1961年7月、ニューメキシコのウェスタン大学教授・ツィンメルマンは、冷たく曇った朝遅くにムハブラ山の標高3,600mほどの地点でゴリラの家族(雄・雌各1、子供2)を観察していた。
 やがて雌と子供は移動して茂みの陰に見えなくなったが、雄は仰向けに寝転がっていた。教授の双眼鏡は、雄ゴリラから少し離れたところに、雄ゴリラを熱心に見つめているクロヒョウの姿を捉えた。
 クロヒョウは雄ゴリラの方へ、慎重に近づいていた。90m以内まで近寄ると、ヒョウはさらに姿勢を低くし、いっそうこっそりと忍び寄り始めた。しばらくして教授は改めて双眼鏡をゴリラの方に向けたが、いつのまにかゴリラは姿を消していて、見あたらなかった。数分後、雄のゴリラがどんどん上へ登って遠ざかるのを確認した。以前に何頭かのゴリラを殺したことが明らかなこのクロヒョウも今回は失敗したようだ(シャラー「マウンテンゴリラ」、1963)。

 ザイールとルアンダ、ウガンダの国境付近のビルンガ火山群はマウンテンゴリラの保護地として有名だった。
 1958〜1960年には日本の京大の調査隊が入り、1959〜1961年にはアメリカのシャラーが調査を行っている。

 これらの調査隊の世話をした現地のホテル主で1955年からこの地域に来ていた Walter Baumgartel(1965)は、ヒョウが近所に生息していることは知っていたが、彼のホテル近くの火山地帯でゴリラがヒョウに襲われた話は聞いたことがなかった。
 しかし、1961年の2月に雄ゴリラの死体が部下のガイドによって発見された。ヒョウがゴリラの寝込みを襲ったらしかった。太腿の付根に大きな傷があって腸が露出しており、首に致命傷となった噛み傷があった。
 ゴリラは夜になるとめいめいが巣を作りそこで寝る。雌や子は樹上に、雄は地上に寝床を作る。木の枝や葉、草などを体の脇にかき寄せただけのベッドであるが。
 どうやらヒョウは寝ているゴリラの脇腹あたりに噛み付き、驚いたゴリラがヒョウをつかんで頭を噛もうとしたとき、逆に首に噛み付いたようだった。
 シャラーもゴリラがヒョウに殺されたと聞いて驚いている。ゴリラはヒョウよりはるかに大きくて力もあるが、人間並に痛さにも敏感でヒョウに噛みつかれて気が動転し、何もできないまま絶命してしまったと思われた。
 このゴリラは食べられていなかった。ゴリラを発見する少し前に、血の中に倒れているダイカー(小型のレイヨウ)を見つけている。まだ息があった。ガイドらはまさにヒョウの殺しの瞬間を邪魔したようだった。ヒョウは何故ゴリラとダイカー、2頭を殺したのだろうか?

 この事件から3日後、ガイドらは今度は1頭の大きなヒョウが別のゴリラを食べているのを邪魔してしまった。これは雌で先の雄のゴリラとほぼ同時期に殺されたものらしかった。
 これより以前から、ヒョウがゴリラの子を殺すという報告はあった。しかしおとなのゴリラがヒョウに殺された事件が確認されたのは今回が初めてで、これだけでヒョウがゴリラの天敵とはいえないが、ゴリラが意外に楽な相手とわかればヒョウは続けてゴリラを襲う可能性がある。

 Baumgartel によればこのゴリラ殺しは大きなクロヒョウだった。さらに数ヶ月後にもばらばらに噛み裂かれたゴリラの死体が見つかり、加害者は同じクロヒョウと断定されている。
 保護区の管理官はそのヒョウはいずれ、遅かれ早かれ、大きな雄のゴリラとぶつかり殺されてしまうだろうとの見通しを持っていた。
 しかしこの考えは甘かった。Baumgartel はこの後も少なくとも7頭のゴリラがこのヒョウの餌食となったと確信しており、死骸が見つかっていない犠牲者はもっと多いだろうと語っている。

 不意を突かれたゴリラが反撃らしい反撃もできず、ヒョウに殺されてしまうのは彼らの日常が戦いとは縁がない平和なものだからかもしれない。
 しかしゴリラをよく知る現地人は、ヒョウの最初の攻撃を外し得た場合、雄のゴリラはヒョウの横面に張り手の一撃を加えて殺してしまうと言っている。
 Ben Burbridge は、ビルンガ火山群が国立公園に指定される前に、ゴリラを生け捕りにするために訪れた時、現地人からヒョウがゴリラを襲った話を聞かされた。ある夜に起こった戦いはヒョウの死で終わったという(Guggisberg, 1975)。

