中生代ジュラ紀後期、1億5000万年ほど前に北アメリカに棲んでいたブロントサウルスは、以前はこのように日中のほとんどを水中で過ごしていたと考えられていた。重い体を支えるためと、陸上の肉食動物を避けるためだと説明されていた。

 少し前まで(もう遠い思い出になったが)ブロントサウルスは巨大恐竜の代表的な存在だった。大型の竜脚類を意味するカミナリ竜という言葉も元はこの恐竜の呼び名だった。ブロントサウルスが歩くと雷鳴のような響きがしたであろうということから名付けられたのだった。
 最近では名前までアパトサウルス Apatosaurus と変えられてしまった。こちらのほうが先に命名され(1877年)、ブロントサウルスの名は後から発見された(1879年)化石に付けられたのだが、後に両者は同じ恐竜だと判断されたためだ。
 アパトサウルスには惑わす者という意味があるが、この恐竜は120年以上前に見つかっていながら頭骨が発見されていなかった。そのためブロントサウルス(アパトサウルス)の存在を疑う学者もいたほどだ。博物館の骨格にはなぜか全く別の恐竜カマラサウルスの頭骨(右の図の左)が使われていたのだった。1975年になってようやくブロントサウルスの頭骨(右の図の右)が見つかったが、それはカマラサウルスよりもディプロドクスに似ている。
 ブロントサウルスはディプロドクスの仲間(科)に編入された。たしかにディプロドクスの肥満型といえる。全長22m、腰の高さ4.5m。ディプロドクスより全長は短いが、胴体はずっと大きくコルバート(1962)による推定体重は33トンである。しかしこれは少々過大かも知れない。アフリカゾウ(5トン)と比べてその6、7倍もあったとは考えにくい。
 ブロントサウルスは肥満体ながら(控えめな推定でもディプロドクスの2倍、20トン以上)、ディプロドクス同様後足と尾で体を支えて立ち上がり、高い木の梢の葉を食べることができたようだと考えられている。この復元スタイルは以前の水中生活者で湖の水面から首だけ出していた想像図と大きく異なっている。


アトラントサウルス
Atlantosaurus immanis

 1877年にコロラドで非常に大きな足の骨が見つかり、最初ティタノサウルス Titanosaurus と名付けられたがこの名前がすでに使用されていることがわかり、アトラントサウルスと変更された(同じ年に同じ場所で見つかった化石はアパトサウルス Apatosaurus ajax と名付けられた)。
 1879年にはワイオミングで頭骨だけがないほぼ完全な骨格が見つかりブロントサウルス Brontosaurus excelsus と命名されたのだった。
 アトラントサウルスの大腿骨はブロントサウルスのそれより20%も大きいが、ほかには際立って違ったところがなく後にはアトラントサウルスはブロントサウルスの大型の個体(約25m)であろうということになってしまった。



 (The Illustrated Encyclopedia of Dinosaur)

 ブロントサウルスの名を惜しむ人は少なからずいるようで、ワイオミングで新たに発見されたアパトサウルスの新種( A. yahnahpin )が1994年に発表されると、ロバート・バッカーは、この恐竜がアパトサウルスとは属を異にするに充分な差異が認められるとして、1998年にエオブロントサウルスと名付けた。  エオブロントサウルス(Eo はEarly の意味)はアパトサウルスと比べて、頸が太いことや、肩の骨の構造が違うとされるほか、化石には腹肋(gastralia)が含まれていた。これは竜脚類ではめったに見られない特徴だという。これから推して、アパトサウルスよりも原始的な種類だろうとされる (Dougal Dixon, 2007)。

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