根室市観光物産センター

 クジラを別とすれば、トドは日本で最大の哺乳類だ。かつては海のギャングと呼ばれたこともあるが、仕掛けた網にかかった魚を食い荒らすからだった。北海道での漁業被害は深刻だという。そして補助金まで出してトドを捕獲していると聞けば、トドはまだたくさんいるのだと感じられるだろう。


 トドはカムチャツカやアリューシャン列島で繁殖し、秋には北アメリカではカリフォルニア半島まで、日本では北海道から青森沿海まで南下する。

 捕鯨船のキャッチャーボートを繰り出してトド狩りを行ったり、一時は自衛隊まで出動してトドの群に銃撃を加えたこともあった。戦果はあまりなかったという。岩礁に上がっていたトドは最初の銃声で全群が海に飛び込み、安全なところまで逃げると海面から体を半分ほど出して、嘲笑の叫びをあげたとか。
 しかし反発を覚悟で敢えて言えば海産資源は漁業関係者だけのものではない。網にかかった魚でもまだ誰のものでもない。今まで害獣であるとか、皮や脂肪が役に立つとかでどれだけの野生動物を滅ぼしてきたことか。
 トド狩りはカムチャツカやカリフォルニアでも−サケを食い荒らすとか、油を採取するためとかで−行われていた。そのためにトドの数は半減どころか4分の1ほどにも激減し、いまや絶滅危惧種に指定されているのだ。
 現在ではトドの繁殖場を持つロシアおよびアメリカにおいては、トドを手厚く保護しており、繁殖地一帯の海域は漁業が禁止され、航空機の飛行なども制限されている。

 しかし日本ではいまだに有害駆除が続けられている。60年代には年間1000頭以上が捕獲されていたが、現在では北海道に来るトドの数そのものが500以下と見られているにもかかわらず。

 アラスカの North Pacific Universities が70年代から80年代に行った調査では:
  雄 体長3m、 体重680kg
  雌 体長2.3m、体重270kg

 が平均の大きさだった。
 また最大の雄は910kgもあった。

 日本での捕獲例では北大(知床の動物、1988)によるとすべて雌だが:
 208〜254cm(26頭、平均229cm)
 266〜362kg (14頭、平均305kg)

 古い動物図鑑を見ると雄は体長4mに達するとなっているが(今泉 1960、黒田 1948)、西脇昌治氏(鰭脚類)は特に大きな雄の測定例で体長353cm、体重1120kgであり、4mには達しないと考えると控えめに否定されている。

rd07at さんから根室市観光物産センターに非常に大きなトドの剥製があることを教えていただきました。わざわざ係員に問い合わせてくださり、高さ255cm、胸前から尾まで280cmもあることも聞き出されたそうです。体長4mくらいあるかもしれません。

 トドは幾つかの動物園や水族館で見られる。アシカほどではない(と思う)が芸もする。姫路市立動物園で見たオタリア(パタゴニアアシカ)も大きかったがトドの雄ともなると一層巨大だ。

 北海道の広尾水族館にいる24歳の雄(2001年3月、右)は体長2.8m、体重は推定で800kgもある。2009年8月14日に死亡が伝えられた(北海道 News)。
 また大分の生態水族館マリーンパレスにいる雄は最近(2004年1月)新館に引っ越したがその時のニュースで体長3m、推定体重600kgと紹介されていた。
 くじらの博物館に飼われている21歳(2003年5月)の雌は体長2.3m、体重250kgとかでほぼ標準体だ。
 トドは10〜15歳くらいまで成長を続ける。アクアマリンふくしまにいる一対のトドはどちらも6歳(2001年10月)でまだ子供だが雄は226kg、雌が183kgだった。くじらの博物館にいるやはり6歳の雌(2000年5月)では160kg。この年齢では雌雄差はまだ顕著ではないようだ。
 しかし Alaska SeaLife Center で飼われている雄 Woody は2004年4月(11歳)の計量で915kgもあった。


 日本には秋になると5種のアザラシが北の海から北海道にやってくる。三陸の沖や、タマには関東まで南下することもある。あまり注目されないが11月頃にはオットセイも日本海や関東沖までやってくる。さらにはセイウチが北海道や青森にやってきたことがある。まあこれは南西諸島や八丈島にイリエワニが漂着するのと同レベルの例外的な出来事だが。
 そしてアシカである。かつて日本近海にはアシカが棲んでいた。しかもアザラシやトド、オットセイのような冬の訪問者ではなく、周年生息していたのだ。既に過去形で語られるのが寂しいところだ。


