世界最高峰エベレスト(中国名:チョモランマ)のネパール側の南斜面で、絶滅の恐れがあるユキヒョウの姿が約40年ぶりに確認された。米イリノイ大学の大学院生で、国際環境保護団体アースウォッチの研究員を務めるソム・アルさんが2004年10月24日、撮影した。
 エベレスト付近では1960年代から姿を確認していなかった。近隣の地元住民や観光客によるユキヒョウの目撃証言が、数年前から増えてきたという。しかしその話を立証できる証拠はなかった。ところが、調査拠点のキャンプ近くで、ヒマラヤタール(野生ヤギの仲間)の群が、おびえた鳴き声で騒ぐのを聞いて、ユキヒョウが近くにいるのではないかと推測。その後、2頭のユキヒョウや足跡を確認した後に撮影に成功した(CNN)。
※ワニヲタさんから教えていただきました。

 2009年3月18日にも、エベレストの麓でユキヒョウが数年ぶりに確認されている。発見した村人によると体長1.2mほどの成獣で、灰色の地に黒い斑紋があったという。ユキヒョウが乳牛を襲って殺したところを、村人が発見し、洞窟に追い詰めて捕獲した。通報を受けたチベットの林業局とチョモランマ管理局が実態調査し、野生動物保護法に基づき、ユキヒョウは自然に帰された(RecordChina)。


 ユキヒョウは毛深いので大きく見えるが、普通のヒョウよりやや小さい。雌雄差は他の大型ネコ族ほど著しくない。
 ロシア産10頭(雌雄併せて)では、体長103〜125cm、尾が80〜105cm、体重22〜39kg。
 ヒマラヤ産の雄(体長107cm、尾91cm)で体重50kg。
 中国産の雌(体長113cm、尾91cm)で体重52.5kg
 毛皮の測定では全長264cm(中央アジア)の記録があるが毛皮は相当に伸びるものである。またバルチスタンでも264cmと259cmの毛皮が報告されている(Rowland Ward)がこの産地(バルチスタン=パキスタン南西部)からすると本当にユキヒョウだったのかどうか疑問である。

 ユキヒョウ Snow Leopard は中央アジアの険しい山岳地帯に棲む。バイカル湖西岸からサヤン、ハンガイ、アルタイ、テンシャンと西南へ延び、大きく弧を描いて今度はパミール、ヒンズークシ、カラコラム、クンルン、ヒマラヤとまた東に向かう。
 昔はもっと広範囲に分布すると考えられており、Ivan T. Sanderson(1969)はアムールやサハリンにも棲むとしているが、これはアムールヒョウの誤認とされている(サハリンにもヒョウがいる?)。
 イランやコーカサスにもいるといわれたがこちらも大型で毛深いヒョウ(キタペルシャヒョウ)の誤りらしい。



 1944年に刊行された『樺太博物誌』(玉貫光一著)には:
本種は未だ邦人によって樺太から捕獲せられていない。前世紀の中葉、露国学士院の手による東亜北部シベリア探検隊長としてこの島に渡ったシユレンク(L. von Schrenck)によって樺太に分布するものと記されているが、果して常棲するものかどうかは疑問とせられている。と記されている。
※ 樺太博物誌はふみたさんから知らせていただきました。樺太(サハリン)はユキヒョウの生息地域からは離れすぎていますともおっしゃっています。
 ユキヒョウはロシア国内でもバイカル湖より東の地域からは知られていない(Guggisberg,1975)ので、サハリンはもちろん、アムール地域にもユキヒョウはいないだろう。間宮海峡凍結のときにアムールヒョウがサハリンに渡った可能性はあるが、目撃例は知られていない。

 大型ネコ族で一番生態がわかっていないのがユキヒョウだが、これは容易には人が近づけない峻厳な地域を住処とするからだ。日本の動物園でもけっこう見られるのがむしろ意外なくらいで、野生のユキヒョウの写真撮影に初めて成功したのはシャラー(1977)だった
 生息域の垂直分布は北方では標高600〜4000m、南方では1800〜5800m。いずれの地域でも冬は草食獣を求めて低い方へ移動する。北部では年中600mくらいの低地にいる地域もある。また中央アジアでは砂漠の山麓やオアシスにも出没する。

 ネパールの Langu Geoge で Gary Ahlborn はユキヒョウが雄のアオヒツジ Bharal を襲うところを目撃している。
 100mばかりの追跡で追いついたユキヒョウが、アオヒツジの腰に左の前足を引っかけて咬みつくとヒツジは腰砕けに崩れ、仰向けに転倒した
 ユキヒョウは他のネコ族よりも走って追いかけることが多く、200〜300mの追跡も珍しくない。切り立った崖や急勾配の坂など険しい地形では追われる方も全力で走るわけにはいかないのかもしれない。
 ユキヒョウは野生のヤギ・ヒツジ類、それにジャコウジカ、イノシシ、ガゼル、野生ロバなど比較的大きな動物を獲物としており、しかも成獣を狙うことが多い。亜成獣のユキヒョウ(20kg)が雄のバーラル(55kg)を殺したこともあった。

