北アメリカのヒグマで英名グリズリー。最近の動物図鑑ではアメリカヒグマという呼び方も見受けられるが、一方アメリカではユーラシアのヒグマも含めてグリズリーと呼ぶことがある。ハイイログマは西部開拓時代を舞台にしたアメリカの物語に頻繁に登場する。そこでは危険な猛獣、恐ろしいクマとのイメージが付加され、Grizzly(灰色がかった)から Grisly(ぞっとする、ものすごい)の名があてられることもあった。 学名 Ursus (arctos) horribilis も恐るべきクマという意味を持つ。実際には毛色(というか毛先の色)は灰色から赤褐色まで変化に富んでいる。主な特徴は逞しく盛り上がった肩と時に15cmにもなる長い爪だ。 アメリカ西部の開拓が進むにつれてハイイログマが家畜を襲うようになり、そのことがハイイログマのイメージを悪くした。 |
1904年4月、コロラドで悪名高いハイイログマ Old Mose がついに射殺された。このクマは35年に渡って近辺を徘徊し、800頭以上のウシを殺したといわれる。またクマを追っていたハンターも5人が命を失っている。 内臓を取り除いてからの計量で体重397kg、毛皮は長さ315cm、幅290cmだった。(Leonard Lee Rue III, 1981)。 1923年夏、ワシントン州の Okanogan Forest Reserve では僅か数週間に35頭のウシと150頭のヒツジがハイイログマに殺されてしまった。牧場主達はハンターを雇い、退治することに成功した。このクマは体重500kg以上もあったという(Ben East, 1977)。 |
北アメリカのヒグマは二つの型に分けられる。アラスカの主に沿岸部にすむアラスカアカグマ Coastal Brown と、アラスカから合衆国西部にかけての内陸部にすむハイイログマ Interior Grizzly である。種類としては(ユーラシアのヒグマも含めて)同一種として扱われるが、慣習としてこのように呼び分けることが多い(以前は別の種と考えられていた)。 Records of North American Big Game を発行している The Boone and Crockett Club は右の図の横線部分のものをアラスカアカグマ、それより内陸部のものをハイイログマと規定した。もちろんこれは狩猟記録のための規定であり、アカデミックなものではないが。 ハイイログマを単独の亜種 Rocky Mountain Grizzly とすることが多いが、カナダ北西州のツンドラ地帯に棲むものを Barren-Ground Grizzly として区別することがある。気候が厳しい地域のためか小型である。平均体重は雄で143kg、雌は95kg(Great Bear Almanac)。 また合衆国南西部に生息していた大型の California Grizzly(1920年代に絶滅)、メキシコ北部にいた小型の Mexican Grizzly(1960年代に絶滅)も区別されることがある。 |
年齢 | 体重(kg) | 体長(cm) | 尾長(cm) | 肩高(cm) | 胸囲(cm) | 頭骨全長(mm) |
---|---|---|---|---|---|---|
雄 | ||||||
14 | - | 188 | 12 | 125 | 148 | 418 |
14 | 275 | 197 | 19 | 122 | 145 | 394 |
14 | 200 | 220 | 17 | 125 | 155 | 416 |
12 | 260 | 205 | 16 | 126 | 146 | 444 |
9 | - | 211 | 14 | 133 | 148 | 411 |
8 | 190 | 188 | 16 | 113 | 127 | 366 |
6 | 145 | 185 | 15 | 108 | 112 | 417 |
雌 | ||||||
24 | 150 | 135 | 8 | 103 | 129 | 390 |
17 | 145 | 173 | 12 | 104 | 112 | 360 |
15 | 151 | 169 | 15 | 99 | 114 | 355 |
13 | 115 | 167 | 14 | 116 | 106 | 337 |
13 | - | 180 | 14 | 112 | 115 | 380 |
13 | 115 | 158 | 14 | 105 | 108 | 346 |
12 | 112 | 167 | 15 | 85 | 100 | 350 |
体重(kg) | 全長(cm) | 場 所 | 備 考 |
---|---|---|---|
508 | − | イエローストーン(1979) | 麻酔銃で捕獲して計量 |
450以上 | 224 | イエローストーン(1920) | 解体してからの計量で415kg。 |
450(推定) | 229 | カナダ、アルバータ(1944年11月) | 鼻先から後足まで279cm 頭骨全長416mm(幅229mm) |
450(推定) | − | カナダ、アルバータ(1953年春) | 頭骨全長416mm(幅246mm) |
450(推定) | − | カナダ、アルバータ(1958) | 鼻先から後足まで3m |
426 | − | ユーコン | カナダ・ユーコン州 Fish & Wildlife Information による。 |
405 | − | カナダ、アルバータ(1981) | 頭骨全長410mm(幅234mm)、毛皮は長さ267cm、幅302cm。前掌の幅222mm。Kinuso 博物館にある剥製は高さ236cm |
400(推定) | − | イエローストーン(2003年10月) | 用意されていた秤の最大値800ポンド(363kg)を振り切ってしまった。7年間、ウシやヒツジを殺したという。 |
