インドの皇太子が宮殿にピットを設え、そこでトラとスイギュウを戦わせたことが何度かあった。トラはいつもスイギュウの攻撃を避けるだけで、戦おうとはしなかった(Ivan Sanderson, 1969)。

 O. ブレランド(1963)もインドで行われていたトラとスイギュウの試合では、常にスイギュウがトラを突き殺して勝利を収めていたと書いている。そしてスイギュウも重傷を負い、苦痛を長引かせないために殺されなければならなかったという。

18世紀後半のインドでおこなわれたトラ対スイギュウの戦い。パビリオンの2階で見物しているのはムガール帝国の太守とその家族。

 Victor Narayan はインド北部の Cooch Behar で1対のトラと巨大なスイギュウが向き合っているのを目撃した。トラはスイギュウの左右から攻撃を試みたが、そのたびにスイギュウは角を振るってトラを近づけなかった。戦いは数百メートルほど移動しながら続けられた。
 1頭のトラがスイギュウに近づきすぎた時、大きな角の強烈な一撃をまともに食らってしまった。そのトラはすぐに死んだようで、もう1頭はこれ以上の攻撃を断念してその場を去った (Maharajah of Cooch Behar, 1908)。

 ある時、雌のスイギュウが雄のトラをボウリング・ピンのように突き飛ばし、大きな木の太い幹にぶつけた。角で何度も突き刺し、さらには持ち上げて地面に叩きつけ、踏みつけた。
 最後にトラをまるで一束の藁のように放り投げた。ハンターでナチュラリストでもあった W. R. Foran(1933)がインドで目撃した事件である。

 1969年にアッサム州のマナス保護区でトラと雄のスイギュウが一晩中戦った末、翌朝、両方が同じ場所で死んでいた(サンカラ、1977)。

 ブランダーによれば、トラは18mほどの距離から3回の短いジャンプで、スイギュウの首を狙って突っ込み、行動を起こそうとしていたスイギュウはその衝撃でもんどり打って倒れた。
 スイギュウは起き上がろうともがいたが、トラがその頭を地面に押さえつけていたので再び倒れ、首を自分の体重で折っていくような格好になっていた(シャラー,1967)。

 コーベット(1944)が囮に使った若い雄のスイギュウはトラの方を向いていたので、トラは左側へダッシュしてスイギュウを誘い、すぐに身を翻して右側から飛びかかった。
 双方は一声も発せず、ただぶつかり合う音だけが聞こえた。やがて2頭はもつれ合って倒れ、トラがスイギュウの上に半ばのしかかって喉に噛みついているのがわかった(Man-Eaters of Kumaon)。

 ジョージ・ホーガン・ノールズはトラが野生のスイギュウの雄をおびき出した話を書いている。トラは丈の高い草の中にうずくまって、雄のスイギュウの吠え声をまねたのだった(繁殖期だったのかもしれない)。地面を引っ掻き、砂煙を舞い上がらせていかにも猛り狂った雄ウシの振る舞いを工作した。
 相手のスイギュウがこれに応ずる声をあげると、トラは隠れたまま再び挑むように吼え、怒った相手はついに地面を踏みならして突進してきて−あっという間に殺されたのだった(リーダーズダイジェスト、1966)。

 野生のスイギュウは家畜のものより大きく、角も大きいだけでなく、先端が前方を向いているので武器としていっそう強力である。発情期に野生のスイギュウの雄が、家畜のスイギュウの雄と争い何頭も殺したことさえある(小原、1968)。
 インドスイギュウ Indian Wild Buffalo はアフリカのスイギュウに比べてずっとおとなしそうに見える。スイギュウの群が池の中で休んでいるのどかな田園風景からは、これがアフリカスイギュウに劣らぬ猛獣であるとは思えないかもしれない。

 戸川幸夫氏(1980)はインド東部、プラマプトラ川沿いのカジランガ湿原で野生のスイギュウと家畜のスイギュウが入り交じっているのにぶつかったことがある。周辺の住民は自分の飼っている雌のスイギュウが発情すると草原に放して、野生の雄スイギュウが出てきて交尾するのを望んでいるとの話を聞いていた。強い子を得るためである。
 まだこのことを知らなかった時に戸川氏は、車から降りてスイギュウを撮影しようとしたら、雄のスイギュウが突然襲ってきたのであわてて車に乗り込み、事なきを得た。住民が飼っているスイギュウは危険はないが、野生のスイギュウはあぶないという話をスイギュウに追われる車の中で聞かされた。
 現地の人はスイギュウが野生のものか、家畜なのか見分けがつくようだった。

