2003年3月、インド中部の Bandhavgarh 国立公園で、雄トラが雌とその4頭の子と共に過ごしているところが何度も目撃された。雄は明らかに父親としてふるまっており、子に獲物を分け与えたり、また彼らの土地に他のトラが侵入しないよう監視したりしていた(Valmik Thapar, 2004)。

 一般にトラは単独で生活し、繁殖期以外には成獣のトラが一緒にいることはないとされている。これは正しいのだが、一方で複数のトラが共に行動していた例も報告されている。
 雌雄のトラが共に行動しているところはしばしば見られる。2頭は同じ獲物を一緒に食べている。しかしこのような共同生活はすぐに解消され、ペアは単独生活に戻る(Berg, 1936)。これは繁殖期のことをいっているようだ。
 マレーシアでは雄のトラは、雌が同じ地域に棲んでいることを嫌っている様子はない。特に子連れの雌の場合は。しかし彼らが交際したり獲物を分かち合うことはない(Locke, 1954)。


 トラが狩猟を複数で行うことは(子連れの雌を除いて)ないといってよい。一方、Brander や Baze(1957)は2頭の成獣が一緒に狩りをしているのを見たと言う。さらに Baikov(1936)になると2頭のトラが一緒に狩りをすることは頻繁にあるとさえ言っているのだが。
 近隣に棲むトラが、狩の最中に遭遇することは少なからずあるだろうとシャラーは考えている。Baikov もそれぞれ別の方角からやってきた雄と雌が河床で出会い、合流して連れだって去っていくのを見ている。このような出会いは偶然であり、永くは続かない。2頭はすぐに別れてしまう。

 1頭の雄と2頭の雌が行動を共にしているところはしばしば見受けられる(Brander, 1923)。
 2頭の雌と1頭の雄が同じ獲物を食べていたことがある。雄が捕らえたものだった(Sanderson, 1912)。
 トラの家族−雄と雌、それに2、3頭の子−が共にいることがある。時には子は、母親とほとんど同じ大きさのこともある(Hewett, 1938)。
 これらを例外として片づけることはたやすいが、1980年代にも2頭の雄と3頭の雌のグループさえ見つかっている。Thapar(2004)は彼らは同じ母親から生まれた兄弟で、成長してからも離れずに共に生活しているのかもしれないと考えた。

 シャラー(1967)は狩猟、もしくは単にうろついているだけのトラを82回観察したが、2頭の成獣が一緒だったことは2度しかなかった。うち1回は雌同士だった(1頭は子連れ)。もう一つは定住の雄と放浪者の雄だった。2頭はゆっくりしたスピードで並んで歩いていたが、侵入者の方はしきりに唸り声を発していた。
 シャラーはまた同じ地域に棲む1頭の雄と2頭の雌の関係について触れている。雄と子連れの雌との関係は良好で攻撃的な動きは見られなかった。しかし雌同士の間には緊張が感じられた。
 雌とその子供たちが食べている間、雄がじっと待っていたことがある。2時間半も経過してから雄は食べ始めた。また別の時には、雄は全く食べなかった。
 シャラーが見た限りでは、3者が死骸の側にいた時には、実際に殺しを行ったのは子連れの雌で、雄やもう1頭の雌に食べるのを許すにしても、最初に食べる権利はこの雌が有しているようだった。
 Baze(1957)も殺したばかりのシカを雌が食べている間、雄は順番が回ってくるのをじっと待っていたのを見ている。

 恋の季節ともなれば雌雄が一緒に行動しているのは当然である。この時期、1頭の雄と1頭の雌が結ばれるのだが、1頭の雄が2頭の雌を伴っていることは珍しくない。数頭の雌と1頭の雄の行動圏が重なっている場合、雄は、雌が発情している限り、定住者、放浪者を問わず関係を持とうとする。
 一方、複数の雄が1頭の雌に惹きつけられた時には雄同士の間で諍いが起こる。Hanley(1961)は3頭の雄が1頭の雌を巡って争うのを目撃した。
 彼は樹上から1頭の雌が呼び声を上げ、3頭の雄がそれに呼応するのを見た。最初に雌に近づいた雄にもう1頭が跳びかかった。双方が激しく吼えながら戦っている間、若い雌トラは腰を下ろし、毛繕いをしながらそれを眺めていた。少し離れた藪の中では3番目の雄がやはり成り行きを見守っていた。
 1頭が首に大きな傷を負って遁走すると、勝者は−やはり負傷して脚を引きずっていたが−雌に近寄った。しかしそれは3番目の雄の攻撃を招いただけだった。新参者は容易に傷だらけの勝者を追い払い、雌との求愛を始めたのだった。

