北海道では春になるとヒグマが穴から出てくる。木村盛武氏はウグイスやニシンのように春の到来を教えてくれるので、エゾヒグマを春告獣と呼びたいと言っておられる。この呼称には悪玉に祭り上げられてしまったヒグマへの思いやりを込めておられるそうだが、ウグイスやニシンと違い、明るい春の訪れにはたしてヒグマはふさわしいだろうか?

 2010年1月初め、北海道の厚岸町内でエゾシカ猟をしていたハンターが、347kgもある大きな雄のヒグマを射殺している。また月末にも170kgの雄が捕獲されている。本来なら冬眠中の時期である。この数年、厚岸地区で2月くらいからヒグマの足跡を発見した報告が数件あるが1月に狩猟により捕獲されるのは極めて異例。
 獲物となるエゾシカが近くに生息していることや、皮下脂肪の蓄えが少なかったことから冬眠しなかった可能性が高いと思われたが、より綿密に調査したところ、捕獲場所付近に冬ごもり用の穴が発見された。また付近を徘徊した足跡も多数見つかったことから、「かなり早い時期に冬ごもりを終えた個体」もしくは、「冬ごもり中に運動をした個体」だろうとみられている(海別岳)。

 2015年2月16日午後2時50分頃、北海道白糠町上庶路の山中で、猟をしていた二人のハンターがしとめたシカを回収しようとした時に、突然ヒグマが現れ、シカを奪われる事件があった。
 シカを撃った二人が雪を掻き分けながら近づくと、50mほど手前でヒグマが鹿を加えているのに気がついた。二人はすぐに逃げた。ヒグマは体長約2mの成獣で、シカを加えたまま山中に姿を消した。
 ヒグマは食糧が少なくなる冬には冬眠する習性があるが、活動を続けて越冬するヒグマもいる。道東では1月に標茶町の山中で男性がヒグマに襲われて死亡、今月2日にも厚岸町の山中で男性が襲われ、けがをしている(スポーツ報知)。

 北海道ではたいてい3月下旬に穴を去る。その少し前から時々穴を出て付近を徘徊して足慣らしをしている。これはふやけて弱くなった手足の裏の皮膚を強くし、全身の筋力を高めるためだ。
 1975年4月22日、羅臼町で2頭の子を連れた雌のクマが雪の斜面を上り下りしているのが目撃されている。子は生後3ヶ月くらいだった。2日後にこの母子が使用した穴が近くで見つかった(門崎、1987)。

 クマの冬眠は体温は若干(5度くらい)下がり、脈拍数もかなり減少するが、常にまどろみと覚醒の交錯状態なので、外部の異変にはすぐに反応し、穴に近づくものがいると穴から猛然と飛び出して攻撃することがある。冬はクマが冬眠中だから安心というわけではなく、林内の作業員が不用意にクマの穴に近づき襲われることがある。(木村盛武、2001)

ロシアの沿海州でトラがヒグマを引きずり出した穴(カプラノフ、1948)
 1975年4月8日、長万部の国有林を調査していた人が雪の中に落ちた。そのときはまだクマの穴とは気づかなかったが、はい上がってからすぐ1頭のヒグマが飛び出してきて背後から脚を咬まれた。まだ若いクマだったが、持っていたスコップを振るって撃退した
 1976年12月2日、上川の国有林で雑木を伐採していた作業員の一人が、雪を破った穴から飛び出してきたクマに襲われた。鉈を持っていたが足下が悪くて振るうことができず、前足で頭を強打されて死亡した。このクマは翌日射殺された。推定13歳、体長160cmの雌。穴には2頭の子がいた。
 1977年4月7日、滝上町の国有林で作業員が穴から飛び出してきたクマに咬みつかれたが、口の中に右手を押し込むとクマは逃走した。この時も穴には2頭の子がいた(門崎允昭、ヒグマ、1987)。

