30〜40ヤードほど向こうに赤と黒の模様が白い氷の上に見える。アザラシの残骸だ。脂肪がすっかり食べられている。皮や骨が雪にまみれて散乱しているが、肉の部分には手が付けられていない。2頭のホッキョクギツネが死骸を食べにやってきた。アザラシの脂身を充分に食べて満足したホッキョクグマは少し離れた所にいた。キツネに注意を払わず、長い首を一層伸ばしてあくびをし、一度頭を獲物の方に向けたが、漂ってくる匂いをかいだだけで向き直り、ゆっくりと歩み去った (Robert Elman, 1974)。

 ホッキョクグマは他のクマとは異なり(その生活環境から言えば当然だが)ほぼ純然たる肉食生活をしている。北極圏にすむ各種のアザラシ−アゴヒゲアザラシ、ワモンアザラシ、タテゴトアザラシ、クラカケアザラシ、ハイイロアザラシなどが主食だ。

 佐藤富雄氏(65歳 ホッキョクグマを追う,1997)は彼らは脂肪だけを食べて赤身は捨てておく。贅沢な食べ方をするがよほど空腹でない限り赤身は食べない。と述べているが、これは少々誤解を招く表現だ。脂身だけで満足できなくても肉は食べないということはない。最も小型のワモンアザラシでも成獣ならば体重は90kg前後あるから、脂身だけでたいてい満腹できるわけだが。
 もっとも4月から7月にかけてはアザラシの数が多くなり、特に子供は脂肪が多いので、ホッキョクグマも食べることに困らないのか脂肪しか食べないことが多いようだ。
 シートン(狩猟動物の生活)は飢えたホッキョクグマが45kgほどのアザラシを捕らえて骨と皮を残すまで食べ続けたと書いている。
 アザラシを襲うとき、ホッキョクグマは氷の上を腹這いになって近付き、15m位の距離まで忍び寄ることに成功すると、猛然とダッシュして(時速40kmに達する)、アザラシの頭に前足で一撃を加える。もちろんその前にアザラシに気づかれ、氷の割れ目から水中に逃げられることも多い。
 クマはまた割れ目の縁に座って、アザラシが呼吸するために水面に顔を出すのを待つこともある。そして電光の素早さでアザラシを爪で引っかけ、氷上にに引っ張り上げる。大きな雄グマにとっては、200s以上ある大型のアゴヒゲアザラシでも一気に引き上げのは容易なことである。

 他のクマでも同様だが、ホッキョクグマの雄も子グマを襲うことがある。そのため母グマは雄を避けようとするが、もし危険を感じると子を守って雄と戦う。こんな時雄はたいてい引き下がる。Leonard Lee Rue(1981)は雄は後退すべきだと心得ているからではなく、実際に子連れの雌には抗し得ないからだという。それだけ母グマの気迫が凄まじいということのようだ。

 ホッキョクグマは飢えに苛まれていることが珍しくない。そんなときには本来の雑食性を発揮して、海草さえ食べるし、ゴミ箱もあさる。
 1975年の夏にカナダ北部で調査隊のキャンプに侵入したために射殺された雄のクマは体重が180kgしかなく、その胃には海草が詰め込まれていただけだった(Ben East, 1977)。
 11月にカナダのハドソン湾西岸で捕獲された成獣の雌のクマは体重が97kg(?)しかなかった。翌年8月に再び捕らえられたそのクマはなんと505kgにもなっていた(Mark Carwardine, 1995)。
 また秋に生け捕られたある雌のホッキョクグマは体重わずか95kgだったが、翌年の春、再び捕獲された時には450kgにもなっていたこともある。


 クジラやセイウチの死体にありつこうものなら大量に食べる。Leonard Lee Rue(1981)によれば71sものセイウチの肉と脂肪を詰め込んでいたことがある(▲写真は韓国の Kukaka さんから送っていただきました)

 北極探検隊にとってホッキョクグマは肉と脂肪の重要な供給源だった時期がある。James Lamont がスピッツベルゲンで撃った老雄は非常に大きく、あたかもそれがセイウチであるかのように引き上げられた。全長2.5m余り、胴回りもほとんど同じくらいあり、400ポンド(約180kg)近くの脂肪が採取された。Lamont はこのクマの体重は1600ポンド以上あったはずだと語っている(Wood, 1977)。
 ホッキョクグマの肉の味については賛否両論があり、脂肪の少ないモモ肉はよい香りがしておいしいという説もあれば、まずいどころか有害だともいわれる。シートンはホッキョクグマの肉を食べて病気なった例をいくつも紹介している。しかし彼はまたエスキモーはそんな不都合を起こさずにホッキョクグマの肉を食べているともいっている。佐藤富雄氏もホッキョクグマはエスキモーにとって食料の重要な供給源だと語っている。ホッキョクグマを1頭捕ると、大家族でも一冬分の食料になるそうだ。
 肝臓は有害らしい。Ben East はホッキョクグマの肝臓にはビタミンAが大量に含まれていて、これを食べると深刻な病気をもたらし死に至るという。エスキモーも肝臓を食べるのはタブーとしており、イヌにも与えない。
 柳田佳久氏(1992)もホッキョクグマの肝臓は食べてはいけないことになっているという。1987年、カナダ北部で柳田氏は全長254cm(頭骨全長393mm、牙の長さ37mm)のホッキョクグマをしとめた。缶詰のコーンやエンドウ豆と共に鍋に入れ、醤油で味付けをしてそのクマの肉を食べたそうだ。特に美味でも不味くもなかったとか。また彼はエスキモーもクマ肉は生では食べないと書いておられる(ライフル・ハンター)。

