極東ロシアのタイガにはトラとヒグマが生息している。通常、両者は互いに相手を避けているといわれるが、食糧事情の厳しい時期にはそうとは限らない。ヒグマはトラの獲物を奪おうとし、トラはヒグマを獲物と見なして襲うことがある。

 ハンターの V. P. Sysoev(1960)は Sikhote-Alin で大きなヒグマが雌のトラを殺して食べたことを記録している。トラがしとめたイノシシをクマが奪おうとして戦いとなり、クマがトラを殺した。深刻な傷を負ったにもかかわらず、クマはイノシシを食べ、さらにはトラをも食べたという。
 この経験からか、後にハバロフスク博物館長となった Sysoev は読売新聞のインタビューに応えて、ヒグマはトラを殺し、その肉を食べると語った。ハバロフスク博物館には両者の戦いにまつわる展示があるとのことだ。彼はハンター時代には100頭以上のクマ、60頭のトラを撃っている。その中には体重384kgのシベリアトラが含まれている。

 トラとヒグマが戦った例がある。
 丘を転げ落ちつつ両者は咬み合い、草叢とブッシュを踏みしだきながら、200〜300mをくんずほぐれつ、転げ回ったが、遂にトラはヒグマを殺した。しかしトラもかなり傷ついたらしく、抜け毛の塊がそこここに撒き散らされていた。プルツェワルスキーがハンターから聞いた話である(小原秀雄、1970)。

 1940年2月、カプラノフは巣穴で休んでいた雌のヒグマ(とその子)が雌トラに襲われるのを目撃している。トラはヒグマの前足に噛みついて穴から引きずり出し、頸の骨を咬み折って殺した。トラは8日以上かけて、頭や手足、太い骨などを除いて母グマを食べ尽くした。2頭の子グマ(30kg)も殺されていたがトラは口を付けていなかった(Guggisberg, 1975)。
 カプラノフ(1948)によるとこのヒグマは小さかった(推定100kg以下)。彼はトラがクマを襲うことは考えられているよりも頻繁であるという。彼は真冬にもかかわらずトラがヒグマの後を追っている足跡を何度も発見した。深い雪の中を何故かうろついていたクマを偶然トラが見つけたか、または一度穴から引き出され、逃げ出したクマをトラが追いかけていたのかもしれないと考えた。
 1941年1月、カプラノフは非常に大きなヒグマがトラの家族(母子?)と出くわしてすぐさまその場を走り去っているのを確認している。このクマは雄のトラの足跡を見つけた時もUターンして引き返していた。

 ブロムレイ(1965)は、1951年5月にウスリーで雌のトラに喰い殺されたヒグマの死体(体長158cm、推定体重170kg)を発見している。トラは3、4日そこに留まって背や腿の脂身を食べ尽くしていた。
 1940年からトラがヒグマを襲う回数が次第に増加し始めた。これは極東ロシア南部の森林に生息する有蹄類の数が全般的に減少しているからのようだ。ブロムレイはトラは食物不足をクマで補っていると考えている。

 トラは時には自分よりずっと大きなクマを攻撃することがある。しかしトラが常に勝利するわけではない。1913年に Bol'shoi Sinanche 川流域で大きなヒグマがトラを打ち負かしたことがある(Heptner and Sludskii, 1992)。
 1956年にハバロフスクで3歳のトラが獲物(イノシシ)を奪おうとしたヒグマと戦い殺された(Krivopusk, 1957)。また1960年にはシホテアリン保護区で若いトラがクマの餌食となった(Abramov, 1962)。

 A. G. Yudakov(1987)は大きな雄のヒグマが眠っている穴に近づきつつあったトラが、25mほど来たところで踵を返して退却したらしい足跡を見つけている。たいして覆いのない穴だったのでそこの主に気が付いたようだ。
 また彼はトラの足跡を見つけたヒグマが突然向きを変えて元来た道を戻った例も挙げている。どちらも危険を回避しているということだろう。

