2001年1月2日の午後、カナダ・アルバータの Banff National Park でクロスカントリーをしていた女性(30歳)がピューマに殺される事件が起きた。駆けつけた公園監視員がまだ彼女を食べていたピューマを射殺した。
 ピューマは体重約60kgの健康な個体だった。
 同じ1月2日の未明、ある家の庭にいたイヌがピューマに襲われた。さらにその3時間後には、イヌを散歩させていた女性がピューマに後をつけられ、彼女の悲鳴を聞きつけた近所の人にかくまわれて事なきを得た。この時ピューマはワピチを食べていたのだったが、ピューマが戻ってくるのを防ぐためにその死骸は処分された。
 同じ日に3件も発生したピューマの危険な行動は Banff の住民や観光客を震撼させた。それまでこの地域ではクマが冬籠もりにはいるともう危険はないとされていたのだった。
 1998年5月、シアトル近くの住宅にピューマが侵入し、二人の子供の目の前で飼い犬を殺しさらっていった。狩猟監視員の Rocky Spencer とハンターが猟犬を伴ってその後を追った。彼らはピューマはもう遠くに逃亡してしまっているかもしれないと考えていたが、なんとわずか30mほどしか離れていない所で発見した。
 猟犬に追い立てられるとピューマは逃げるのが普通だが、この時は激しく攻撃に出てイヌたちに重傷を負わせた。二人目のハンターが新しい犬を連れて到着し再び追跡が始まったが、ピューマはまだ近くに潜んでおり直ちに射殺した(Bauer, 2003)。
 ピューマが人を襲うことはきわめて稀な出来事である。ほぼ同大で同じくらいの攻撃力を持つヒョウと較べても人間が被る被害はほとんどなく、不思議がられていたくらいだ。シートン(1925)は過去において北アメリカでピューマが人を襲った確かな記録は6件で、そのうち命を落とした例は4件であると書いている。Brauer(2003)によれば1890年以来、人がピューマに殺された事件は11件起こっているがその半分は過去10年間のことである。市街地が拡大し野性との境界が狭まってきているためと保護が功を奏し、ピューマが増えていることにより人とのトラブルが増えたといえようか。

 Maurice Hornocker が大型ネコ族の研究の手始めとしてピューマに取りかかったのは1964年のことだった。Hornocker の5年にわたるアイダホでの調査によればピューマの主な獲物はシカである。それも幼獣や老獣が多い。ワピチ(アメリカアカシカ)の75%、ミュールジカの60%が1歳半以下、もしくは9歳半以上の、捕らえやすい個体だった。
 Sunquist(2002)によれば北アメリカではピューマの獲物の60〜80%がシカである。地域によってはイノシシもかなりの割合(20〜40%)を占める。中・南アメリカでは齧歯類や有袋類、アルマジロなどもっと小型の獣の比重が増すが、グァナコやヌマジカ、ペッカリーなども捕食している。
 ピューマは比較的小さな獣は首筋へのひと噛みで殺すが、成獣のシカは喉を噛んで窒息させることが多い。自分の7倍もあるワピチでさえ通常はこの方法で殺されてしまう。
 しかしカナダではピューマに殺された成獣のワピチや幼獣のヘラジカの死体に喉や首に咬み跡が見られないものがあった。ジャンプしたピューマの直撃で首を骨折していたのだった(Sunquist)。
 ピューマが高さ6mほどの岩棚から18mもの距離を跳躍してシカを襲ったことがある。この一撃を受けたシカは5mも突き飛ばされた(シートン)。
 しかしこのようなかなり荒っぽい方法で大型獣を襲う時にはピューマにも危険が伴う。Hornocker の協力者の一人、Wilbur Wyles は1967年にワピチの雄を襲って負傷した雌のピューマを発見した。雪原に残された痕からしてピューマとワピチは共に斜面を転がり落ち、木にぶつかって止まり、そこでワピチは逃走に成功した。ピューマは口のまわりが血に染まっていたが他には傷はないようだった。3週間後、同じピューマを捕らえた Wyles はすっかりやせ衰えていることにびっくりした。顎を骨折し、牙は折れ、肩と後脚に角による傷があった。彼は餓死寸前だったピューマを撃って楽にしてやった。

