クマの埋葬?

 田中釣一氏は、戦前、満州で会った斉張発からこんな話を聞かされた。
 彼がイノシシの足跡を求めて茂みの中を歩いている時、前方の小高い所に、2頭のクマが寄り添うようにして歩いているのが目にとまった。彼はあわてて茂みの中に身を潜め、そっと顔を出してクマの動きを見守った。
 意外にも2頭のクマはいっこうに動こうとはせず、依然として同じ所で寄り添ったまま。彼は一刻も早く立ち去ってくれればと願いながら、息を殺して潜んでいる他なかった。

 30分ほどもたった頃、1頭のクマが後ろを振り返りながらゆっくりと歩き始めた。もう1頭はうずくまったままである。20mばかり離れた所で、歩いていたクマは引き返し、うずくまっているクマの所に戻ってきた。どうも様子がおかしい。
 しばらくして2頭のクマがよたよたと動き始めた。やがて1頭が独りでは歩けない状態なのに気がついた。2頭のクマは100mばかり進むのに、30分以上もかかり、そこでまた動かなくなった。1頭のクマが横になり、動かなくなってしまった。もう1頭のクマが、横たわったクマの肩から腰にかけてに手をあてがいながら、首のあたりをくわえて引っ張り始めた。明らかに病める相手を助けながら目的地に向かおうとしているのだった。斉張発はしだいに気持ちも落ち着いてきた。

 クマの臨終の時が来た。一方のクマがしきりに動かなくなったクマの周囲を回り始めた。やがて亡骸となった相棒の前に腰を下ろして、じーっと見つめたまま動かなくなった。その姿は途方にくれているようだった。
 かれこれ2時間近くが経過していた。後1時間もすれば日が暮れてしまうと彼が焦りだした頃、今まで座っていた漆黒の巨体が身を起こし、なんと穴を掘り始めたのだった。みるみるうちにクマの両側に土が小山のように盛り上がり、その陰にクマの体が隠れてしまうほどになっていた。
 クマが穴掘りに専念している今のうちに彼が逃げ出そうとした矢先、盛土の上に立ち上がったクマの姿が見えた。クマは死んだ伴侶の死体をくわえて穴の中に引きずり込んだ。そしてしばらく穴の様子を窺っていたが、やがて盛り上げた土で亡骸を覆い始めたのだった。想像もしなかった胸迫る光景に、また恐ろしいほどのクマの叡智に斉張発は驚嘆してしまった。

 土をかぶせ終わると、クマはあたりの枯れ葉をかき集め、埋葬した土の上から被せていた。再び座りこんだクマは、ついに諦めたのか、寂しそうに歩き始めた。途中、何度も振り返った。こうしてクマの姿は、夕闇迫る密林の彼方に消えていったという。斉張発は山小屋で、まるで世にもうるわしき人情談でもするかのように話してくれたが、「他人がどういおうともこれは真実だ。夢を見たのではない」と断言した(虎を撃つ、1968)。


 更新世後期のホッキョクグマ(亜種 Ursus maritimus tyrannus )はロンドンの Kew Bridge から見つかった化石により、1964年にクルテンが命名した。氷河で隔てられたシベリアのヒグマが10−25万年前にホッキョクグマに進化したらしい。それゆえまだヒグマに似た形質をとどめている。見つかっている化石は少ないようだが、現在のホッキョクグマよりも明らかに大きく、肩高1.8m、体重は1100kgに達したという。上は現在のホッキョクグマの特大の個体(肩高155cm)との比較。

クマの雑種

 ヒグマの最古の化石は北京の南西40kmにある周口店(北京原人が発見された所)から出土している。およそ50万年前のものだ。そして約25万年前、間氷期が始まり気候が温暖化するとヒグマはアジアからヨーロッパへと分布を拡げた。同じ頃ヒグマはアラスカにも進出したが、ロッキー山脈から東に拡がる厚い氷層に阻まれて、この地へヒグマが分布を拡大したのは、最後の氷期が終わった12000年ほど前であるという(犬飼、1987)。

