オオカミは普通、群をなして生息している。群は成長した雄と雌、その子からなる数頭の家族群である。子は1年後に次の子が生まれると群を出てゆくこともあれば、ヘルパーとして残ることもある。また時にはいくつかの家族が合流して20頭以上の群になる。大きな群はバイソンやヘラジカなどを狩ることができる。単一の家族ではシカを常食としていることが多い。夏になって小動物が増えると大きな群は解散してもとの家族単位に戻る。
 一方、シカなどの大型草食動物が少ない所ではオオカミも群を維持することが難しくなる。イタリアの Abruzzi では単独で行動するオオカミが多く、しばしば家畜を襲っている(David Macdonald, 1984)。

 1930年の春、アメリカのモンタナ州で猛威を振るったオオカミ、スノウドリフト Snowdrift がついに射殺された。全長2mに及ぶ白っぽいオオカミだった。Snowdrift は討ち取られるまでの13年間におよそ1500頭の家畜を殺し、被害総額は3万ドルを超えた。
 Snowdrift は普通のオオカミよりも脚が長かったといわれ、俊足なだけでなく、行動範囲が広く、一昼夜の間に200kmも移動したことさえあった。同じ場所へは2度と現れなかった。ウシを殺して充分に食べるとさっさとその場を去り、再び戻ってくることはなかった。また自らの手で殺した獲物しか食べなかった。従って餌に毒を仕掛けることができなかった。
 またこのオオカミは一度罠にかかったことがあり、この時に左前足の指を1本失っていた。それ以来、罠には驚くほど敏感になっていた。
 さらに Snowdrift はいわゆる一匹狼であり、ずっと単独で行動していた。Snowdrift には賞金がかけられ、その額は400ドルとも500ドルともいわれた。アメリカ各地から賞金目当てのハンターや罠師が集まり、中には遙か東部のニュージャージーからやってきた者もいたが、ことごとく失敗した。
 1923年初め、Snowdrift はある雌のオオカミとつがいを形成した。ハンターが巣穴を急襲した時には、しかし、この雄のオオカミは雌と子を残してその場を逃走してしまった。一般的なオオカミの性質とは異なり、Snowdrift は自分の妻子に何ら執着を示さなかったのである。
 結局このオオカミがしとめられたのは人間の英知によるものではなかった。老齢によって耳が遠くなり、殺した仔牛を食べている時に見回りにやってきた牧場主に気が付かず、射殺されたのだった。その牧場主も殺した後で、死体を調べて、このオオカミが悪名高い3本指であることを知った。モンタナ中部の田舎町、スタンフォードは熱狂的な歓呼の声に沸きかえった(藤原英司、1972)。

アラスカオオカミの雌(手前)とチベットオオカミの雄
 大きさがだいぶ違うのがわかる。仲むつまじく、まるで子犬のように戯れる情景がよく見られたという(世界動物百科、1972)。

 20世紀初頭、モンタナ州には2頭の特異なオオカミが現れた。1頭は Ghost Wolf、もう1頭は Snowdrift と呼ばれた。Ghost Wolf は1915年に初めて目撃され、2000頭近くの家畜を殺し、1930年に射殺されたという(Neander97)。このあたり、Snowdrift と話がオーバーラップしている。この2頭は同一のオオカミだとの説もあるらしい(Juanita Amero)。Neander97も Juanita Amero も Snowdrift は1923年に退治されたとしている。そして射殺したのは偶然にオオカミを見つけた牧場主ではなく、政府のハンター、 Don Stevens と森林監視員の Stacy Eckert が慎重に追跡し追いつめたとしている。そしてGhost Wolf の方が牧場主の Al Close に射殺されていると。ただ Neander97 は Snowdrift をはっきり雄としているのに対し、anita Amero は雌だったと考えているようだ。
 あるいは1923年に殺された雌の方が Snowdrift だったのだろうか?
 同じ頃に、10年以上にわたり、数千平方キロの広大な土地をさすらっていたのだから、両者が混同されてしまうのがむしろ当然だろう。1頭のオオカミが地域によって別の名で呼ばれていたのか、複数のオオカミが同一視されていたのか、今となってはわからない。

ニューメキシコで牧場を荒らし、多くのハンターの追撃をかわしていたロボは、配偶者ブランカが捕らえられると、身の危険を顧みずにその後を追い、ついに罠にかかった。

 ヨーロッパとは異なり、北アメリカではオオカミが直接人を襲った話はごく少ないのだが、家畜に大きな被害を与えたことで人間側の恨みを買い、悪名高い存在となった。

 シートン(1925)は歴史に名を残した幾頭かのオオカミを挙げているが、これらは必ずしも悪名 Notoriety とは言えない。むしろオオカミの知能の高さや、意外にも慈悲深い気質を示す Fame となっているものもある。
 たとえばカナダで幼い少年と仲良くなり、その子が病死すると遺骸について墓地まで赴き、その後、生涯その付近を離れることがなかったオオカミの話が伝えられており、ウィニペグのオオカミとして有名になった。

 もっとも「食べるために自由を売り渡して人間の支配下に入り、却って野生の仲間を攻撃するようになったイヌと、あらゆる人間の迫害に堪えながらも毅然として野生の生活を続けているオオカミと、はたしてどちらが正しい生き方なのだろうか」(平岩、1981)といった擬人的な見立てには容易には同意できないが、人の評価が悪と善、どちらにもに非常に高いのはオオカミの特筆すべきことだ。

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