ケニヤで1頭の雌ライオンが子供のサイに近づいた。一方、雄ライオンが雌のサイの真前を通りすぎた。おそらく雌ライオンにサイの子供を捕らえる機会を与えようとしたのだ。ライオンはこの策略をもう一度繰り返したが、サイの親子は用心深く体を寄せ合い、ゆっくりと丘を登っていった。その後、30分ほどのうちに3度、ライオンはサイの親子を切り離そうとしたが、とうとう諦めた。(グッギィスベルク, 1961)

 ゴッダード(1967)はライオンとサイの戦いを目撃している。まだおとなになっていない若い雄ライオンが成獣の雌のサイを攻撃したのだった。ライオンはサイの後足の膝の辺りに噛みつき、大腿部に爪を立てた。驚いたサイはぐるぐると走り回ってライオンを振りほどき、その胸のあたりを2回、角で突いた。ライオンは転がりうずくまってしまった。それからサイは、首を2度にわたって突き上げ、ライオンを殺してしまった。

 タンザニアではほぼ逆の例が観察されている。1958年、小さな木が生い茂るブッシュでまだ若いサイがライオンの群を攻撃したようだった。寝そべっているライオンがサイに追い立てられていやいやながら立ち退く姿は時々目撃されている。
 しかしライオンはいつも鷹揚なわけではない。このときライオンはサイの首を狙って襲いかかり、のしかかったためサイの首が折れ、転倒した。ライオンは一晩、サイの死体の近くで過ごしたが全くその肉を食べず、そのまま立ち去った。(小原秀雄, 1980)

Taylor(1999)はボツワナでライオンの群がサイを襲うところに遭遇した。サイは2歳くらいでライオンの攻撃を受けないくらいには成長していた。しかし叫び声を聞いて Taylor たちが駆けつけたときにはすでに押し倒されていた。サイはあちこちを咬まれて死んだ。
 彼はそれまでサイがライオンの餌食になることはないと考えていたが、少々修正しなければならなかった。その後ライオンの群が若いゾウやおとなのカバを殺すところも目撃した。

 1995年、ナミビアのエトシャ国立公園で、放浪ライオンによるクロサイへの攻撃が3回(6月・7月・9月)確認された。サイはいずれも肩高1.3m。3−4歳の亜成獣で死因は窒息だった。7月の攻撃は公園監視員によって直接目撃されている。水飲み場で1頭の雄がサイに近づき、向き合っている間に2頭の雄が背後に回り込んだ。攻撃開始後4分ほどで3頭のライオンはサイを仰向けに引き倒したが、サイが死ぬまでには40分ほどもかかった。その間に1頭の雌ライオンが攻撃に加わっている。3頭の雄ライオンは同じプライドで育った兄弟と思われ、その年の4月に新参の雄によってプライドから追放されていた(East African Wild Life Society)。


 2006年3月に南アフリカでライオンとシロサイの遭遇が何度か目撃されているWildWatch)。

 3頭の雄と2頭の雌、いずれも亜成獣のライオンが6頭のシロサイを取り囲んでいた。ライオンは自分たちの狩のテクニックをこれら非常に大きな動物を相手に試そうと決意したのだろうか。しかしそれはよい選択とはいえなかった。ライオンは最善を試みたが功を奏さなかった(Lara Hampton)。

 3頭のまだ若い雌ライオンが非常に大きなシロサイに向かっていた。彼らはシロサイを取り囲み、大胆な挑戦を敢行したが、サイは全く意に介せず、食事を続けていた。ときおり、うるさいと感じた時には少し移動し、鼻を鳴らした。ライオンたちの勇気ある挑発は10分ほどで終わり、サイを相手にするのを諦めて自分たちで遊び始めた(William Moss)。

 大草原の静けさが、突如荒々しい悲鳴によって破られた。7頭のライオンが若い(5歳)シロサイを襲ったのだった。雌ライオンがサイに蹴り飛ばされる中、ボス格の雄が攻撃の中心をなしていた。厚皮獣のタフな皮膚はライオンに難題を突きつけていた。首への咬みつきは効果がなく、45分が経過した後にもサイはライオンから逃れようともがいていた。
 持久力の勝負となり、スタミナが切れた2、3頭のライオンが戦いから離脱した。事態はサイにとって良い方に向かうかに見えたが、最後には老練なライオンの前に屈した(JD - Forest Lodge Ranger)。