 シャラーによればネパールではユキヒョウの獲物の50〜70%がアオヒツジで、また家畜が9〜13%を占めていたが、アオヒツジのいないパキスタン北部では40%がマーコール(野生ヤギ類)で、45%が家畜だった。モンゴルでは60%以上がアイベックス(野生ヤギ類)だったが、タルバガン Marmot も20%近くあり、家畜は少なかった(5%以下)。
 また中国西部でもアオヒツジ、アイベックス、タルバガンが多く家畜は少ない(Joseph L. Fox, 1992)。
アオヒツジ Bharal
肩高70〜90cm、体重50〜80kg。中国西部やヒマラヤの山岳地帯に群で棲む。

 天山山脈西部で、2歳のヒグマ Isabelline Bear が2頭のユキヒョウに殺され、食べられていたのが見つかっている。クマは草の根などを掘り起こしているときに襲われたようだった。ユキヒョウはクマの体の後部や内臓を食べていた。そこでユキヒョウはノロジカを待ち伏せていて、クマを見つけたのだった(Heptner and Sludskii,1992)。

 昔は、ユキヒョウは木に登れないと誤って伝えられていた。木の少ない開けた地域や岩場に棲んでいるので、めったに木登りが目撃されないからだろう。
 またユキヒョウはほとんど吼えないと言われる。咆吼(Roar)は大型ネコ族とヤマネコ類を区別する特徴の一つであるだけに注目すべき点とされていたが、怒った時には深い声で吼えるようである。
 ユキヒョウは優れたジャンプ力を持っている。6mの高さにまで跳躍できると言われる。これは大きな一跳びで飛び上がるという意味ではないだろうが、ピューマ並のハイジャンプであることは確かだろう。また下方向(downhill)ながら、幅15m以上もある岩の裂け目を飛び越えた目撃例もある。

 ユキヒョウは飼育下ではおとなしくて慣れやすいことで定評がある。大型ネコ族の内ではピューマ以上に慣れやすいと言われる。だいぶ前のことだが、横浜の野毛山動物園で飼われていたユキヒョウは、飼育係が入ってくるたびにじゃれついてきて彼を困らせたそうだ。
 野生でも人を襲った例は知られておらず、家畜を狙って農家に近づいたユキヒョウが、棒や杖を持った子供に追われただけでも逃げる。

 冬の3、4ヶ月は地域によっては家畜はユキヒョウにとって重要な餌である。そしてこれが現地の人々には大きな打撃となっている。
 1990年にモンゴルの8のコミュニティでヒツジ・ヤギが13頭、ウマが16頭、ヤクが7頭、ユキヒョウに殺されている(シャラー)。これは彼らが所有していたウマの17%、ヤクの12%に当たる。
 ある牧畜業者は300頭のウマを飼っていたが、8ヶ月の間に21頭をユキヒョウにやられてしまった。内19頭は子ウマだった(シャラー、1994)。
 ヤクやウマは放牧されているので、しっかり見張られているヤギやヒツジよりも多く襲われるようだ。
 しかしヤギやヒツジの囲いに入り込んだユキヒョウは一度に多くの動物を殺すことがある。インド北部 Ladakh での調査(1983年から84年の冬)では40ある村の内、15箇所で20回の襲撃があり、雌のヤク1頭、ヤギ・ヒツジ合わせて95頭がユキヒョウにやられてしまったが、そのうち1箇所では34頭も殺された(Joseph L. Fox, 1992)。
 ネパールの Manang では大半の村人が平均国民所得(160ドル)より少ない収入しかなく、彼らの3分の1以上がユキヒョウによって家畜(多くがヤギ)を殺された経験があり、その平均損失額は平均国民所得の4分の1にもなる(Sunquist, 2002)。


 インド、Ladakh の Hemis National Park でドキュメンタリーを制作していた一行は、ユキヒョウが4頭のドール(アカオオカミ)に近づき、ドール Dhole が食べ始めたばかりのヤギを横取りするところを見ている。ヤギをくわえて去ってゆくユキヒョウの後を、ドールは吠えながらしばらくは追っていたが、取り返そうとの実際の試みはなされなかった(J. Gruisen, 1993)。
 ユキヒョウの分布域のほとんどはオオカミ(チベットオオカミ)とオーバーラップしており、オオカミは標高5000mの高山にまで出没するので、両者はかなりの頻度で競合すると見られる。直接対決は知られていないが、両者が獲物とする動物は共通している。またこれらの地域でオオカミが家畜に与える被害はユキヒョウによるものより甚大である(Sunquist, 2002)。

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