マーストリヒト自然史博物館にあるモササウルスの骨格(全長14m)

 中生代白亜紀後期、世界各地の海にはモササウルスの仲間が覇を唱えていた。特に西ヨーロッパや北アメリカに多かった。よく海のオオトカゲといわれるが外見はあまり似ていない。手足は鰭となり、太く幅広い尾を持ち、完全に水生に適応していたからだ。しかし頭骨の構造は現在のオオトカゲのそれに酷似していて、かなり類縁が近いものと考えられている。

 モササウルスの化石がオランダのマーストリヒトで初めて発見された時(モササウルスの発見は、最初の恐竜よりも50年ほど早かった)、その頭骨を見て、Adrian Camper (1800) はオオトカゲと類似していることを指摘している。

 モササウルスの化石の発見はナポレオンと絡んであまりにも有名だ。1770年頃、オランダのマーストリヒトで未知の動物の顎の骨が見つかり、地元の医者だった C. K. Hoffmann 博士が一人で顎の骨を発掘した。地元の教会に保管されていたのを、オランダに攻め込んだフランス軍が持ち帰った。
 これを1795年、パリ自然史博物館がワイン600本の賄賂で手に入れたという。同博物館の G. Cuvier が鑑定し、マース川のトカゲという意味のモササウルス Mosasaurus hoffmanni と命名した。

 1995年、チュービンゲン大学の T. Lingham-Soliar はマーストリヒトの頭骨化石を再鑑定したうえで下顎は完全ならば1.6mもあっただろう、そして全長は17.6mと推定できると発表した。M. hoffmanni の巨大さは、他で発見されたいくつかの化石(断片)からもうかがえるという。

 モササウルス科の多くの種では、頭骨の長さは全長の10−14%である(Russell, 1967)。このことからリンガム-ソリアーは最大限で17.6mと見積もったというのだが下顎の長さの11倍にしているように思える。

 サウスダコタの Museum of Geology にある Mosasaurus conodon の完全に近い骨格。全長8.8m、頭骨は1.2m


 ロシア西部の Penza 郊外で1927年に発見された Mosasaurus hoffmanni の頭骨が Saint Petersburg大学の博物館に展示されている。マーストリヒトの頭骨よりも大きいという。化石は断片化しているが復元すると長さ1.7m余りになる。Russell(1967)の説に習えば、この個体の全長はその10倍、17mに達するだろうという(D.V. Grigoriev ,2014)。
 Russell の7〜10倍というのはモササウルス科の多くの種を総括してのものなので、モササウルス属に限ればその範囲は7〜8倍くらいではないだろうか? 


 モササウルス類は白亜紀後期の海洋で非常に繁栄し、最も成功した捕食者だったようである。モササウルスは、白亜紀前期に西ヨーロッパにいた陸棲トカゲから派生したようだが、約9500万年前に海に適応して(アイギアロサウルス)からの分布の拡大は速かった。
 モササウルス科は広汎な地域から多数の化石が見つかっている。1880年頃には、エール大学博物館だけでも1400個体以上の化石を保有していた。Williston は1898年に、これまでに2000個体に近い数の化石を見てきたと書いている。彼自身が収集した分だけでも400を超えていた。

 モササウルスは細長い体と横に圧縮された長い尾を持っていた。全長に占める尾の割合は、ティロサウルスでは52%に達していたがモササウルスではもう少し短く40%くらいだった。
 B. クルテン(1968)は、多数の成体の骨格が見つかっているにもかかわらず、若い標本は全く見つかっていないと書いていた。雌は子を産むために川を遡り、子は自立できるまでより平和な川に残っていたのかもしれないとの Williston (1898)の仮説を引用した上で、化石の証拠がないので推測の域を出ないとしていた。
 1996年、子を宿していた雌の化石が見つかり、さらに幼体らしい小さな個体の化石が海岸から少なくとも300km離れた内海で見つかるに及んで、モササウルスが海で子を産んでいたことが明らかとなった。

Texas Memorial Museum

 北アメリカでは、1869年にニュージャージーで発見された化石が Cope によって Mosasaurus maximus として記載されている。これも最大のモササウルスとされ、全長23mに達したと推定されたが、最近では12.4mに下方修正されている。
 1934年にはテキサスの Onion Creek でテキサス大学生の Clyde Ikins と John P. Smith が見事な骨格を見つけている。全長9m、このうち尾は3.6m。頭部は1.4m?(Texas Natural Science)。口をいっぱいに開けると高さ90cmになり、かなり大きな獲物でもひと呑みにできた。
 しかし Mosasaurus maximus の化石はまだ充分ではなさそうで、最近(1999)では hoffmanni と同一種ではないかとの指摘もされている。