 かなり古い本だが学生版原色動物図鑑(北隆館、1954)には日本産のアシカは豪州産と同一視されたが最近は独立の一亜種と見るに至った…本邦では本州・四国・九州に局限され現今は生息数が減少したとある。すばらしい文体はさておき、はるかなオーストラリアのアシカと同一だったとは!
 さらに興味深い記述が続く。我が北方海域にはクロアシカとトドとが生息する。我が北方海域とはオホーツク海のことだろうが、クロアシカとは何者? 日本には2種のアシカがいたのか? 同じ頃出版されている天然色動物図鑑(学習研究社、1957)にはカリフォルニアアシカの説明の中に日本の近くでは千島に生息とある。
 ところが原色日本哺乳類図鑑(保育社、1960)では日本産アシカの名称がクロアシカになっている。学名、英名を見るとカリフォルニアアシカ。つまりクロアシカとはカリフォルニアアシカの当時の呼び名だったようだ。またこの図鑑ではニホンアシカはカリフォルニアアシカの亜種とのステイタスが与えられていた。そしてごく最近までこれが定説になっていた。

 最近−環境庁がニホンアシカを絶滅種に指定した1991年以降に−日本のアシカはカリフォルニアアシカの亜種ではなく、独立種であるとの説が出ている。分布区域はアリューシャン列島西部から九州まで。つまり千島にいたものもニホンアシカとなったわけだ。しかしなぜ今頃?

 鳥取大学の井上貴央教授(1993)によると天王寺動物園から6体のアシカの剥製が出てきた。どうやらかつて同動物園に飼われていたニホンアシカらしい。昭和9年から13年にかけて島根県の竹島から同動物園に9頭のアシカが送られてきたことが当時の台帳から明らかになった。
 剥製は既に傷みが激しくなっていたそうだが、レントゲン撮影をすると上腕骨や大腿骨などの大きな骨も残っており、カリフォルニアアシカよりだいぶ大きいという。
 ニホンアシカの具体的な大きさはまだよくわからないとのことだが、古い文献で体重120貫(450kg)と記載されており、オタリアやニュージーランドアシカに匹敵する大型種だったようである。
 ニホンアシカの最後の目撃例は1975年(竹島)とされている。竹島では1972年まで繁殖していたという。そのため絶滅宣言はまだ早いということで絶滅危惧種に移されている。アリューシャンや千島、北海道、日本海、それに伊豆諸島ではまだ生存の可能性があるとの希望的観測もあるが、最後の目撃から既に30年、やはり絶滅種の指定は免れそうにない(2003年9月19日に再発見されたとの噂があるそうだが真相は不明)。
 天王寺動物園の他にも幾つかの剥製が見つかっている。
 1993年3月 松江市奥谷町の松江北高校で2体
 1994年 大社・浜田高校
 さらに島根県立出雲高等学校に幼獣1体、島根大学に1体、島根海洋館にも剥製がある。

 カリフォルニアアシカは、北アメリカの太平洋岸−ブリティッシュ・コロンビアからメキシコにかけての沿海−に分布する。またガラパゴス諸島の一部の島にも生息している。毛色は黄褐色だが、濡れている時には黒っぽく見える。
 雌は体長1.8m、体重90kgくらいだが雄は2.3m、270kgに達する。2003年にシアトルで生け捕られた大きな雄(推定15歳以上)は2.5m、385kgもあった(RaceRock)。


 天王寺動物園のアシカ園にはアオサギやコサギ、ゴイサギなどがたむろしていてアシカと魚を張り合っている。
 客が投げ与えるアジを鳥たちが横取りするのだ。それだけでなくフェンスの上に立ってあのガラス玉のような目でじっと見つめてくる。客もおもしろがって直接鳥にアジを与えたりしている。
 野鳥のしたたかさもさりながら、本来夜行性のはずのゴイサギやその幼鳥(ホシゴイ)をこんなに間近に見たことはなかったのでしばらく見つめあってしまった。

 2007年4月、オーストラリア南西部で、13歳の少女が大きなアシカ(300kg以上)に襲われ、重傷を負う事件が起こった。アシカは、その少女 Ella Murphy がサーフボードに乗っている時に喉を狙って水面から飛びかかってきた。彼女は10mも跳ねとばされたという。
 アシカが2度目の攻撃をかけようとした時に、彼女と共にいたボートが両者の間に割って入り、Ella を救出した。彼女は下顎を骨折していた。ボートの運転手は、アシカはまるでホオジロザメのように海面からジャンプしたと語った(News.com.au)。
 シドニー水族館の Grant Willis は、今までこのような事件は聞いたことがないという。そしてこれは攻撃ではなくて遊びだったかもしれないと考えている(smh.com.au)。
 オーストラリアアシカは、カンガルー島以西のグレートオーストラリア湾に分布しているが、稀な動物で生息数は2000−3000頭程度という(Burton & Pearson, 1987)。また近在のニュージーランドアシカよりも小型で、雄でも普通は体長2m、体重220kgほどとされる(Hanak & Mazak, 1979)。

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