する重厚な体格は、陸上での生活に適応していたと見られるが動作が活発だったとは考えにくく、また歯の構造からも草食性だったようで、最初の草食性両生類だったといえるかもしれない。そして最初の草食性爬虫類であるエダフォサウルスと同時代の住人でもあった。
 横浜国大の鹿間教授(1979)はディアデクテスをパレイアサウルスなどと共に頬竜類に分類し、四肢は短いが肩帯と腰帯が巨大に発達し、敏捷に走り回っただろうとしている。

 1972年、ロンドン大学の一行がブラジル北部の三畳紀の地層から大型両生類の断片的な化石を発見した。現在のガビアルに似たスタイルでプリオノスクス Prionosuchus plummeri と名付けられたが、推定全長は9mにもなるという。

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