Puma
 ピューマは体は大きいがネコ科でもトラ・ライオンなどのヒョウ亜科ではなく、ネコと同じネコ亜科に属する。最大のヤマネコなのだ。アメリカ大陸に広く分布し、異名が多いことでも知られる。正式名はピューマだがアメリカ人には通じないことがある。クーガーの方が通りがよい。
 アメリカではよくパンサーとも呼ぶ。Panther は英語ではヒョウだが米語ではピューマを指すのだ。「悪魔の辞典」(1911)で有名なアンブローズ・ビアスの小説「豹の目」の原題は The Eyes of Panther。正しくはピューマの目であるべき?
 実吉達郎氏(1964)によるとブラジルではピューマもジャガーもオンサと呼ばれる。両者を混同しているわけではなくてオンサの後につける単語で区別しているそうだ。
 マウンテンライオンまたは単にライオンと呼ばれることも珍しくない。外見からは無理もないがこの呼び方はアメリカ以外では通じないだろう。

 
 地域的にはコロラドからノースダコタにかけての亜種 Rocky Mountain Puma が最も大きい。
 有名なのがセオドア・ルーズベルトが1901年に Rio Blanco しとめた雄で全長244cm、体重103kgあった。
 それから100年を経過して(2001年12月)コロラドの Pagosa Springs 付近でほぼ同大(全長244cm、体重100kg)のピューマが捕獲されている。
 しかし最大の記録はアリゾナから来ている。シートン(1925)によれば1917年に J.R.Patterson が撃った大きな雄は全長263cm、体重は腸を取り除いてからの計量で125kgあった。

 Stanley Young(1946)によるとコロラドの Garfield で1938年に全長290cm、カナダのアルバータで1935年に全長285cmの記録がある。いずれも体重は不明だ。
 1927年1月、コロラドの Rio Alto Creek で撃たれた雄は、内臓を除いてからの計量で98kgもあった。
 1921年5月にはコロラドの Montrose で体重94kg、全長236cmの記録がある。

 Zimmerman はユタで捕獲された大きな雄が93kg、雌が79kgあったといっている。ピューマの雌としては最大の記録だろう。
 ニューハンプシャー州では1853年に全長254cm、体重90kgの記録がある。
 Taylor(1927)によれば、1895年にワシントン州で撃たれた雄は全長274cmもあったが、体重は推定で約80kg、かなりスリムだ。

↑2003年、テキサスで撃ちとめられた体重113kgのピューマ (huntingcentral)
 この250ポンドのピューマはホラだとの指摘がある。写真のピューマは、実際には2002年12月にワシントン州で射殺されたもので、体重は86kgだったという(Snopes.com)。

 2011年1月、サウス・ダコタで射殺されたピューマ。5歳の雄で、全長224cm、体重80kg。ハンターの Frank Schmidt はピューマの獲物−少し食べられており、半ば埋められていた−を発見し、70mほど離れた岩場で待つことにした。30分ほど経ってピューマは戻ってきた。この辺のシカよりも大きなピューマだった。2005年にサウス・ダコタで狩猟シーズンが設けられて以来、最大だという

 ニューヨーク自然史博物館の Hall & Kelson(1959)によれば:
  雄は全長171〜274cm(尾は66〜78cm)
  雌は全長150〜233cm(尾は53〜82cm)
 全長と尾は対応しているのではないから単純に引算(全長−尾)しても体長(頭胴長)とはならないことに注意。また尾長も全ての個体について測定されているわけではない。たとえば全長274cmの雄の尾長は不明だ。


 ピューマはカナダからアルゼンチンまで広く分布している。その北限はブリティッシュ・コロンビアとされているが、アラスカで見つかった例がいくつかある。(Alaska Wildlife News

性別体長(cm)尾長(cm) 体重(kg)地  域
雄(12)120〜15073〜8357〜76カナダ
雌(36)108〜13161〜8234〜50カナダ
雄(9)122〜14272〜9252〜71コロラド
雌(13)106〜13772〜8439〜50コロラド
雄(10)126〜14470〜8356〜64ニューメキシコ
雌(11)111〜12663〜7727〜36ニューメキシコ
雄(10)102〜14069〜9747〜66アリゾナ
雌(6)105〜12563〜7432〜35アリゾナ
雄(34)120〜16861〜8039〜70フロリダ
雌(25)103〜14157〜8823〜49フロリダ
雄(7)107〜13664〜7842〜68ブラジル
雌(10)95〜11758〜7025〜45ブラジル
雄(6)122〜14568〜8055〜80チリ
雌(4)100〜13867〜8137〜57チリ

戻る