白亜紀後期(8000万年前)の巨大翼竜、プテラノドン Pteranodon ingens は翼を広げると差し渡しが7.5mにもなった。カンサスから多くの化石が見つかっている。大きな頭は前後に長く尖っていた。初期の翼竜とは異なり嘴には歯がなかった。後頭部は鶏冠のように伸びていた。これは舵の役目を果たしたのかもしれない。あるいは長い嘴とのバランスをとるためのものだったか。
 首は太く短く、柔軟で胴体は短かった。前足は飛行に特化しており、後足は貧弱で地上ではほとんど役に立たなかったので、プテラノドンは日中のほとんどを空中で過ごしていただろう。岸から100kmも離れた沖合いにも飛んでいたようだ(Josef Benes, 1979)。

 プテラノドンの最初の化石は、1870年にカンサスで見つかった翼の骨の一部で、このときはプテロダクティルスと鑑定された。しかし6年後に頭骨が発見され、プテラノドンと改名された。嘴には(プテロダクティルスと違って)歯がなかったのである。プテラノドンは、1970年代にケツァールコアルトスが見つかるまで、最大の翼竜だった。
 プテラノドンは、その後サウスダコタやオレゴンからも化石が見つかり、今では7種が記載されている (Dougal Dixon, 2007)。


 プテラノドンは翼開長が7.5mにもなったが翼の幅は狭かった。また体重は15kgほどしかなく飛行に適していた。風に向かってゆっくり羽ばたけばすぐに飛び立つことができたと考える研究者もいる。しかし彼らの飛び方は風任せなので、天候が悪いときにはうまく飛べなかっただろう。
 現在のペリカンは嘴の下にたるんだ喉袋を持っている。彼らは大きな嘴で魚を掬って喉袋に落とし込む。プテラノドンの化石には喉袋の痕跡が残っているという(恐竜の生態図鑑, 1994)。

 翼竜は脊椎動物による最初の「飛行の試み」である。たとえ少々未完成であったとしても、1億年以上もの間翼竜が存在したということは、適応に成功した証拠である。


 コウモリの翼の飛行用薄膜はこうもり傘のように数本の指で支えられているが、翼竜のものは、非常に長く伸びた第4指で支えられていた。したがって翼は、グライダーがそうであるように、非常に長く幅は狭くなりがちである。
 親指、人差し指、中指に相当する3本の指を、翼竜は体を引っ掛けてぶら下がり、休むために利用しただろう。また地面を動き回るにも使っただろう。第5指はなかった。後足には長い指が5本あり、それは止まる場所にしがみつくのに用いられただろう。しかし鳥のように2脚では歩けなかった。

 翼竜がどんな風に地上で活動していたかは明らかでないが、平坦な地上から飛び立ちえたとは考えられない。たぶん木や崖の適当な場所から空中に飛び立ったはずである。海に棲んでいたプテラノドンは魚を常食にしていたことが明らかであるが、彼らが水面で魚を捕らえた後、いかにして再び空中に飛び立ったのかは不思議に思われる (クルテン、1968)。

 一説によれば、海面上を長時間に渡って滑空する翼竜は、太陽熱によって体温が上昇しすぎたり、水中の魚が警戒しないように、全身がアホウドリのように白い羽毛で覆われていたという (金子隆一, 1996)。