 実吉達郎氏は「日本の古代獣(1974)」の中で、モササウルスのなかまはヨーロッパ、北アメリカ、ニュージーランドなどに分布していたといわれ、日本での発見例はまだないが、その発見の予想が確実視されている、と語っておられる。そして予想通り、日本でもモササウルスの化石が発見された。

 北海道の勇払郡穂別町で1982年(背骨、肋骨など)と1995年(頭骨など)にいずれもモササウルスに新種と鑑定される化石が見つかっている。日本国内でのモササウルスの化石の発見は12例あるそうだが、どれも断片的なもので Mosasaurus 属の新種と鑑定されたのはこの2例だけである。
北海道苫前郡羽幌町で見つかったモササウルスの顎の骨。約32cm。白亜紀サントニアン紀のもので属種名は不詳だが上顎、下顎共にあり歯が多数保存されている。

 滄竜(モササウルス)の化石が和歌山県有田町で見つかったことが、2009年6月3日、県立自然博物館から発表された。見つかったのは後ろひれ脚の関節部分でつながった状態のままであり、このような例は国内では初めてだという。また、近接した岩盤からサメの歯の化石が10点以上発見され、モササウルスが死後、サメに食べられたと推測される。
 細かい分類群レベルの特徴を良く反映する頭骨や歯の化石が確認できていないため、属や種の同定は困難だが、大腿骨の中央部が強くくびれ、かつ腓骨に比べて脛骨の横幅が明らかに大きいので、Mosasaurus(モササウルス)属に近い。少なくとも後肢の特徴全般から、モササウルス科の中でも進化的なグループに属すると推定される。この滄竜が生きていたときの全長は、正確にはわからないものの、大腿骨の大きさから推定8m以上という (和歌山県立自然博物館)。
※ Yamada さんから知らせていただきました。

 2010年12月、モササウルスの、国内では最大級とみられる個体の顎の化石が、大阪府泉南市の中生代白亜紀末期(約6600万年前)の地層から見つかり、発見者が18日、きしわだ自然資料館(大阪府岸和田市)に寄贈した。化石は茶色で長さ約16cm、幅約8cm()。
 鑑定した日本古生物学会特別会員によると、歯の付け根や生えかけの歯が観察でき、歯の大きさから全長10m前後の個体とみられる。発見されたのは3月で、、国内では最も新しい年代のモササウルス化石という(47ニュース)。
※ ac7059さん、hazukiさんから知らせていただきました。

 2011年10月、和歌山で更に大きな発見がなされた。もっと多くの骨が見つかったのだ()。


 和歌山県でモササウルス類の化石が、前肢の骨、歯、肋骨、つながった状態の脊椎骨など大量に見つかった。2006年に有田川町で後肢の骨などが見つかった場所で、2010年12月から11年3月にかけて追加発掘をした成果で、これほど多くの部位がそろって発見された例は過去になく、間違いなく日本一のモササウルス類の化石だろう。注目すべきは後肢に続いて前肢の化石が得られたことで、前肢と後肢の化石がそろうことは世界的にも稀なことであり、モササウルス類に関するあらゆる研究を進める上で非常に重要な成果だという(和歌山県立自然博物館)。

 1976年に北海道の桂沢湖の近くで発見され、日本にもティランノサウルスの仲間がいたと新聞などに大きく報道されたのがエゾミカサリュウだ。見つかったのは鋭い牙の付いた頭骨の部分化石で、いかにも獰猛そうである。三笠市では、地元で産出するアンモナイトの化石などと共に新たに竣工した市立博物館に展示し、観光の目玉にもなってしまった。湖畔にはティランノサウルス風の復元模型も建てられた。

 ところがこの頭骨、正式にはまだ研究中であり、大型の肉食動物のものではあるが、恐竜なのかどうかはまだ結論が出ていないのだ(恐竜博画館 1984)。
 読売新聞北海道支社編集の「恐竜の証言(1977)」ではまるでティランノサウルスの1種であるかのように扱われ、その壮絶な最期−2頭の肉食恐竜の戦いから化石になるまで−が描写されている。この8000万年前の化石は国立科学博物館の小畠郁生氏によってエゾサウルスと命名されたという。

 エゾミカサリュウは、2008年6月にモササウルス科のタニファサウルス Taniwhasaurs mikasaensis と正式に名付けられた。モササウルスの発見は大型肉食恐竜の発見に比するものなのだが、地元の落胆は大きかったようである。当時組み立てられた骨格や、湖畔に建立された模型はどうなっているのだろうか?
 肉食恐竜ではないことが判明した1990年以降は三笠の恐竜熱が一気に冷め、夏の祭りも恐竜まつりと堂々と名乗っていないそうだ(北海道雑学百科)。

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