クマをこよなく愛した Ben East は大きなアラスカヒグマがアフリカ・ライオンと戦ったら…と考えることがよくあるという(彼があえて African Lion と書いているのはピューマを Mountain Lion と呼んでいるため)。
クマはゆうに1000ポンド(約450kg)を超え、一方ライオンはその半分もない。しかもクマはライオンと同じくらい早く動ける。分厚い毛皮にはライオンの爪もなかなか通らないだろうが、その下にはさらに厚い脂肪層とタフな筋肉があり、その上骨格は重々しく頑丈だ (Bears, 1977) 。
East は前足の一撃でクマが百獣の王の頭か首を砕くであろうと予測する。今日存在する大型ネコ類では相手にならぬと、彼の想いは氷河時代のホラアナグマとサーベルタイガーへと発展する…。
彼は19世紀にはるかなる西部でおこなわれたと言われるライオンとハイイログマの戦いのことは知らなかったのだろうか。
オズモンド・ブレランドは「うそとほんとの動物記(1948)」に、かつてカリフォルニアでライオンとハイイログマの戦いがあったと書いている。そして彼も詳しいことはわからないようで、単にハイイログマが勝ったと記している。 しかし同書の改訂版ともいうべき Animal Life and Lore(1963)ではライオン対ハイイログマの経過は不明であるとトーンダウンしている。記録が具体的ではないのかもしれない。 ブレランド自身は、この2頭を最高の体調で戦わせたら、血湧き肉躍る好取組であろう。ハイイログマは体重ではいくらかライオンに勝るが、ライオンの方も俊敏さにものをいわせて、いささかもひけをとるまい。しかしクマがうんざりして試合を放棄するのではないかと考える。 Carl Hagenbeck 動物園附属のサーカス→ |
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西部開拓時代のアリーナは時の労働者を興奮させたようだが、現代人の想像力をも刺激する。Storer と Tevis は On the Old West Coast (Horace Bell, 1930) に描かれたライオンとグリズリーの戦いを紹介している。
ロサンゼルスで捕獲されたハイイログマがメキシコのモンテレイに送られ、ピットでライオンと戦った。この時クマはまるでネコがネズミを扱うように簡単に素早くライオンを殺してしまったので、観衆は何が起こったのかすぐには理解できなかったほどだった(California Grizzly, 1955)。
カリフォルニア・インディアンの話ではグリズリーとピューマの戦いではピューマが常に勝利を収めている。ピューマはクマの肩に飛びつき、喉を引き裂くという(Great Bear Almanac, 1993)。彼らにキリスト教を布教していたイエズス会の神父たちは、インディアンたちが数世紀に渡って、ピューマの食べ残しをいただいて生活していたことを知ったのである(アニマルライフ23, 1983)。
古い時代の西部で、ピューマとグリズリーの戦いがいくつか目撃されている(California Grizzly, 1955)。
1840年代にカリフォルニア中部の沿岸部で3人のハンターが見たケースでは、運河に、橋を架けたように倒れていた木の上で両者が対峙していた。一方に小柄な雄のハイイログマ、もう一方に成長しきった雌のピューマがいた。クマは既に負傷していて、片方の目の周囲が引き裂かれ、血が滴っていた。 橋の中央で両者は激突し、もつれあって運河に落下した。表面に湧き上がった泡の下で2頭がまだ戦っているのが見えた。しかし5分ほどして浮かび上がってきた両者は既に死んでいるのが窺えた。そしてまもなく流されてしまった。 1873年に San Bernardino で目撃された戦いも壮絶なものだった。クマはピューマを掴んで地面に叩きつけようとするが、ピューマはクマの喉元に咬みつき、同時に後足でクマの胸や腹を引き裂く。たまらずクマはピューマを放してしまう。双方とも深く傷つき血まみれになった。やがてピューマは、倒れたままのグリズリーを残して、這うようにしてその場を去った。 |
![]() ピューマが食べ終わるのを辛抱強く待つハイイログマ 1865年にカリフォルニアの Castroville では生け捕られたピューマとグリズリーが闘技場で戦っている。 ピューマはクマの背に飛び乗り、咬みつきながらクマの目と鼻に爪を立てた。地面を転げ回ってクマはピューマを振り落とすが、クマが体を起こすやいなや、ピューマはまたその背に飛びかかった。この俊敏さがピューマに勝利をもたらした。Tracy Storer と Lloyd Tevis によればこれを目撃した Frank Post は当時6歳だった! |
シートン(狩猟動物の生活、1925)はバイソンとピューマだけがグリズリーに立ち向かえると書いている。さらにグリズリーにとって最も手強い相手はピューマであろうという。そしてエドワード・ファーガソンが聞いた以下のような戦いを紹介する。
アイダホ州で二人の鉱夫がハイイログマとピューマの戦いを目撃している。ピューマは子連れのメスで、ゆっくりとねぐらに向かって歩いてきたハイイログマを攻撃した。見上げていた二人はピューマが大きく跳躍し、クマの背中に飛乗るのを見た。クマは後足で立ちピューマを振り落とそうともがいた。 ついにクマが地面に転がるとピューマはクマから離れ、今度は喉元に狙いをつけた。2頭はのた打ち回り、崖っぷちを越え谷底へと落ちていった。二人の鉱夫は川床で2頭の死体を発見した。ピューマはクマの頬に噛み付いてぶら下がっており、クマは喉や背中、腹が引き裂かれていた。 それでもシートンはイーノス・ミルズが目撃したハイイログマがピューマの獲物(シカ)を横取りした例を引用しつつ、大きな雄のハイイログマには恐るべき敵などはいないと語っている。 |
![]() 満腹したピューマが1歩後退して前足に付いた血を舐め始めるとハイイログマが残りをいただく(アニマルライフ23, 1983) |
ピューマとアメリカクロクマが獲物を巡って争うということは、クロクマがピューマに対して時には高姿勢に出ることを示している。ピューマがしとめた獲物をクロクマが横取りしようとすることがあるわけだ。