1902〜1910年のインドにおける統計では、毎年698〜1793人がトラに殺されている(これ以降はトラだけの被害といった統計はされておらず、全野生動物による人間の被害としての記録になっている)。

 1頭の動物による人食いの記録保持者は、The Champawat Man Eater として知られる雌のトラで、最初ネパールに現れて200人を殺し、4年後にクマオンに移動し、そこでの4年間でさらに236人を殺した。1911年にジム・コーベット(クマオンの人食いドラ、1944)がトラ退治にのりだし苦心の末しとめた。

 1869年にインド東部、ガンジス川下流のデルタ地帯に現れた雌のトラは129人を殺した。

 1966年1月、Ramgiri Udaygiri で6年間に500人を殺したといわれるトラがアイダホの Alida Sverdsten に射殺された。しかしこの数字は相当に誇張されているようだ。

 ガンジス川とブラフマプトラ川下流、インド、バングラデシュにまたがる広大なデルタ地帯、スンダーバンスは約1万平方キロ。マングローブの生い茂る密林やたくさんの島々を擁している。この一帯は人食いトラが多いことで知られている。スミソニアンのジョン・サイデンステッカー(1985)はトラが日常的に人を食べている所の一つだという。ここでは1975年からの10年間でインド側で425人、バングラデシュ側で187人がトラに殺された(マクドゥーガル、1991)。
 インド当局は、後頭部に着けるプラスチック製の仮面を地元住民に配付した。トラやライオンなど大型ネコ科は背後からこっそりと獲物に忍び寄る習性があるので、仮面を着けることでトラからの攻撃が免れるらしい。仮面の大きく見開いた眼のために、トラは人に気づかれていると思いこみ、襲撃を断念するというのだ。
 電気ショックの仕掛けを施したマネキン人形を囮に使う方法も人への関心を絶つために用いられている。電気を通したマネキンを襲い、一度感電してショックを受けたトラは、その獲物には二度と近寄らないと考えられるからだ。

 1857年、Sterndale は人がトラに殺されたようだと聞いて現地に急行した。そして犯人が実はヒョウであることがわかった。3年後にはそのヒョウは Kahani man-eater として有名になり、犠牲者は200人を越えた。Sterndale をはじめ多くのハンターがそのヒョウを追ったが仕留めることはできなかった。ある現地人の猟師がイノシシと間違えてそのヒョウを射殺し、Were-leopard とまでいわれて村人に怖れられた人食の一件は落着した。

 コーベットは1910年に Man-Eater of Panar と呼ばれていた人食いヒョウを撃っている。それまでに、このヒョウは400人を殺していた。
 クマオンではほぼ同じ時期に2頭のヒョウによる犠牲者が525人に達した。村に伝染病が蔓延し、捨てられた病死者の死体を食べているうちに人の味を覚え、伝染病がおさまって人の死体が出なくなると、本物の人食いとなって村を襲撃したのだった。
 また、これもコーベットによるのだが、Leopard of Rudraprayag)と呼ばれたヒョウは9年間(1918〜1926)に125人を殺している。このヒョウは全長228cm、1本の牙が欠け、後足の指も1本が失われていた。

1972年10月、インド西部の村で1頭のヒョウがわずか8時間に3人もの子供(4歳、7歳、12歳)を殺してさらって行ったことがある。
 Roger Caras(1975)によると1962年5月、インドの Bhagalpur で3年の間に350人を殺したといわれるヒョウが退治された。公式に発表された犠牲者は82人だが、当局もこの数字が低すぎることを認めていた。

 1978年4月インド北部のヒマラヤ山麓で少なくとも18人を殺したヒョウが罠によって生け捕りにされた。
 ヒョウは Lucknow 動物園に送られたが、以降人に対してたいへん Shy になり、ほとんど巣穴から出てこようとはせず、飼育係が目の前に差し出した肉も拒絶していたそうである。その後このヒョウがどうなったのかは残念ながらわからない。

 インド最大の都市、ボンベイ近郊にある Sanjay Gandhi National Park 付近では今年(2004年)6月だけで10人がヒョウに殺された(Associated Press)。ヒョウによる人身事故は2002年に11回、2003年に15回あった。今年の犠牲者はすでに14人になり、他に5人が負傷している。

 また6月の犠牲者のうち6人は公園のすぐ外で殺されている。ヒョウが獲物を求めて行動圏を拡大しているようで、公園管理局ではブタやウサギを放してヒョウが人を襲うのを防ごうとしているほか、7月中に500頭のイノシシと40頭のシカを放してヒョウの餌を補う予定であるとか。
 現場検証から人を襲っているのは、国立公園の周囲を徘徊するまだ若い(2、3歳)ヒョウ(複数)らしく、このあたりに多い野犬が主な狙いであるようだ。
 6月28日の夜明け前には、ドアもない粗末な小屋に住んでいた18歳の少年がヒョウに引きずり出され、喉を噛まれて死んだ。同じ日に、公園内の寺院で眠っていた52歳の男性が別のヒョウに殺されている。
 問題を起こしているのはヒョウではなく人間だと森林監督官はいう。森林は野生動物のためにあり、人のためではないと。公園内には11000人の不法居住者がいる。そして公園周辺の人口は100万に達している。問題の森林は70年代に国立公園に指定された。その後ボンベイ市が拡大し、郊外の公園周辺に多数の集合住宅が建設され、その結果、路上生活者が公園内に入り込んでいた。