 ブロムレイ(ヒグマとツキノワグマ、1965)によるとロシア沿海州のヒグマは3月12日〜4月5日に穴を出るが、生まれたばかりの子を持つ雌はもっと遅く4月中旬に出てくる。
 急に暖かくなって雪解け水が穴に流れ込んできたために3月2日に穴を出てしまったヒグマもある。また2月28日と3月6日に、トラに穴を追い出されたヒグマもあった。そして2月15日以降に穴から追い出されたクマは2度と穴には戻らないという。
 ヒグマの眠りはツキノワグマより浅く、騒音やイヌの声で簡単に穴を去るが、子連れの雌は穴を去ろうとしない。冬眠期間もツキノワグマより20日ほど短くシホテ・アリン北部で107〜150日である。
 穴から出てきたクマは日中歩き回り、寒い夜は休む。早春のこの時期、植物性の餌が少ないとヒグマの移動距離は長くなるが、子連れの雌の移動範囲はたいへん狭い。
 冬の間に死んだ動物の死骸でもあれば見逃さない。イノシシの子を捕らえることも多い。稀ではあるがこの時期にはヒグマはアカシカを捕食することもある。氷層のできた雪の上ではアカシカはクマの追跡をかわせないという。
 A. G. Yudakov(1987)もヒグマが3月と4月にアカシカやジャコウジカを殺したのを確認している。

 Yudakov はツキノワグマがアカシカを食べているところを目撃しているが、これはトラの食べ残したものだった。

 冬眠を終えたヒグマは、数日間は徘徊しながら腹具合を試す程度にしか食べない。中には全く採食せずに雪を舐めるか水しか飲まないものもある。穴を出たヒグマが普通に食べ始めるのは早い個体で数日後、遅いものだと2、3週間後になる。
 雑食性のヒグマは草本類も食べるが、ウシやウマなどの草食動物とは異なり、植物繊維を消化することはできないので、草の茎は食べても葉はあまり食べない。木の実は食べるが葉はそのとき一緒に口に入る程度である。山の実りが多かった年の翌春には、落下した実が多数残っているので、ヒグマはわざわざ雪を掘ってこれを食べることがある(門崎、1987)。

 北海道では大きな河川にはダムが造られ、サケやマスはクマの棲む上流にたどり着くまでに捕獲されてしまうので、ヒグマはサケやマスを食べられなくなった
 現在は知床半島で10月頃からカラフトマスを、11月に入ってからサケを稀に食べているくらいだ(門崎、1987)。

 春から初夏にかけては日中に休息することが多くなる。暑い7月には夜に採餌して日中は木陰や風通しの良い場所で休む。
 夏の終わりから秋、木々がたくさん実をつけ始めると昼も夜も採餌するようになる。夏にはヒグマは捕食生活をしないと言う(ブロムレイ、1965)。朽ち木を探して樹皮を剥ぎ、倒木をひっくり返して昆虫を探す。6月頃から川でマスをとりはじめる。
 1938年8月、木村盛武氏は北千島の居相川を遡ってサケを獲っていた時、無数のヒグマの足跡を発見している。前足(掌)の幅約20cmもある大きなクマの足跡だった。遡るにつれて足跡は増え、もっと大きなクマのものもあった。ヒグマに食べられたサケの残骸がたくさんあり、しかも後頭部のあたりを食べただけで放置していて、なんともったいない食べ方をするのかとあきれてしまったそうだ。

 一方でエゾシカが増加しているので、シカを比較的多く食べるようになった。ヒグマが食べるシカは死んだものが多いが、時には弱った個体を襲うこともある。

 秋の始まり、木の実が熟し始める時からクマの食糧事情は特に良くなり、冬眠に欠かせない脂肪を蓄積するだけの余裕ができる。9月初めにはまだ脂肪がほとんどないヒグマもいるが、森林で落ちている木の実を探してせっせと食べる。さらにはサケがアムール川を群をなして遡る。ヒグマはサケを掴まえると、まず頭を噛み取り、それから卵、肉、背骨を食べ普通は鰭を残す。産卵期の終わり頃には産卵を終えて死んだサケが多量に集まる場所があり、ヒグマはそれらも食べる。
 大きくて老齢の雄には秋が深まってもまだ脂肪の蓄えができないものもいる。年によっては12月になってもまだ湿地や川沿いをうろつき、魚の残骸や他の肉食動物の食べ残しを漁る。秋で最も重要な食物はドングリ、コケモモ、魚類である。
 夏から秋に食物不足で充分に脂肪を蓄えられなかった場合、シカやイノシシの子を襲う。飢えたヒグマがイノシシの群の後をつけ、弱った個体を襲っていたことがある。またしとめたイノシシの死体の側に5日間とどまっていた例もあった。このようなことは全てのヒグマに見られるわけではなく少数の雄に限られる。不作の年には、多くのヒグマは食物が豊富な地域へと移動する。