 一方、ツンドラ地帯をさらに越えて北極海沿岸域に進出する過程で、ヒグマは寒冷な氷海域でも生活し得るよう変貌を遂げホッキョクグマに進化した。クマ科の歴史の中で、ホッキョクグマは最も新しく、その最古の化石とされるものはロンドンから産出しており、約10万年前のものである。ヨーロッパ最後の氷期(ヴァイクセル氷期)の南の縁はちょうどそのロンドンあたりである。この時代のホッキョクグマは現代のものより大型だった(クルテン、1971)。

ホッキョクグマは温暖化に対応?

 ホッキョクグマの祖先が約15万年前に存在していたことを、米ペンシルベニア州立大など欧米の研究チームが突き止めた。その後の暖かい時期である間氷期と極地の平均気温が10度近く下がった氷期をそれぞれ生き抜いたことになる。ホッキョクグマは地球温暖化の影響で絶滅が懸念されているが、環境変化に高い適応力を持つことを示している。

 2004年、アイスランドの地質学者が、ノルウェー・スバールバル諸島の地層からホッキョクグマの顎骨と犬歯を発見。研究チームは化石に残された遺伝子と、米アラスカ州に生息するホッキョクグマ2頭とヒグマ4頭の遺伝子を比較解析した。その結果、氷期だった約15万2000年前にヒグマとホッキョクグマの共通の祖先から枝分かれし、最後の間氷期が始まる直前の約13万4000年前には現在のホッキョクグマに近い形で存在していたことが分かった。
 間氷期の中で最も暖かかった約12万年前には、極地の気温は現在より3〜5度高く、約1万年前に終わった氷期では逆に数度低かったと推定されている。研究チームは「ホッキョクグマは過去の激しい環境変化に適応してきたが、次第に活動範囲は狭まっている。現在の温暖化に対応できるのか調べたい」としている(毎日新聞)。
 ホッキョクグマとヒグマが近縁であることは両者の間に雑種が生まれることからも明らかだ。飼育下ではホッキョクグマとアラスカヒグマの混血はそう珍しくはない。北ヨーロッパ産のヒグマとの交雑も成功例がある。しかもこれらの雑種は繁殖能力を持つという(Ben East, 1977)。

混血のクマはいったいどんな容姿をしていたのだろう?

 Feazel(1990)は、生まれてきた子はホッキョクグマの主な特徴を備えており、毛色も白いが幾頭かは成長と共に暗色化すると言っている。Dufresne(1965)は、白だけでなく、銀灰色や褐色のものもあり、ヒグマのように頭が大きく、肩が盛り上がっていたり、また長い首とやや幅の狭い頭をしたものもいるとして、変化に富んでいるという。

ホッキョクグマは見かけ以上にヒグマと近縁で、ホッキョクグマは極地での生活に適応したヒグマにすぎないとまで言われる。泳ぎに適した長い首と氷の上を歩くのに向いた大きな足を持つ。

 2004年7月に秋田県男鹿市に開館した男鹿水族館GAO(ガオ)では、セルビア・モンテネグロの動物園から雌のホッキョクグマを買い入れる予定だったが、当のクマの両親がコディアックベアとの雑種で、輸出に必要な「血統書」もなかったことが分かり、今年に入って輸入差し止めになったとの経緯が河北新報で紹介されている。このクマは見かけはホッキョクグマそのものだったようだ。
※ わたぴーさんから知らせていただきました。


ホッキョクグマとハイイログマ−野生下の雑種

 カナダ北部のバンクス島で射殺されたクマ−ホッキョクグマと思われていた−がDNA 鑑定の結果、ハイイログマとの雑種だったことが2006年5月、発表された(Yahoo News)。