このニュース(Associated Press)は海外在住の読者の方から教えていただきました。

 2011年7月、インドの西ベンガルで、Prakash Nagar 村に迷い込んだヒョウが数人の村人を襲い、負傷させる事件があった。出動した森林警備隊により捕獲され、Sukna にある獣医学センターに送られたが、その夜のうちに(傷ついていたため)死亡した(DailyPic)。※ わたぴーさんから知らせていただきました。

ネパールで人食いヒョウの襲撃相次ぐ

 2012年11月、ネパール西部のインド国境付近で最近、人食いヒョウによるとみられる襲撃が相次いでいる。過去1年3カ月の間に子どもら15人が死亡した。

 11月3日に、首都カトマンズから西へ約600km離れたバイタディ地区の森で、行方不明となっていた4歳の男児の頭部が発見された。ヒョウには、遺体を森の中へ運んで食べる習性がある。
 死者15人は全員、森に隣接する村の住民で、10歳未満の子どもが3分の2を占める。家畜のえさを探しに森へ入った29歳の女性1人も含まれるが、成人男性の死者は報告されていない。
 地元警察責任者は、これまでの襲撃はすべて人食いヒョウ1〜2頭の仕業との見方を示す。国境を越えたインド北部でも同じヒョウによるとみられる襲撃で死者が出ているという。
 専門家によると、ヒョウは通常、野生動物をえさにしているが、塩分濃度が高いとされる人間の血液の味を覚えて「人食い化」することがある。ただ、同じ地域に3頭以上の人食いヒョウが共存するケースは、ほとんどみられないという。
 地元当局は、問題のヒョウを捕獲または殺した者に25000インドルピー(約37500円)の賞金を支払うと発表。野生動物を殺すのは基本的に違法だが、当局は特別に許可を出した。さらに住民にはひとりで森に入らないよう警告し、武装警官を配置するなど、対策に乗り出している(CNN)。

 人食いとは人の味を覚え、常習的に人を捕食するようになった動物をさすが、かつてはトラ・ライオンなどが人食いになると人間ばかりを襲うようになるといわれていた。その意味では真の人食いはトラ・ライオン・ヒョウ以外にはいないといえる。

 パターソンがツァボの人食いライオンを待ち伏せたとき、ロバの死体を囮に使ったが、ライオンはその死体を食べていた。再び戻ってきたライオンは、ロバの死体よりも木の上のパターソンに関心を示したが、じっと身を潜めているものがそばにいるとなれば当然だろう。ライオンが戻ってきたのは食べ残しのロバのためだったはずだから。  

大型ネコ族が人食いになる原因のひとつは、人間の肉が「塩の効いた味をしているから」だそうである。
 ネコが人の掌を舐めるのはその塩味の故だといわれるが、これがトラだと舐めるだけではすまないだろう。

ジャガー

 ブラジルでジャガーが人を襲った記録がいくつかあると Sasha Siemel(1954)が報告している。また1829年、ペルーでは50人近くを殺したジャガーがいたそうだが、噂の域を出ないようだ。


 オオカミは童話の世界では悪役の代表みたいなものだが、北アメリカではオオカミが人を襲った例はほとんどない。話としてはあるのだが、事実として確認できたものはない。
 一方、ヨーロッパではオオカミによる人食いの報告がいくつもある。Mivart(1890)はロシアでは1875年に161人がオオカミの犠牲になったと言っている。
 1439年にパリに姿を現したクルトーとその仲間のオオカミは多くの人を殺したが、中世のヨーロッパは戦争が多く、戦死者の死体、また戦争で負傷して抵抗力のほとんどない人も多かったことがオオカミに人食いのきっかけを与えたようだ。

 最も有名なのが1764〜1767年にフランスに現れた2頭のオオカミジェボーダンの獣 the Beast of Gevaudan で、少なくとも60人、ことによると100人以上を殺したといわれる。
 これらのオオカミが一人の少女を襲った時、少女が持っていた手製の小さな槍で逆襲され、1頭が首を刺された。オオカミは逃げたが追跡され、傷ついていた1頭は村人に討ち取られた。それでも人殺しを続けていたもう1頭もやがて討ち取られ、その胃の中から殺したばかりの子供の残骸が発見された。
 これら2頭は純粋なオオカミではなく、イヌとの混血だったとされている。そして野生のオオカミは人を恐れるが、野生化したイヌは人をよく知っているので却って攻撃的になりやすく、人を襲うことがある。
 比較的新しいところでは、1962年にトルコでオオカミの群がある村を襲って9歳の男の子を殺し、14人に傷を負わせた。オオカミの攻撃は一晩の間に4回、延べ7時間に及び、村人は斧や鎌で応戦した。
 アメリカでは銃が普及しているので、オオカミを退治しやすく、そのために被害が少ないのだとの説もある。

 2005年2月、アフガニスタンでオオカミが人を襲う事件が起きた。パキスタンとの国境に近い Paktia province では山を下りてきたオオカミが村に侵入し、4人を殺し、22人に傷を負わせた。この冬は特に気候が厳しく、80人と460頭のウシが寒さのために死んでいるという (paktribune.com)。

BACK