385 | 239 | モンタナ(2003年5月) | 高さ2.4m。前掌の幅18cm。8年前に生捕にされた時(3歳)は180kgだった。 |
381 | 213 | − | 14ヶ月前に生捕にされた時は236kgだった。 |
377 | − | カナダ、アルバータ(1957年) | − |
これまで飼育された最大のハイイログマの一つは、コロンビア映画グリズリーに主演した Teddy で体重630kg、直立した時の高さ3mもあった(1977年)。ワシントン州の動物訓練所オリンピア・ゲーム・ファームにいたクマで、映画の撮影をおこなった時(1975年)はまだ4歳。上の数字より小さかったはずだが、東宝のパンフレットには体長4m、体重800kgと書かれている。 19世紀末、シカゴのリンカーンパーク動物園に18年間飼われていた雄は、多くの来場者から窒息しかねないほどの餌をもらって非常に肥り(晩年は歩くこともできないほどだったという)800kg〜1tと推定された。しかし死後の計測では523kg、全長235cm、肩高107cm。 |
カリフォルニアからネバダにかけて生息していた亜種 California Grizzly には非常に大きなものがいたらしい。1500ポンド(約680kg)以上の記録がいくつか残されているのだが、その信憑性はかなり心許ない。 Herrick(1946)は1856年にエルドラドで非常に大きなハイイログマが射殺され、肉屋はハンターに500kgを越える肉の代金として1375ドルを支払ったと述べている。 1882年9月、ヴェンチュラ郡で1500ポンドのハイイログマが捕獲され、その死体を運ぶのに強力なウマ2頭が必要だった。 1857年に Johnny Zantus がカリフォルニアのケルン郡で当地最大のグリズリーを仕留めたが、その体重は2000ポンド(907kg)もあったそうだ。 最後のカリフォルニア・グリズリーは1922年に George Hart と Josh Benadum が射殺した。心臓に2発打ち込まれていた。死体は Joseph Lord's meat market に送られて計量され、682kgもあったという。 1873年には Monarch of the Coast と呼ばれた巨大なグリズリーが John Lang によって仕留められその体重なんと2300ポンド(1044kg)以上とか。 |
カリフォルニアのサクラメントで射殺され、The Biggest Bear in America ! とのふれこみでアメリカ各地で展示されたというグリズリーは1988ポンド(902kg)もあったとポスターに記されていた。そこにはさらに肩高137cm、胴回り213cmと書かれていた。こちらの表記が正しいとすると体重は倍も過大に宣伝されていたのではないだろうか。
これらは皆誇大と考えられるが、Rowland Ward (1907)は1881年にハンター、W. F. Sheard がネバダで撃ち止めた697kgの記録を掲載している。毛皮の長さ351cm、幅310cm。 北米のヒグマ(ハイイログマ)を71種にも細分したことで有名な Merriam(1918)によれば、1901年1月、カリフォルニアの Trabuco Canyon で射殺された老雄は推定で1400ポンド(約630kg)もあった。 1923年8月22日、ユタ州の羊飼いが10年も追跡した末に Old Ephraim を射殺した。これがユタで最後のグリズリーとなった。体重はおそらく推定と思われるが1100ポンド(約500kg)、吻端から後足までの長さ3mあった。頭骨がスミソニアン博物館に保存されている。 Grinnell(1938)や Hall(1939)が過去の大記録を排除し、カリフォルニア・グリズリーの最大のものを1200ポンド(約540kg)としていることに対し、Tracy Storer と Lloyd Tevis はもう少し上ではないだろうかと考えている。しかし彼らが探し出すことができた実測例(18)で最大のものは423kgだった(California Grizzly, 1955)。 |
飼育された最後のカリフォルニア・グリズリーは1889年にロサンゼルスのサンガブリエル山脈でメキシコ人によって生け捕られ、1911年までサンフランシスコの Golden Gate Park で飼われていた Monarch という名の雄と思われる。 飼育下では最大のグリズリーと謳われ、体重は推定1600ポンド(725kg)といわれた。死んでからの計量では511kgだった。全長224cm、肩高は122cm、首回り117cm。これらの数字からすると511kgでもかなりの肥りすぎだろう。 このクマの毛皮は剥製としてその後40年にわたり、サンフランシスコのヤング記念博物館に展示された。そして1953年にカリフォルニア・アカデミーに移されている。また骨格はバークレーの脊椎動物博物館にある (Storer & Tevis, 1955)。 |
飼われていたハイイログマで特に有名なのは、James Adams(通称グリズリー・アダムズ)が飼っていたサムソンだろう。アダムズは1854年の冬にシェラ・ネバダでクマを生け捕りにして飼育し、成長したサムソンをつれて全米を旅して廻った。アダムズによればサムソンは体重685kgに達した。 フィラデルフィア動物園のアーサー・ブラウン園長が少年時代にちょうどニューヨークにやってきていたアダムズとサムソンを見たが、30年の後になって彼はサムソンの体重を800ポンド(363kg)と推定している(シートン、1925)。 しかし30年前の記憶がどれほど当てになるものだろうか? しかもブラウンは体重のはっきりしたハイイログマを1度しか見たことがなく、それは彼が園長を務めた動物園で飼われていた230kgの個体だったのだ。 |