1頭のライオンがハーテビーストを食べていた時、スイギュウの群が近くの森から出てきた。ライオンを見るとスイギュウたちは怒って鼻を鳴らし、蹄で地面をかいた。ある雌などは数歩後戻りしてはダッシュしたり、角で地面を削ったりしていらだちを露わにした。
 ライオンは全く意に介せず、食事を続けていたが、スイギュウの一団が接近しすぎたときだけ、怒りの唸り声をあげた。やがて大きな雄のスイギュウが森から出てきた。ライオンに気づくと唸りながら、尾を振り上げ、頭を振って前進し、雌や子供の間を通り抜け、鼻を鳴らし、角を下げ、ライオンに突撃した。ライオンがあっさり逃げ出すと、雄は立ち止まって逃げるライオンを見届け、頭を高くして群に戻った。まもなくすべてのスイギュウが草をはみ始めた。

 アフリカでは、ビッグゲームハンティングが盛んな頃、特に危険な猟獣としてビッグファイブをあげていた。ヒョウ、サイ、ゾウ、ライオン、そしてアフリカスイギュウ African Buffalo である。ケニヤで26年に渡って狩猟を行ったジョン・ハンターはヒョウをトップに推していたが、多くのハンターはライオンかスイギュウが最も危険だとしている。ライオンとスイギュウは時々激突する。


 しばしば記載し描写されてきたような、恐ろしい乗り手として、獲物の背中に真後から跳びかかる必要はライオンにはない、とグッギィスベルクは書いているが、スイギュウのような大型獣を攻撃する時にはこの方法が採られることもある。

 F. C. セルースはライオンが大きな雄のスイギュウを殺すのを目撃した。ライオンは、スイギュウが横たわっているところへ、腹ばいになってちかづき、まだ横たわっているときか、或はちょうど起き上がろうとしたときに攻撃したらしい。
 ライオンはスイギュウの上に飛びのらずに、乱闘の間中後足を地に付けていた。スイギュウの傷は鼻と肩の上にあった爪痕だけだった。
 ライオンは左前足でスイギュウの鼻面を、右で肩を捕まえて、頭を胸の方に引き付けた。スイギュウは前につんのめり、ライオンを数メートル引きずった。ライオンは体の下でスイギュウの頭を右に捻って投げ倒した。ライオンが自分の力でスイギュウの頚を折ったのか、それとも頭を捻った倒れ方のためにスイギュウが脱臼したのかはわからない。
 単独のライオンがスイギュウを攻撃するとき、いつも片方の前足で鼻面を掴まえ犠牲者の首を折るか、倒れる時に自らの重みで首を折った際に成功する。(グッギィスベルグ、1961)
 アフリカスイギュウはライオンに襲われると水の中に逃げ込むことがある。水の中に逃れることによって何か利点があるというより、逃げ込めるところなら何処でも良いのかもしれない。1頭の雄ライオンが雌のスイギュウを攻撃した時、スイギュウは近くの流れの中に駆け込み、水の中からライオンに相対したが、ライオンは立ち去ってしまった(シャラー、1972)。

 ジョイ・アダムソンは野生のエルザの中でエルザ(雌のソマリライオン、140kg)が、スイギュウ(550kg)を殺す様を描写している。彼女はエルザが殺されてしまうと気が気でなかったが、ライオンは足場の悪い川の中で巧みにスイギュウをしとめた。

 ボツワナで1頭の雄ライオンが雄のスイギュウを襲った。ライオンはスイギュウの後脚に咬みつき、ついで鼻面を攻撃した。激しい戦いが5分以上も続いたが、ついにスイギュウはライオンを突き放し、逃走することに成功した(wildwatch)。

 単独のライオンが時には成獣のキリンやスイギュウをしとめることもあるが、これらは体が非常に大きくその蹄と角は相当な危険をはらんでいるので、成獣が単独のライオンに攻撃されることはめったにない。
 マニヤラ公園で1頭の雌ライオンが、雄のスイギュウを攻撃した時、下から首を咬まれたスイギュウはライオンが力を緩めるまで動き続け、ふりほどくと今度は反撃に転じ、ライオンを木の上に追い払った。(シャラー)

 1965年にタンザニアで雌のライオンが、雄のスイギュウに突き殺された。また雌のライオンと雄のスイギュウが相討になっていた例もある。(小原、1980)

 南アフリカで2頭の雌ライオンがスイギュウを攻撃した時、1頭がスイギュウの突進で殺されてしまい、残る1頭は逃走した(Lion Project)。


下から雌のスイギュウの喉を狙う

 ライオンがスイギュウを殺せるかどうかは経験がものをいう。スイギュウの多い地域ではかなり頻繁にスイギュウを襲っているが、これらのライオンたちは強くて危険なスイギュウを扱う術を習得しているからだろう。タンザニア北部のマニヤラ公園でのライオンの食例調査では62%がスイギュウだった。ザンビアのカフェ国立公園では30%、それがクルーガーでは9%にすぎなかった。(シャラー)
 狩の技を磨かなくてはならない若い雄のライオンが、殺そうとしていたアフリカスイギュウに逆に殺された報告はたくさんある。(バートラム、1978)

 アフリカスイギュウは野生ウシのなかまではそう大きいほうではない。トランスバール産の雄2頭は:
肩高(cm)体長(cm) 尾長(cm)角長(cm)
14825579107
165244
Austin Roberts(1951)

 ボツワナ産の6頭(雄3、雌3)は:
 体長233〜257cm、尾長66〜78cm。
Reay H. N. Smithers (1971)

 体重は一般に雄で600〜900kg、雌で400〜600kgとされている。J. A. ハンター(1938)は最大のものだと1800kgに達するというがかなり過大な見積もりだろう。Jack O'Connor は最大で1トンと述べている。


Iziko Museum

 更新世後期、数十万年前の東アフリカには、今のアフリカスイギュウに近縁だがもっと大型で(体長3m、肩高2m)、すらりとした体型のペロロヴィス Pelorovis が生息していた。アフリカスイギュウとの際だった相違はその長大な角で、骨芯だけでも左右の開きが2mもある。角そのものはその倍もあったのでは(Savage, 1988)と推測されている。ペロロヴィスは12000年前頃まで生存していた。岩に刻まれたブッシュマンの彫刻から6000年前まで生存していただろうともいわれる(National Museum Bloemfontein)。


 ペロロヴィスは種類によって異なった角を持っていた。タンザニアのオルドバイ峡谷で発見された Pelorovis oldowayensis(左)の角は最初は後方に、続いて外側に、最後に前方に曲がるという他のウシ族には見られない形で、古生物学者は以前にはジャコウウシ族に分類していたほどである。
 アルジェリアで見つかった Pelorovis antiquus(右)の巨大な角はアジアのスイギュウと似たようなカーブをしている。この類似のため初期の専門家はアジアスイギュウ属に分類していた(アラン・ターナー、2004)。

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