 アメリカの Hornocker Wildlife Institute とロシアの Sikhote-Alin Biosphere Reserve はシベリアトラの絶滅を防ぐために、1989年に共同で Siberian Tiger Project を興した。そして2年余りの準備を経て、1992年に始まっている。

 1992年夏、Dale Miquelle と Dimitri Pikunov が新たにタグを取り付けた若い雌のトラを追跡していた時、大きなヒグマがそのトラの獲物を横取りし、トラは近くに潜んでクマが立ち去るのを待っていた。
 Peter Matthiessen(2000)によると、冬眠あけ間もないヒグマはしばしばトラの後をつけ、その獲物を盗もうとする。多くの餌を必要とする子連れの雌トラにとってこれはやっかいなことである。
 トラは獲物を捕らえると、普通それを食べ尽くすまで長くそこに留まる。待たされて欲求不満を爆発させたクマが獲物の残骸に糞をまき散らしていたことがある。時にはトラが立ち去る前に挑みかかり力ずくで奪う。
 同プロジェクトでは大きなヒグマがトラの獲物を奪うことが何度も観察されている。
 しかしクマは逆に餌食とされてしまうのを避けるため、主に雌のトラを相手に選んでいるようだという点で関係者の意見は一致している。プロジェクトのメンバーから Dale と呼ばれていた雄のトラはクマを常食としていた(Tigers in the Snow)。

 サイベリアン・タイガー・プロジェクトのリーダー、Dale Miquelle にちなんで名付られた雄トラ Dale について Maurice Hornocker と Howard Quigley が Erwin A. Bauer(2003)に語ったところによれば、クマ殺しに精通したこのトラはアカシカやイノシシなどが不足していない時でさえ、自分のほとんど倍もある(原文のまま)ヒグマの後をつけ捕食していた。
 彼らはトラを追跡して8頭のクマの死骸を確認したことがある。猛烈な戦いが展開されたと推察されたのは1例だけで、あとはトラはたいして苦もなくクマをしとめていた。
 天敵の脅威にさらされることもなく徘徊・採餌しているヒグマに油断があったとしか考えられないと彼らは言う(The Last Big Cats)。

 Siberian Tiger Project のメンバーとして'95年以来、ロシアのシホテ・アリンで活動している John Goodrich はトラやクマを捕らえ(彼らの研究対象にはクマも含まれている)、体重などのデータを採った上、発信器付の首輪をかけ、追跡調査を行っている。
 John Goodrich(私信)によると:
 Dale(最も重い時で206kg)は確かにヒグマやツキノワグマを頻繁に捕食していた。このトラに殺され食べられたクマの体重はせいぜい推定するしかなかったが、Dale が自分よりも大きなクマを殺した例はなく、倍もあるヒグマを殺したなどというのはかなり大げさだ。
 Dale がしとめた最大のクマは成獣の雌のヒグマだが、このあたりの雌のヒグマは400ポンド(約180kg)を超えることは稀である。彼(Bauer)が言うような戦いは確かにあった。しかしクマには天敵がいない云々との彼の結論は私(Goodrich)には無意味だ。

 Goodrich との通信に当たっては the3person さんの協力を得ました。

 文学者で優れた観察者でもあったバイコフは、トラは岩や倒木の上でクマを待ち伏せ、上から襲いかかると言っている。前足の爪を顎の下と喉に食い込ませ、首筋に咬みついて殺す。このようにしてトラは自分とほぼ同大のクマをも餌食とする。
 事前に危険を察知した場合、クマは近くの木に逃げ登って難を避ける(バイコフはツキノワグマのことを言っているのだろうか?)。しかしトラは諦めてその場を立ち去ったように見せて他の場所に潜み、クマが降りてくるのを待っていることがある。
(In mountains and woods of Manchuria, 1915)
 またバイコフは、ツキノワグマの繁殖期にトラが雌のクマの声をまねて雄のクマをおびき寄せることがあるという。