 1971年、テキサスの Big Bend 国立公園で新種のいっそう大きな翼竜が発見された。プテラノドンより新しい7000万年前の化石は翼や首、後脚、頭骨などで3年をかけて発掘された。発見者のLawson(1975)はこのケツァールコアトルス Quetzalcoatlus northropi は 翼の開長が15mに達していと推定した。
 ほぼ100年にわたってプテラノドンが最大の翼竜だったが、ついにその座は入れ替わった。しかしこの新たな発見は大きな疑問を浮き彫りにすることになる。この化石は海岸線から400kmも内陸の岩から取り出された。Lawson はケツァールコアトルスはハゲワシやハゲコウのようなスカベンジャーだったのではと考えた。では死骸を食べているとき、もし肉食恐竜に見つかったらどうなったのだろう?
 ケツァールコアトルスには長大な翼を羽ばたかせるのに十分な筋肉は付いていなかった。もし付いていれば重すぎて飛ぶこと自体が不可能になってしまう。危険が迫っていても長大な翼を広げて風が来るのを待つしかなかったのだろうか。
 Lawson は後に Quetzalcoatlus の翼開長を15mから11mに引き下げたが、それは飛べる可能性を少しでも高めるためだったといわれている。推定体重も当初の300ポンド(136kg)から190ポンド(86kg)へと下げることができたからである。


 ケツァールコアトルスは翼の開長は11mにも達したが、筋力が弱く連続的に羽ばたくことはできなかった。長い翼によって弱い風にも乗れるようになったが、風が少しばかり強くても飛べなかったといわれる(恐竜の生態図鑑, 1994)。
 テキサスの白亜紀後期の地層から見つかったケツァールコアトルスの化石は断片的なものだ。また共に見つかった堆積物は海のそれではなかった。多くの類似種とは異なり、内陸部に棲んでいたのだ。現在のハゲワシのような鋭い目で動物の死体を見つけ、長めの首と歯のない嘴を死体の内部に突っ込めたかもしれない。しかし首の骨はあまり柔軟な構造ではないという(Barry Cox, 1988)。


 ケツァールコアトルスの頭骨には目立った装飾はない。首は長いが構成する骨の数は少なく柔軟性に欠けている。化石は内陸部から産出しており、どのように飛翔したのかはよくわかっていない。
 ケツァールコアトルスは長い前足と丈夫な後足を使って、すばやく地上を歩いていた可能性が指摘されている(土家健, 2014)。池や湖の浅瀬を歩いて魚などを、長い嘴で突き刺して捕らえたのだろうか。水面をじっと睨んでたたずむ巨大なアオサギを想起させるが。
 プテラノドンが岸壁から風に乗って飛んだのに対し、ケツァールコアトルスは比較的丈夫な脚で助走してから離陸したのだろうともいわれている(翼竜展)。
 僅かな発見だけで、ケツァールコアトルスが内陸に棲んでいたと決め付けるのはまだ早計かもしれない。プテラノドンの化石にも海岸線から160km以上内陸に入った場所で見つかったものがある。大型の翼竜は長距離飛行が可能だったのだ(BBC,2006)。


ケツァールコアトルスとはその昔、メキシコで栄えたアズテカ文明で信仰されていた翼を持つ蛇神 Quetzalcoatl にちなんで名づけられた。

 ケツァールコアルトスに匹敵する、あるいはより大きかったかもしれない翼竜が発見されている。1996年にヨルダンで頚椎が見つかったアランボウギアニア Arambourgiania や、2002年にルーマニアで頭骨と肢骨が見つかったハツェゴプテリクス Hatzegopteryx などである。いずれも翼開長12m以上と推定されているが、化石は断片的で全身像はまだよくわかっていない(恐竜ビジュアル大図鑑、2014)。

 2008年9月、翼竜は飛べなかったとする仮説が東大研究者から発表されている。ワタリアホウドリ等の海鳥に速度計を取り付けての実験から、体重40kg以上の鳥は、風速ゼロの環境下では離陸するのに十分なだけの羽ばたきができないと試算した。体重40kgを超える飛ぶ鳥は存在しないが、この試算を適用すれば推定体重86kgのケツァールコアトルスは飛べなかったことになる(AFPBB)。
 確かにケツァールコアトルスがその巨体をどのようにして飛翔させたのかは今も解明されていない(恐竜ビジュアル大図鑑、2014)。しかし飛べなかったとするとあの大きな翼は何のためにあったのか。ウィンドサーフィンを楽しんでいたわけではないだろう。

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