 そして家畜のスイギュウ Water Buffalo でさえ、時には激しい野生の気性を見せることがある。
 ナチュラリストのダンバー・ブランダーは、家畜のスイギュウの群がトラを攻撃するところを目撃した。羊を狙って侵入してきたトラをスイギュウの群が見つけ、雌たちは雄を先頭に押し出したのだった。
 雄のスイギュウは雌にけしか けられたように発奮して突進し、トラを地面にたたきつけた。起き上がろうとしたトラを蹄にかけて踏みにじった。その後に雌たちが次々と襲いかかり、トラを角で突き上げ、踏みつけ、ついにはトラは形を無くしてしまうほどに無残な死に方をした。

 ジャック・D・スコットは群からはぐれたらしい家畜だが大きなスイギュウが、村へ帰る途中にトラに襲われたのを目撃している。草むらに潜んでいたトラは、2、3度跳ねたかと思うと突然9mも跳び、カタパルトから発射されたような猛烈な動作でスイギュウの背に飛びついた。
 トラは片方の前足の爪をスイギュウの肩にかけ、牙を首の後に打ち込み、もう一方の前足を鼻に引っかけて、首を下へ引っ張った。狼狽したウシが前のめりになるとトラは後脚も使ってその体を倒した。スイギュウの首はたちまち折れた。

 インドスイギュウはアフリカスイギュウよりも大きい。ガウル(インドヤギュウ)やアメリカバイソンとならんで、野生ウシ類では最大だ。雄は肩高153−188cm。Maurice Burton(1972)によれば体重は時に2600ポンド(1180kg)に達する。
 インド北部、Cooch-Behar の Maharajah が撃った大きな雄は全長432cm(尾は97cm)、胴回りが325cmもあった。スイギュウの角は野生ウシ類では最大であるが、アッサム産が特に角が大きいといわれ、カーブに沿って長さ198cmの記録がある。

 南アジアに生息するスイギュウは家畜のスイギュウが野生化したもので、純粋な野生のスイギュウはインド東部、ネパール、スリランカの一部に限られており、その数は非常に少なくなっている(今泉吉典、1957)。

 コーベット(1954)はトラが1頭のスイギュウに襲いかかった時、他の4頭が仲間を救援するため一斉に攻撃したのを見ている。
 戦いはスイギュウが全滅するまで続き、傷ついたトラは血の痕を点々と残してその場を去った(Temple Tiger)。

 牛飼いの少年がスイギュウを放牧していた時、大きな雄のトラが現れてスイギュウの子を殺した。その死体を森へ引きずろうとしていたトラに母親のスイギュウが角で突きかかった。トラと母スイギュウの戦いに3頭のスイギュウが加わり、ウシの怒号とトラの咆吼が飛び交う乱戦となった。
 それから15分かけてトラは1頭ずつスイギュウを殺すと、子ウシの死体をくわえて歩み去った。トラが負傷したのかどうかはわからない。4頭のスイギュウは首が折れていたという。
 Pat Singh はトラが前足の一撃でスイギュウの首を折ったとしているが、これは大げさな表現だろう。打撃をくわえてから咬みついて捻り倒したのではないだろうか。


 3月初旬、若い雄トラ(3歳)は初めて成獣のスイギュウ(雌)を殺した。トラの怒号と共にスイギュウの苦悶の咆吼が森に轟いた時、コーベット(1944)は近くの丘陵にいた。足場の悪い藪を抜けてコーベットが辿り着いた時、戦いは終わっていて、トラの姿はなかった。トラはスイギュウの後脚を掻き裂いて引き倒していた。戦いは10−15分で終わったようだった。
 トラの足跡を追ってコーベットは岩に付いた血痕を見つけた。そこから数百メートル離れた倒木にも血が付いていた。スイギュウの角で頭に重い傷を負ったトラは、食欲をなくしてしまったようで二度と戻ってこなかった。
 このトラをコーベットが初めて見た時、1歳くらいに見えたが何故か独りで暮らしており、自ら狩りをしていた。
 十年余の後、ある村人がイノシシと間違えてトラを撃ち、手負いにしてしまった。見覚えのある足跡から、コーベットはそれがかつて何度も見かけた若いトラ Pipal Pani Tiger だと思い出した。彼の一弾に倒れたなつかしい老雄は−彼の懸念とは裏腹に−村人の銃弾で受けた傷はほとんど治癒していた。
 全長312cm(along the curves)に及ぶ立派なトロフィー、つやつやと良好なその毛並みに触れながら、コーベットは後悔の念を抑えることができなくなってきた。喉の奥から絞り出すような吠え声や、獣道に残された独特の足跡など−この15年の間慣れ親しんだこれらにもう出会うことはないのだと。

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