 1952〜1959年にシホテ・アリン中部で冬眠中のヒグマをトラが襲った例が15以上あったがトラに殺されたツキノワグマは3例しか知られていない。ツキノワグマはトラの入りずらい樹洞の中や狭い岩の間で眠るのが普通なのでトラに襲われることが少ないようだ。

 また冬眠中だけでなく、他の季節にもトラがヒグマを襲うことがあるのが判った。クマの毛が春から秋にかけて(4月、5月、11月)のトラの糞の中に見出されているからである(ブロムレイ)。
 最も大きなヒグマは、トラの爪によって傷だらけとなって穴から追い出されるとシャトゥーン(穴もたず)となってタイガをうろつき始める。ブロムレイはそのような例を2度(いずれも早春)聞いている。
 ロシア極東における Abramov(1962)のトラの食性調査によると、シホテ・アリンでは59例中の5例、プリモルスキーでは40例中の2例がヒグマだったが、ツキノワグマは含まれていなかった。
 Tiger Conservation Project によれば沿海州では幾年か前には年間370頭のクマ(ヒグマ+ツキノワグマ)がトラに殺されていたと推定している。これはトラの獲物の6−7%に当たる。

 ヒマラヤではクマはトラの通常の獲物の一つであると思われている(バートン、1933)。しかしサンカラ(1977)はこのことについては確証がないという。彼自身もインド南部のカルナタカでトラの足跡とともにクマの爪痕も発見して、トラがクマを殺して引きずって行ったのだろうと考えたが。
 インドの Nagarahole での観察ではトラは13種以上の動物を捕食していたが、そのうち95%以上はガウル、イノシシ、そして3種のシカで占められていた。残りのごく少数の中にナマケグマやドールが含まれていた(K. U. Karanth,2001)。
 V. Thapar(1998)はトラとナマケグマは距離を保っているようだと見ている。彼はクマがトラの近くを通りすぎるのを何度も見たが、何も起こらなかった。ただ1度、気の短いトラがクマを攻撃して追い払っただけだった。Erwin A. Bauer(2003)もトラとナマケグマの間にはあたかも休戦協定があるかのようだと語っている。極東ロシアとは異なり、南アジアではトラはクマを獲物とは見ていないようだ。バートンは特定の個体を指しているのかもしれない。

 G. P. Sanderson(1912)は頻繁にナマケグマを襲うトラがいたことを報告している。クマが夢中で食べている時に背後から襲いかかり、地面に打ち付け、首を咬んで殺すという。
 これと似た方法でナマケグマを何度も獲物にしているトラがネパールのロイヤルチトワン国立公園で、Dave Smith(1984)によって報告されている。
 ツキノワグマは時には仔ウシを殺したりするが、ナマケグマはトラの食べ残しを漁ることはあっても他の動物を捕食することはない。しかしトラの攻撃に対して激しく抵抗することがある。
 ブランダー(1923)はトラに襲われたらしい深い傷を負ったナマケグマを見つけている。そしてまだ生きていたことからトラを敗走させたものと考えた。
 Arjan Singh(1973)もクマはやはりトラに喰われることあると言っている。彼自身、自分の家の近くで雌のトラがナマケグマを襲い、ほぼ半時間かかって殺しこれを食べるのを目撃した。
 スミソニアンの K. Yoganand(2001)も雌のトラがナマケグマを襲って捕食したのを確認しており、トラはクマにとって脅威であるとしている (ZooGoer)。

