1968年に福島県の双葉層群という地層から当時高校生だった鈴木氏によって発見されたフタバスズキリュウ(フタバサウルス)はとみに有名だ。これは白亜紀後期のエラスモサウルス類で、発掘された本物は東京の国立科学博物館にあり、復元された骨格標本の複製が、いわき市石炭・化石館などで見られる。全長約6.5m
 この発見を知って来日した米カリフォルニア大学のサミュエル・ウェルズ博士にあやかってウェルジオサウルス・スズキイと命名されたのだったが、「正式の記載論文が公表されず海外専門家の承認も得られず、残念である」(鹿間、1979)との状態におかれてしまっていた。
 2006年5月、エラスモサウルス科の新種としてフタバサウルス Futabasaurus suzukii と正式に命名されることが発表になった(恐竜の楽園)。


 フタバサウルスの頸の真ん中の骨や尾骨の多くは見つからなかったそうである。頭骨も後半部が欠けている。また周辺からサメの歯の化石が80個以上発見されている。「数頭のサメがフタバサウルスを襲い、噛み付かれたフタバサウルスが暴れたのでサメの歯が抜けて共に残った」との推察もあるが、死骸にサメが群がったのかもしれない。
 シカゴにあるデポール大学の古生物学者、島田賢舟氏よるとフタバスズキリュウの化石と共に見つかった歯はクレタラムナ Cretalamna appendiculata という古代ザメ(約3m)で少なくとも7匹分にあたる。島田氏はこのフタバスズキリュウは死んでいたか、死にかけていたかのどちらかだろうという。「サメが自分より大きな動物の死骸をエサにしている場面に出くわすことはある。もし大きな相手に攻撃を仕掛けるにしても、手負いの場合がほとんどだ」(NationalGeographic)。


 福島県双葉郡富岡町から茨城県日立市あたりにかけての一帯は、かつて常磐炭田として栄えた。1923年、この地域の石炭層を調査していた古生物学者で地質学者の徳永重康博士は、さらに古い白亜紀後期の地層を発見。そして、これを「双葉層」と命名した(徳永博士が双葉層として命名、後の研究者に双葉層群とされた)。双葉層群は、いわき市北部の四倉町から北に細長く延びた、8900万年前〜8500万年前の地層だ。大きく3層に分かれ、最も古い足沢層からは二枚貝やアンモナイトの化石、真ん中の笠松層からは陸の生物の化石が見つかっている(The Big Issue)。
 フタバスズキリュウはエラスモサウルス科としては少し古いタイプの種だ。北太平洋では最古の首長竜だとされている。一方、北海道からはもっと新しい大型の種類が発見された。



 北海道では1958年から20年ほどの間に首長竜の化石が10回ほども発見されている。たとえば1967年6月に三笠市では、直径1mくらいの岩石の中に脊椎や肋骨、尺骨などがばらばらに入っているのが見つかりエラスモサウルス類と鑑定されている。
 1973年と1991年には中川市で首長竜のまとまった化石が見つかった。特に91年の化石は成体のもので全長11mと推定されている。頭骨は見つかっていないが他の骨格の特徴からモレノサウルスと鑑定された(種小名はまだ付けられていないようだ)。白亜紀後期(7200万年前)のエラスモサウルス類でロサンゼルス郡立自然史博物館に展示されている Morenosaurus stocki をベースにして全身骨格が復元され、エコミュージアムセンター自然誌博物館に展示されている。


 エラスモサウルス類の首の骨はいったい幾つあったのかは、はっきりとはわかっていない。長大な首が化石としてほぼ完全な状態で算出するわけではないからだ。種によって違うことはもちろんだ。
 2012年にカナダのアルバータでアルバートネクテス Albertonectes vanderveldei のほぼ完全な骨格が報告され、その首の骨が76個であることが確認された。この数がすべてのエラスモサウルス類に適用されるわけではないが、特に首の長い種類では同等の数の骨があったとみられる(恐竜ビジュアル大図鑑)。


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