 1989年2月、インド南部の Nagarahole で、Karanth(2001)は1頭の雄と2頭の雌、それに3頭の子がサンバーの死体の側に一緒にいるのを目撃している。彼は雌同士は隣人であり、子供のために獲物を分かち合っていたと考えている。そして両方の子の父である雄がそこに参加していたと。


 ライオンが近距離から走って獲物を追いかけるタイプなのに対し、トラは待ち伏せて突如躍りかかることが多いと言われる。しかしトラも短距離ならかなりのスピードで走ることができる。1分間走らせて時速48kmが計測されたことがある(O. ブレランド、1948)。
 雄のトラがしばしば子を殺すことは事実である。そのため雌は放浪者の雄が近づくことを警戒し、時には激しく攻撃する。
 1981年11月、ラジャスタンの Ranthambhore 公園で2頭の子を連れた雌のトラが定住者でない雄のトラと遭遇した。雄が子に近づいたため雌は攻撃した。雌は雄の右前足に爪を立ててその動きを封じてから咬みついて雄を殺してしまった(V. Thapar, 2004)。
 1950年にアッサムでも似たようなできごとがあり、やはり子を守ろうとした雌のトラが大きな雄を殺した(W. D. Ritchie)。
 いずれの場合も雌は殺した雄トラの一部を食べている。トラが殺したトラの肉を食べることは勝利の証明だと説明される。

 William Baze(1957)はベトナムで複数のトラが生息していた洞窟を発見している。そこにはいくつかの部屋があり、一つにはトラの家族−父母とその子−が棲んでいた。もう1頭の雄は別の部屋に単独でいた。そしてさらに別室には雌がその子と共にくらしていた。


 開けたサバンナに棲むライオンとは異なり、トラが集団を形成するメリットはあまりない。深い森林では食べ残しを隠すのは容易であり、また狩に際しても群の方が有利というわけではないからだ。複数のトラが一時的に集まるにしてもそれはコミュニケーションの延長であり、持続する必要性はないのですぐに離れてしまう。Karanth は言う。トラは solitary かもしれないが not alone と。

 豊かな表情を持つ動物は、人を含む霊長類を除けばイヌとネコくらいである(今泉吉典、1975)。これらの動物がコミュニケーションを必要とする社会生活を営んでいることを示している。
 近在に棲む家ネコがときおり集会を行うことが知られている。
 行動圏を共有するネコは、野良猫も飼い猫も、雌雄に関係なく、ときおりミーティングを行う。時間と場所を決めて集会を開き、連帯を深めておくことは、地域社会を安定に保つ上で必要なことなのだ。共有地といえども見知らぬネコが入ってくれば排撃されるのである。
 集会ではネコの多くは数メートルの間隔をあけて座っている。中には体を寄せ合ったり、お互いに毛繕いをしあっているものもいる。声はほとんど発せられない。こうして会合は夜半まで続けられる。
 トラの社会生活の基本は単独だが、それは非社会性を意味するのではない。成獣同士でもしばしば合流し、短い間は共に行動することがある。獲物が豊富な時と思われる。
 シャラーが観察していた、テリトリーは別だが行動圏が重なっているトラたちは、お互いにその存在を知っておりその行動も気にかけていて、獲物を捕らえたものがいるとご相伴にあずかろうとするものも現れた。そしてこのような社会性は、トラに限らず多くのネコ科動物が持っているようだ。例外はライオンである。

 スコットランド博物館の Andrew Kichener はトラを3亜種に分けている。インドからインドシナ、中国、そして極東ロシアに至る地域のアジアトラ Panthera tigris tigris 。スマトラ、ジャワ、バリ、そしてボルネオの Sunda Island Tiger P. t. sondaica 。西アジアのカスピトラ P. t. virgata である。
 以前にもこれに似た考え方はあった。ペルシャトラとインドネシアのトラはあごひげがよく発達し、縞模様の数が多く、また上下の縞が2本ずつ合流しているとして、インドから東アジアのグループと区別していた(小原、1968)。


 Thapar(2004)によれば最近発見された化石やその他の状況的証拠から、数百年前まではボルネオにもトラが生息していたという。これまではボルネオが島になった時(1万年前)にはトラの南下はそこまで到達していなかったと考えられていた。
 インドでは最古のトラが1万年前のものとされているが、中国だけでなくジャワ、スマトラにも数十万年前に既にトラが現れていたとしたらボルネオにも分布していたのは自然な成り行きだが。

BACK