 クマは木に登ってトラから逃れることは出来るが、走り方がぎこちなく遅いので、時にはトラに追い付かれてしまう。
 極東ロシアではトラに追われて木に逃げ登り、一昼夜以上も樹上にいたツキノワグマがトラ狩りのハンターグループに発見されている(ブロムレイ)。
 ロシアのウスリーで、トラに襲われたクマが木に逃げ登ろうとしたが追いつかれ、猛烈な戦いとなったものの、なんとかトラの爪を振り切り脱出に成功したことがある。(Manchurian Tiger)
 カンボジアではトラとツキノワグマが川の中で戦っているのが目撃されている。トラはクマをしとめると死骸を森の中へ引きずっていった (felidae.org, 1998)。
 ネパール・テライのゾウの集合場所で、一対のクマが雌のトラを追い払うところがハンターの Smythies によって記録されている。またウッタール・プラデシュのラムナガール地区ではクマが、トラの獲物を横取りしていることがあるという(サンカラ、1977)。

 コーベット(1954)はクマがトラの獲物を盗むところを2回目撃しているが、いずれの時もトラは不在だった。しかし3度目は、まだトラが食べ始めたばかりの時にクマが現れた。それは彼が見た中で最大のツキノワグマだった。クマは腹這いになって慎重に近づくと、ウシを食べていたトラに挑み、3分ほどで追い払った
 トラが窪地から飛び出してきた時、コーベットはとっさに発砲したが、トラはそのまま逃げ去ってしまった。銃声が渓谷にこだまして大音響となり、逃げ出したトラの後を追ってきたクマを彼に向かわせた。
 コーベットはこの偉大なクマを撃ちたくはなかったがやむを得なかった。クマは首に数カ所、骨に届く傷を負った上、鼻が半分なくなっていた。鼻を引き裂かれた激痛にクマが逆上し、トラを怯ませたようだった(Temple Tiger)。

人食いではなかったがウシ殺しのトラを追っていたコーベットは、大きなクマがトラに近寄るのを目の当たりにした。
ナマケグマ Sloth Bear

 コーベットはツキノワグマがヒョウを追い払ってその獲物を横取りするところを2回見ている(Temple Tiger, 1954)。Gary Brown(1993)は、具体的な例は示していないが、ナマケグマもヒョウから強奪することがあると述べている。
スリランカの Yala National Park で Lakshman Nadaraja が木に登っている若い雄のヒョウを撮影していた。近くにはヒョウが殺したスイギュウ(子)の死骸があった。そのとき、ナマケグマが音を立てて死骸に近づいてきた。これを見たヒョウは木から飛び降りて獲物を守ろうとした。
 ヒョウは腹這いで唸りながらクマに近づき飛びかかった。しかしすぐにはねのけられて後退した。その後クマはまだ近くにいたヒョウの存在を全く気にかけず1時間半ほども食べ続けた。満足したクマはもと来た道を歩み去った。(Sri Lankan Sloth Bear)

 充分に食べた後だと本気で獲物を守ろうとしないことがあるのは、ライオンとハイエナ、オオカミとグリズリーの間でしばしば見られる。
 やはりスリランカでまだ食べてる最中の雌ヒョウがナマケグマから獲物を守ってクマを追い払ったことがある。
 この時、クマは死骸の匂いに惹きつけられてヒョウがいることに気が付かなかったのかもしれない。死骸に口を付けようとしたときに、怒ったヒョウの攻撃を受け、引き返している。
(Sri Lankan Leopard)

 スリランカの Yala National Park で狩猟監視員をしていた P.P.G. Premadasa はヒョウとクマが共に死んでいるのを発見している。双方の死体には爪と牙による複数の傷があり、またすぐ側の木の幹にも爪痕が残されていた。木に登っていたクマが降りようとした時、ちょうど登り始めていたヒョウと出くわし(あるいはその反対)、たがいに譲らず争いになったらしい(Memoirs of a game ranger)。※ 熊澤さんから教えていただきました。

 シンガポール大学の G. Frederiksson(2005)によればナマケグマがヒョウに捕食されたことがあった。ナマケグマは自らがかなり攻撃的であり、またさほど樹上に依存した生活をしていないので、ヒョウの脅威を感じてもすぐには木に逃げ登ろうとはしないという。


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