 4月、イヌイットの Roger Kuptana は彼がガイドをしていたアメリカ人ハンターがしとめたクマに疑問を抱いた。そのクマの毛色は白かったが、所々に褐色が混じっていた。爪は長く、肩は少々隆起していて、ハイイログマを想わせた。
 ブリティッシュ・コロンビアの研究所で鑑定した結果、雌のホッキョクグマと雄のハイイログマの間に生まれた雑種であることが判明したという。
 カナダの動物学者でクマに詳しい Ian Stirling は(両種の交雑は)起こるかもしれないと常々考えていたと語る。ホッキョクグマとハイイログマは一部の地域で分布が重なっており、また所によっては繁殖期も一致するからだ。しかし野生下で実際に確認されたのはこれが初めてのことだ。
 65歳のハンター、Jim Martell は自分が撃ったクマがハイイログマでなくて胸を撫で下ろしているという。カナダの法律では許可なくグリズリーを撃った者には909ドルの罰金と1年以内の懲役が待っているからだ。

 Stirling は彼らがこの雑種のクマをなんと呼ぶべきか思案している。Pizzly、Grolar Bear などの名前が挙がっている。一人は Nanulak を提唱しているという。イヌイットはホッキョクグマを Nanuk、グリズリーを Aklak と呼んでいる。
 ハイイログマとホッキョクグマが出会うことに違和感を覚えるかもしれない。しかしハイイログマは、北アメリカの北極圏にはしばしば現れる。


(Anchorage Daily News)
 2003年、アラスカ北東部、ボーフォート海に面した Barter Island でホッキョククジラの死骸を巡って両者の遭遇があった。
 4頭のホッキョクグマ(内3頭は成獣の雄)がクジラの死骸を食べているところへ、2頭の子を伴った雌のハイイログマがやってきた。自分の3倍はあろう相手に臆することもなく、グリズリーは突進し、吠えたてて威嚇し、ホッキョクグマを死骸から後退させてしまった(左)。
 ツンドラ地帯のハイイログマは小型で、雌だと体重は100kgほどしかない。それでも強気に出られるのはクマの気性の違いだろうか。Barter Island では海岸に姿を見せるグリズリーの数は近年増えているという。

マクファーレンヒグマ?

 カナダの博物学者・ロデリック・マクファーリンは1864年に1頭のヒグマを撃ち止めた。その黄色がかったクマの毛皮と頭骨は、スミソニアン博物館に収められた。50年以上経過して、北米のクマの分類を総括しようとしていたクリントン・メリアムがこの特異な標本に注目し、1918年に新属・新種のマクファーレンヒグマ Vetularctos inopinatus として発表した。頭骨はヒグマに似ているが、その歯は絶滅した巨大グマであるアルクトテリウムとトレマルクトス(メガネグマ)の歯に似ているという。メリアムは、「臼歯の特徴に見られるこれら3属の類似は、マクファーレンヒグマがアルクトテリウムとトレマルクトスと共通するある一つの古い系統から生じたと考えてよい十分な根拠になる。この3属を生んだ系統は、ヒグマ属を生んだ系統とは明らかに異なる」と記述している。
 このように書いていながら、その後考えが変わったのか、メリアムは1924年にこの黄色いグリズリーを Ursus inopinatus としてヒグマ属に含めている。
 ヒグマやグリズリーが進化してくる以前の時代のクマを代表するマクファーレンヒグマは、淡い黄褐色から黄色味がかった褐色で足や腹の正中線に近い部位では赤褐色になる。全体としては、黄褐色がかった白に見えるこのクマの大きさに関しては、メリアムは何も書いていない。またマクファーリンが採集した頭骨と毛皮が今日に至るまでこのクマの唯一の標本である(シートン、1925)。
 キャスパー・ホイットニー(1896)は、マクファーレンヒグマとは明示していないながらも、ロッキー山脈近くを流れるアンダーソン川で夏になるとツンドラに姿を現す一見して変わった印象のクマを発見している。
 そのクマは前足の爪が後足の爪とほぼ同じ大きさであることや、頭部がエスキモーのイヌによく似ていること、それに毛色がグリズリーに似ることから、ホイットニーは、グリズリーとホッキョクグマの雑種のように見えると書いている。

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