かつてライオンはアジアにも分布しており、インドやイランなどでトラと出会う可能性があった。一応ライオンはサバンナ、トラは密林と棲み分けてはいた。しかし獲物を求めて森林や草原に出て行くことは今でも珍しくはない。長い年月の間にはトラとライオンの遭遇は何度もあったはずだが、両者が野外で戦ったという記録はない。だからいくら憶測をめぐらせても仕方ないだろう。
 しかし動物園やサーカスなどの人工的な環境下でライオンとトラの激突はあった。昔とあるサーカスでライオンが檻を抜け出て隣のトラの檻に入り込み、そのトラをあっさりと殺してしまった事件が起こった。
 いったいどうやってライオンは檻を抜け出したのか、そのあたりの事情は定かでない。昔は動物園ではライオンとトラは隣同士で飼われていたものだったが、サーカスではどうなのだろう? おそらく別々の檻ではないか。そうなるとライオンは自分の檻から出ただけでなく、トラの檻に入り込まねばならない。両方とも檻に鍵がかかっていなかった?
 1994年、モントリオールのサーカスで、トラがトレイナーを襲ったことがある。トラは彼女の足をくわえて自分の檻に引っ張り込もうとした。そこへ1頭のライオンが現れてトラに一撃を見舞い、トレイナーを空中に放り投げたので彼女は脱出に成功した。トレイナーは18針を縫う重傷を負った(Zoocheck Canada)。どちらの檻も鍵がかかっていなかったのかもしれない。

 1830年、ロンドン塔にあった Royal Menagerie で1頭のライオンと2頭のベンガルトラが戦うという事故が起こった。双方の檻の間の仕切が開いてしまったらしい。慌てた飼育係は火で熱した鉄の棒を使って何とか両者を引き離すことができたが、負傷したライオンは数日後に死んでしまった。
 ロンドン塔では、ヘンリー三世 (1216 - 1272) の時代にライオン対トラの戦いが何度かおこなわれたことがあったが、これは不幸なアクシデントだった。それから4年後、Royal Menagerie は閉鎖され、そこにいた150頭の動物たちは新設された Regent's Zoo に移された。

○トラ  フランシス・バックランド(1865)によればバーミンガムの動物園で、雌のトラが雄ライオンの喉に咬み付いて簡単に殺してしまう事件があった。*1
○ライオン  1949年6月、マサチューセッツのあるサーカスで不慮の事故からライオンとトラの戦いが起こり、サーカスは大事なトラを喪ってしまった。*2
○ライオン  1949年7月、オーストラリアの Perth 動物園において“Tim”という名の大きなベンガルトラが“ネロ”なる名のライオンに殺された。このときトラはライオン夫婦と隣りあった檻にいたが、雌ライオンが仕切をいじっていてそれが開いてしまい、何事かとそこから首をのぞかせたトラをネロが素早く攻撃して喉に食いつき、わずか3分ほどでトラを咬み殺したのだった。
○ライオン  1951年2月、デトロイトのサーカスにて、3,000人の子供達の目の前で、トラとライオンの戦いが始まりトラが敗れた。
○ライオン  1951年9月、インドのマドラス動物園で檻の清掃中、不注意から喧嘩が始まり、トラがライオンに殺されている。
○トラ  Proske(1957)はサーカスにおけるライオン対トラの死に到る戦いについて報告しており、トラがライオンの頚を砕いて勝ったという。
○トラ  テキサス大学教授O.ブレランド(1963)によれば、共に後足で立ち上がって前足で打ち合ったが、同時に片足しか使えないライオンが敗れた。どちらも殺しには牙を使うのが普通で、前足のパンチだけで勝負が終わるとは思えないが。*7
○トラ  このケースではトラは両前足でライオンを捕らえて転がし、牙と後足の爪でライオンを引き裂いたという。またトラはたてがみに守られたライオンの喉を敢えて攻撃しようとはしなかった。
 一般にライオンのたてがみは戦いに際し有効な盾となると言われているだけに、これはトラにとって価値ある一戦だったと言えよう(?)
○ライオン  ビーティ(1965)によれば“Sultan the First”という名のライオンはまるで老練なボクサーのようなフェイントを見せてトラにバランスを失わせてから、効果的な攻撃を加えて次々と何頭ものトラを打ちまかした。
 一般にライオンの方が飼育下の環境に順応し易い。サーカスで40年にわたってライオンとトラを観察してきたビーティは一緒に舞台に出したときなど、ライオンは落ち着いているがトラは神経質になると言っている。
○ライオン  サンカラ(1977)はやはりたてがみがものを言ってライオンが有利だと考えている。そしてインドのある酔狂な皇太子が、宮殿の敷地内に穴を掘って、ライオンとトラを戦わせ、初めから終わりまで撮影した。結果はサンカラの考え通り、ライオンが勝った。*10

*1 欧米の動物園では雑種を得るためにライオンとトラを同棲させていたことがよくあった。通常雄ライオンと雌トラの方がうまく行く可能性が高かった。日本でも阪神パークでライオンとヒョウの混血が誕生して以来、そのような試みをする動物園があった。ライオンとヒョウよりはライオンとトラの方がうまく行くと考えられてかやはりライオンとトラの組み合わせで、私が見たのは雌のライオンと雄トラの夫婦だった。しかし成功例は聞いていない。

*7 ブレランド教授はまたローマ時代にライオンとトラが闘技場に連れ出され、両者の決闘が行われたと書いている。そして当時の記録によればほとんどトラが勝ったという。しかし戦いの経過について詳しくは触れていない。どちらかが死に至るような凄まじいものだったのだろうか。
 1459年に、フローレンスの人々は、古代ローマの競技大会を復活させようと、そこに通ずる全ての道路をバリケードで固めたうえで、広小路に数頭のオオカミや雄ウシばかりでなく、28頭のライオンを放した。しかしながら一切合財が、全くの大失敗だった。栄養充分なライオンはウシを殺そうとはしないし、オオカミを攻撃することもなかったからである。ライオンたちは少しの時間歩き回った後、皆広小路の日影に寝そべってしまった。
 《ライオンの家》という名の絵が存在している。そこにはウシ、ウマ、数頭のイヌと共に、ライオンが描かれている。15世紀には、シーザーに法り古代の競技大会を復活させようとの試みが何度か行われたのかも知れない。

※ の動画は tpb さんから教えていただきました。

*10 この話を聞いて、私が小学生だった頃に見た動物園かサーカスを舞台にした古いモノクロの映画を思い出した。そのクライマックスでライオンとトラが穴の中で戦い、苦もなく勝利したライオンがゆうゆうと穴から出てくる場面が記憶に残っている。子供心にもあれは演技だろうと思っていたのだが。

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