←クロヒョウ ヒョウとは別種ではなく単なる黒色型で、普通のヒョウから生まれることもある。インド南部やマレー半島、エチオピア、中部アフリカの熱帯林に多い。

オランウータン vs ウンピョウ

 1972年4月から9月にかけて、1頭のウンピョウに子供から亜成獣まで7頭のオランウータンが殺された。スマトラ北部で捕らえられていたオランウータンを野生に帰す計画を実施していた最中の出来事だった。痛ましくはあるが、ウンピョウのような小型の猛獣でも類人猿に対して、どれほど強力な存在なのかを物語っている(小原、1980)。
 オランウータンはボルネオとスマトラにしか生息していない。だからヒョウとの顔合わせはない。スマトラにはトラはいるが、樹上生活者のオランウータンと出くわすことはなさそうだ。

 オランウータンは霊長類ではゴリラについで大きいが、その体格には大分差がある。ボルネオ産の雄10頭の測定では身長124−137cm、同じく雌4頭は107−122cmだった。スマトラ産の雄で157cmの記録があり、ボルネオ産では180cmに達したものがあったという(Carwardine, 1995)。
 また平均体重は雄で75kgくらいで、雌はその半分ほど。ボルネオ産の雄で200kg近いものがいたと聞いたことがある。詳細は記載されていなかったが真偽のほどは疑わしい。
 1959年、ニューヨーク動物園にいた Andy という雄を計量したところ204kgもあった。もちろん運動不足ゆえの太りすぎである(O. ブレランド、1963)。
 オランウータンの腕は非常に長く、雄は左右に伸ばすとその開きが2.4mに達する。強い腕のおかげで重い体を枝から枝へ容易に移動することができる。ボルネオの原住民の話ではワニに襲われてもその口に両手をかけて引き裂いてしまうという。小さなワニなら可能性はあるが。しかしオランウータンとワニが出会うことがあるのだろうか?

 ウンピョウは大型ネコ属 Panthera とヤマネコ類の中間的な存在とされていたが、最近の研究では、パンテラ属とはかなり古い時代に分岐しており、すでに500万年前には現在種のウンピョウが出現していたという(Sunkist, 2002)。
 ウンピョウは大きな牙を持っている。上顎の犬歯は44mmもあり、頭骨全長(175mm)の4分の1に達する。
 ウンピョウよりはるかに大きいライオン(頭骨全長330−400mm)やトラ(同300−380mm)の牙は50−70mmくらいであり、ウンピョウは現在のネコ科では、体の割に最も長い牙を持っているといえる。しかしサーベルタイガーの末裔か? というのは大げさだろう。

インド東部、シッキムのダージェリンで捕獲された雄は:
 体長94cm、尾長76cm、肩高53cm、体重22kg。
ネパール・タイ産の雄4頭は:体長95−108cm、体重18−20kg。
タイ産の雌では:体長94cm、尾長82cm、体重11.5kg。


 ウンピョウはインド東部から中国南部、インドシナ、マレーシアにかけてとスマトラ、ボルネオに分布する。海南島、台湾にもいる。
※ 台湾では既に絶滅しているのではと上田さんから指摘されました。台湾では1983年以降目撃されていない(Sunkist, 2002)。そしてIUCNのRed List(2013)では台湾では絶滅したと明記されています。また海南島でも絶滅したようです(旭山動物園情報サイト)。

 戸川幸夫氏は西表島でヤマネコを探している時に、イリオモテヤマネコとは別のもっと大型のヤマネコがいるとの噂を聞いたが、実物を発見することはできなかった。
 Guggisberg(1975)はこれはあるいはウンピョウではなかったかと述べている。う〜ん、そうあってほしいが……。

 2007年9月、西表島に滞在していた大学教授が、ヒョウのような模様のある非常に大きなヤマネコを目撃したと琉球新報が伝えている。現地ではこの大型のヤマネコをヤマピカリャーと呼んでいて昔からごく稀に目撃されるという。
※ @ざりがにさんから知らせていただきました。

 ウンピョウほどの大型の肉食獣が狭い西表島に生息するとは考え難いことである。ごく稀に見つかっていると言うことは、イリオモテヤマネコの特に大きな個体だったのではとの疑問を拭いきれない。

 東南アジアのボルネオ島とスマトラ島に生息する大型のネコ科動物ウンピョウが、中国南部やインドシナ半島のウンピョウとは別の新種だったことが遺伝子分析などでわかった。世界自然保護基金(WWF)が発表した。
 WWF によると、米国立がん研究所の研究者らが、ボルネオ、スマトラ両島に住む個体と、大陸部に住む個体の遺伝子(DNA)を比較した結果、その配列に40か所の違いがあった。
 英国の調査では、皮膚の雲形の斑点にも明確に異なる特徴があり、両島の個体は大陸部のものよりも色が暗いという。
 新種は大陸部の集団から約140万年前に分かれたとみられ、ボルネオ島には5000〜11000、スマトラ島には3000〜7000頭が生息していると推定されている(2007年3月17日 読売新聞)。
※ このニュースはわたぴーさんから知らせていただきました。


イリオモテヤマネコ 体長55−60cm



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