ホラアナグマ
 ヒグマに似た大型のクマで、更新世のヨーロッパを代表する動物のひとつ。復元された骨格や洞窟に描かれた絵から推測すると、額が突き出ていて、肩が著しく盛り上がっていた。
 ホラアナグマの頭骨は50cmもあり、アラスカヒグマよりも大きかった。後脚で直立すると高さ3mに達したと言われる。ヴェレシチャーギン(1976)は今のヒグマほど攻撃的でなく、短い脛の骨から推してヒグマよりも動きが遅かったとしている。

 ホラアナグマの全身骨格は意外に少ないようだ。左の写真(体長2.7m)はスイスの Wildkirchli cave で見つかった。ほぼ7万年前のものといわれ、現在は Saint Gallen の Heimat Museaum に保存されている。この骨格は実際より頭が幾分高く据えられていると指摘されている。

 一説によるとホラアナグマにはおそらく2種があって、小型種は西シベリアや中央アジアにまで分布を広げていたという。小さい方は現在のヨーロッパのヒグマとほぼ同大、体長1.7mくらいだった。また、氷河期には体が大きくなり、気候の温暖な間氷期には小型化したのだとも言われる。
 ホラアナグマはヒグマよりもがっしりとした体格をしていたが、歯列からはより草食的な食性だったと推定されている(クルテン、1971)。

 ホラアナグマの化石はヨーロッパ各地の洞穴から多数発掘されており、1つの洞窟から100頭分以上の骨格が出たこともあり、群生していたのではとの意見もあったほどだ。しかし暗くて危険な洞窟にクマが適応できていなかったために、深い穴に落ちて這い上がれずに死んだともいう。
 また冬眠している間に病気になったり、雪解けの水が流れ込んで溺死したものもあったようだ。

 イギリス・ケント州 Brixham の洞窟からは354頭分のホラアナグマの化石が出土しているが、他にサイ(67)、ウシ(28)、ゾウ(11)、そしてハイエナ(57)、ライオン(7)等の化石もでている(鹿間、1979)。
 これらの動物の相互の関係はどうだったのか? 複数種の肉食獣が同じ洞窟にいたということは、ハイエナの群やホラアナグマ、ホラアナライオンの間で獲物の争奪戦があったと推測されるのだが…
 ヴェレシチャーギン(1979)は氷河時代の人類にとってホラアナグマは重要な資源だったと考えている。ホラアナグマの肉と脂肪は寒い冬の大切な栄養源であり、毛皮は洞窟の床に敷かれベッドとなった。当時の人類の洞窟住居を発掘した考古学者は人の手で割られた無数の頭骨を発見している。


 眠りから覚めたホラアナグマの前に天敵・ホラアナライオンが立っていた。どちらか一方だけが生き残る。斃れた者の骨は千年もの間、洞穴の屑となるだろう。
 このような戦いが実際にあっただろうことを示唆する化石が中央ヨーロッパの洞穴から見つかった。ドイツとルーマニアで科学者たちは多数のホラアナグマの化石を見つけた。洞穴の壁や床に残された爪痕は、いかに大きな獣がここに棲んでいたことかと想わせる。
 クマだけではない。学者たちは、現在のライオンよりも大きかったホラアナライオンの骨も発掘している、クマ狩に卓越していたかもしれないライオンである。ドイツの Cajus Diedrich 博士は、ホラアナグマが捕食されたことを明白に示す化石を発見したと、BBCに語った。ドイツの Zoolithen Cave で見つかった2頭のクマの頭骨にライオンの歯形が残っていたのだ。
 マンモスやサイがいなくなった後、ライオンはクマを主な獲物と定めたのだろうか。Diedrich は Zoolithen Cave で13頭のライオンの骨を見つけている。その大半が老熟した雄だった。大きな雄だけが洞穴に入り、クマを狩ったのかもしれないと彼は考えている。あるいは一つの群れが洞穴に入り、成獣の雄だけがクマを襲ったのかもしれないとも。
 彼らはまた、ライオンがクマとの戦いに敗れることもあっただろうという。現在のヒグマよりも草食性の強かったホラアナグマはライオンの死体を食べずに放置したと思われる。「そのような状況を示す化石も、我々は今、眼にしている」と博士は言う。ライオンの死体がハイエナによって運び去られた形跡があるのだ。そのライオンはクマとの戦いに敗北したものだろうか。
 草食性が強くても死体を食べないとはいえない。現在のヒマラヤグマやアメリカクロクマも見つけた死体を遠慮はしない。もっともホラアナハイエナ(あるいはパキクロクタ)とホラアナライオンとの戦いも繰り広げられていたようであり、ハイエナの群れに苦杯を喫するライオンもいたはずである。

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