 最大のクマであるホッキョクグマはまた最も危険なクマでもある。それは彼らが肉食動物であるため、人を獲物と見なして攻撃してくることがあるからだ。ハイイログマやエゾヒグマが人を襲う事件はよく知られているが、これらのクマは人口密度の高い地域に住んでいるためのトラブルである。クマが人を食べるのはその結果ともいえる。最果の極地では果実や穀物で空腹を満たすことができないホッキョクグマは食べるために人を襲うのだ。

 アラスカヒグマはハイイログマに比べて温和だといわれるが、それも人との接触が少ない−事件が少ない−からだと思われる。彼らの生息環境は、ハンターがクマ狩に訪れる以外、あまり人がやってこない地域なのだ。
 しかし状態は変化しているかもしれない。Edward R. Ricciut (1976) によれば60年代半ば以降、アラスカも開発が進み訪れる人が増え、アラスカヒグマの住処を脅かしているという。コディアク島でもクマが農場を襲ってウシを殺す事件があり、そのために射殺されるクマも出てきている。

 カナダのハドソン湾に面したチャーチルはホッキョクグマの分布域としては最も南に位置しているが、ここではクマは人工的な環境になじんでいるようだ。イエローストーンのハイイログマのように、ホッキョクグマが町に入りゴミ箱を漁る。人と出くわすことがほとんどない極北と違い、ここのホッキョクグマは人を狙うのでなくゴミ箱が目当てなのだが、偶然の衝突はあり、人が殺される事件も起こっている。


GIGAZINE

 2009年4月、ベルリン動物園でホッキョクグマの池に一人の女性が飛び込み、クマに襲われる事件があった。クマの食事時間に32歳の女性が柵を乗り越えて池に飛び込んだ。6人の係員がクマを制止しようとしたが、4頭のクマの1頭(Knutではない)が彼女の腕や脚に噛み付いた。彼女がクマに近づこうとした理由は不明だという(MailOnline)。

 2004年4月5日放送の NHK 地球大自然でチャーチルに集まるホッキョクグマが紹介されていた。単独生活のホッキョクグマがクジラの死体に何十頭も集まることがあるのは昔からよく知られていたが、毎年秋になると数え切れないほどのクマがハドソン湾西岸に集結する。
 10月半ばから11月初めにかけての2、3週間に600〜1200頭のホッキョクグマがやってくる。ネルソン川とチャーチル川の間の160kmくらいの海岸線であるから1ヶ所で大集団が見られるということではないが、他のクマに比べてはるかに広大なホームレンジ(行動圏)を持つホッキョクグマにしては大集結である。


 ロシア北部、カラ海沿岸の幼稚園で働いていた婦人が呼び鈴のけたたましい音に驚いて玄関に駆けつけた。ドアを開けるとそこには後足で立ち上がった大きなホッキョクグマが呼び鈴に体を押しつけていたのだった。彼女が慌ててドアを閉じたのはいうまでもない。拒絶された招かれざる訪問者は憤然として立ち去っていったという(Wood, 1982)。

 ここでクマは湾が氷結するのを待ち、アザラシ狩に出かける。湾は河口付近から沖にかけて順次氷結するのでクマは海岸に集まるというわけだ。ふだん独り暮らしのクマはストレス発散のために他のクマと格闘することもある。400〜500kgもある雄同士のぶつかり合いは人の目にはすごい迫力だが、当のクマにとっては遊びのようなものだから大事には至らない。

 サケが川を遡上する季節になるとアラスカヒグマが集まることはよく知られている。川沿い800mほどの間に67頭のヒグマが観察されたこともある。これも総数はともかく、密度はかなり高い。
 Mark Carwardine(1995)によればベーリング海やチュクチ海の沿岸部にすむホッキョクグマの雌ではホームレンジの広さは時に30万平方キロ以上に達するという。ほとんど日本全土! 発信器を付けたクマが2000マイルも離れたところで再発見されたこともあるのであながち誇大ともいえないが。
 ヒグマも食糧事情の悪い所ほど広い行動圏を持つようになるが、アラスカ内陸部でも最高5700平方キロであるから、ホッキョクグマが食べるのにいかに苦労しているかがうかがえる。

 ホッキョクグマは陸棲動物ではあるが、好みとする住処は氷の上だ。海岸から30km以上離れた内陸部で目撃されることはめったにないが、海岸から30km以上離れた沖合で見つかることは稀ではない。陸から泳ぎ出て氷に乗って移動し、氷の上で寝る。  北海道の宗谷でホッキョクグマが捕獲されたことがあるそうで、流氷に乗って漂着したものと見られている。新潟でも見つかったというがこれは動物園にいた(白い)ツキノワグマだったらしい。


BACK