 クマの棲域の近くで農作物が作られるようになると、食物に対する適応性が高いクマは盛んに作物を荒らすようになる。
 トウモロコシやカボチャ、スイカ、リンゴやナシなど、いずれも自然の野草や果実に較べて栄養価が高く、しかも1カ所に多数が固まって存在する。クマの食生活は進歩し、農作物の被害は増大する。
 トウモロコシ畑や果樹園に侵入したクマは、危険が少ないと見て取ると近くの草木が密生する所を選んで2m四方ほどの窪みを掘り、そこへ身を隠す。そして夜毎食べに出かける(世界動物百科、29)。


 ヒグマが越冬穴にはいるのはツキノワグマよりも遅く、11月末になってもまだ雪の上を徘徊して餌を探していることがある。穴にはいるのはまず子連れの雌、その他の雌、そして雄の順番だという(ブロムレイ)。
 大きな雄は、秋に食物が充分でないと、積雪の状態に関係なく、時には12月上旬までうろついて動物の死体や産卵後に死んだ魚を食べている。

 北海道では平年並の冬なら積雪が30cm以上になる11月20日頃、ヒグマは穴にはいる。遅くとも12月20日までにはほとんど全てのヒグマが冬ごもりに入る。冬至を過ぎても暖冬で雪が少なければヒグマは出歩くが、充分な積雪があるのに、冬至を過ぎても山野を徘徊しているヒグマは普通ではない。脂肪を充分に蓄えることができなかったか、越冬用の穴を見つけられないために冬眠できないクマを穴もたずと呼んでいる。
 冬眠前のヒグマの体重は個体によって異なるが、春に較べて20〜40%も増えている。皮下脂肪は場所によっては厚さ8cmに達している(アラスカヒグマでは13〜15cmにもなる)。
 積雪がほとんどない状態で穴にはいることはないようだ。また雪が降っても、雪の上に足跡が残るようではまだ穴にはこもらない。しかも穴に入るにあたっては、2度、3度と元の足跡をたどって逆戻りしたり、横に跳んだりして足跡を紛らわしくするといわれる。また穴に入ってからも、雪が少なかったり消えたりすると出歩くことがある(門崎、1987)。
 冬眠中のクマは決して仮死状態ではない。妊娠した雌はこの間に出産し、授乳して子を育てる。冬眠している間も体温と呼吸は比較的正常に保たれていて、暖かい天候が続くと、穴を出て一日戸外をうろつくこともある。また冬眠中のクマは想像以上に神経質になっていて、うっかり近づいた人を驚かせることがある(ブレランド、1963)。

 Leonard Lee Rue III(1981)はハイイログマは北向きの斜面に冬眠用の穴を見つけることが多いという。そこは雪が積もりやすく、入口を容易に塞いでくれるからだ。また天候の良い日でも雪解け水が流入しにくいということもある。

 カナダ北西部やアラスカのツンドラなど、気候の厳しい地域に棲むクマには5月になっても穴にこもっているものがいる。1年のほとんど半分も冬眠しているわけだ。
 一方、シートン(狩猟動物の生活、1925)によると分布域の南の部分では、たいていのハイイログマは冬眠をしない。巣穴は天候の悪い時などに一時的な避難場所として使われる程度にすぎない。
 特に雄は全く冬眠をせず、雌も妊娠した個体だけが巣穴にこもる。また雄が穴にこもるとしても1月1日頃になってからで、早くも2月15日頃には穴を出るともいう。
 シートンの言う南の部分とは、既にハイイログマが絶滅した合衆国南西部やメキシコ北部を指しているようだ。
 一方北方にすむハイイログマはそうはいかない。とはいえできる限り穴に入る時期を先延ばしにする。食物を見つけられる限りは外を歩き回り、また雄は雌より後に穴に入る。
 ロッキー山脈では普通11月、厳しい寒波とともに降り積もる最初の大雪をきっかけにして穴にこもる。また、2月か3月になって、再び穴から出てきたクマはまだ肥っている。その脂肪は、雪が消える頃にようやく使い果たされる。冬眠からさめたばかりのクマはまだあまり歩き回らないが、気温が上がるにつれて活発さを取り戻す。5月半ばになってもなお、肥ったままのクマが見られることがある。
 冬眠からさめたばかりのハイイログマは巣穴からあまり離れようとしない。元気が出て探検意欲に目覚めるのは1週間ほどしてからだという。


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