 スウェーデンの C. J. アンデルソーンは、サイを撃って傷を負わせたが、後にそのサイが一対のライオンに襲われた。負傷していたにもかかわらず、何とかライオンを撃退し、サイは翌朝、その狩猟家の銃弾に倒れた。
 オーストリアの探検家オスカー・ボウマンは、大きな雄のライオンがサイを食べているのを目撃して、サイがライオンに殺されたのだろうと思った。しかしライオンが攻撃するところを見たわけではない。サイは別の原因で既に死んでいたのかもしれない。
 スウェーデンのナチュラリスト、ヴァールベルイは数頭のライオンが1頭のサイを襲うところに遭遇した。すさまじい戦いの後、サイは殺された。

 1957年11月にはケニヤ南部、タンザニアとの国境近くにあるアンボセリイ保護区で2頭の雄ライオンがサイを襲った。旱魃に見舞われて野生動物がほとんどいなくなっていたときだった。管理者が恐ろしい悲鳴を聞いて駆けつけたとき、サイはすでに2頭の雄ライオンに打ち倒されていた。
 管理者はライオンを追い払ったがサイの片方の前脚はすでに折れていて、救えないことがわかった。彼はサイを銃で撃って安楽死させてやった。翌朝、ライオンの群がサイを食べているところが目撃された。(グッギィスベルグ、1961)


トラ 対 インドサイ

 1951年12月初め、ハンターの A. C. Gupta はアッサムの Gorumara で雌のインドサイが子を守ってトラと戦うのを見ている。30分ほどの戦いの後、トラはついに諦めて退散したが、サイは両脇腹に深い引っ掻き傷を受けていた。Gupta は3週間後、再びサイの親子を目撃した。仔サイは変わりはなかったが、母親は痩せ衰えていて歩くのにさえ難儀しているようだった。
 翌年1月下旬、同じサイがトラに殺されたとの知らせを受けた Gupta は3日後に現地に舞い戻った。仔はほとんど食べ尽くされていた。母サイも3分の1ほどが食べられていた。この時にはトラはつがいをなしていたというがそれにしてもいささか食べ過ぎなのでは? ハゲワシの姿はなかった。また周囲の柔らかい地盤にもクマやイノシシ、ジャコウネコなどが死骸をあさりに来たとおぼしき痕跡もなかった。

 インドサイはクロサイよりも大きく、またアフリカのサイと違って角は1本で短く、普通30cmほど。最大で61cmである。下顎に大きな牙があり、これを使ってイノシシのように攻撃する。
 1886年にあるハンターがアッサムでインドサイを撃ったが傷ついたサイは逃げてしまった。彼はその後を追い、茂みの中で2頭のトラがサイを襲っているのを発見した。1頭のトラは首筋にサイの牙の一撃を受けて血を流しており、もう1頭も血だらけだった。ハンターがサイを射殺してこの戦いを終わらせてしまった。
 インドのナチュラリスト、Gee はゾウに乗ってインドサイの観察をしていた時、母サイがトラを追い払うところを見た。トラは深い草むらの中に逃げてしまった。(小原、1970)

 インド東部、アッサムのカジランガ国立公園内では1966−1969年の間に19頭のサイの子がトラに殺された。68年には11頭も殺されている。インドサイは子の面倒をよく見るし、危険を感じるとゾウにさえ突進するほどだが、トラは巧みに親子を切り離し、子を餌食にすることがある(サンカラ, 1977)。
 カジランガでは、トラによる捕食はインドサイにとって密猟に次ぐ脅威となっている(animalinfo.org)

 2008年3月、カジランガ国立公園で雌トラと2頭の(かなり成長した)子が成獣のサイを襲った。戦いは数時間に及び、あたりの草が踏みしだかれていた。ぬかるみに足を取られてサイはついに力尽きたようだった。2月の末にも妊娠している雌のサイがトラに殺される事件があった。
 森林監視員の Bankim Sharma はトラは最近、子だけでなく成獣のサイをも襲うようになったという。この件に関してインドの Wildlife Institute (WII)は詳しい調査を始めた。カジランガでは昨年、20頭のサイがトラの餌食になっており、今年に入ってからは既に8頭が殺されている(telegraphindia)。
 ネパールの Royal Chitwan National Park ではインドサイの孤児を保護するための囲いがもうけられている。2005年1月にここにいたサイの子(17ヶ月)がトラに襲われて殺されたため囲いが必要と判断された。亜成獣となるまでここで保護され、野生に返される。
 ここにいた1頭(雌)は4年前に母親がトラに殺された。もう1頭(雄)は8年前に親とはぐれていた。これらの2頭は既に移動されている(WWF Nepal)。
 インドサイは通常、3歳頃までに親から独立し6、7歳で成獣となる。


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