温帯のマンモス

 ウーリーマンモスは体型は現在のインドゾウに似ている。しかし一説によるとすでに新生代鮮新世(500万年前)にマンモスの祖先と今のゾウの祖先は分岐したという。化石のゾウでウーリーマンモスに最も血筋が近いのは、更新世中期(20−100万年前)のヨーロッパにいたステップマンモス Mammuthus trogontherii である。ウーリーマンモスの直系の祖先と見られるが、はるかに巨大でドイツのモスバッハで見つかった骨格(断片)は肩高4.5mと推定されている。

 ステップマンモスは寒冷な気候に対応した最初のゾウで、毛深くなり草原からツンドラへと進出した。しかしリス氷期(13〜30万年前)が始まる頃には新参のウーリーマンモスに取って代わられるようにして絶滅したようである。


 1996年9月、セルビアの Kikinda でステップマンモスのほぼ完全な化石が見つかった。骨は90%以上も揃っていた。肩高4.7mもあり推定体重は7t、牙は3.5mあった。これは骨盤の形からして雌だという。年齢は64歳と推定されている。さらには脊椎炎やリュウマチを患っていたこともわかった。
 このゾウは沼に足を取られて倒れ、老齢と病のために起きあがれずそのまま死んだと見られる。骨にはハイエナの噛み跡も残っていた(Kika OnLine)。
※ Kika の存在は Asier Larramendi さんから知らせていただきました。

 2009年には、セルビアの Kostolac で老齢(62歳)の雄のステップマンモスの化石が見つかっている。保存状態は良好で、多くの骨が揃っているという。肩高約4m、体重は9.5tと推定された(Science Direct)。

 1970年2月、種名が確定していない(50万年前の)ゾウの骨格がロシア・アゾフの博物館に展示され、それは肩高4.8mもあると伝えられた(Gerald L. Wood, 1972)。これはステップマンモスだったかもしれない。というのも1964年にアゾフ海東岸で更新世中期の地層から非常に大きなステップマンモスの化石が見つかっているからだ。頭骨は長さ144cmもあり、骨盤や腸骨の測定から肩高4.5mと推定されている。
 また1999年には同じ地域から雌の化石も見つかりこれは頭骨の長さ115cmだがそれでも肩高は4m近くあっただろうという(V. S. Bajgusheva, 2001)。


 Steinheim で発見された Fraas's Mammoth の完全な骨格が Stuttgart 博物館に展示されている。
 ドイツの Fraas's Mammoth Mammuthus fraasi は肩高4.3mもあったという(Silverberg, 1972)。年代的にはステップマンモスとウーリーマンモスの中間に当たり(30−37万年前)、学者の見解もステップマンモスに近いともウーリーマンモスの亜種であろうともいわれたが、どうやらステップマンモスで落着したようだ。

 滋賀県で見つかったマンモスの化石はシガゾウ Mammuthus shigensis 、あるいはムカシマンモス Mammuthus protomammontheus と呼ばれていたが、最近ではステップマンモス(アルメニアゾウ)であると鑑定されている。
 エレファス科のゾウの中では日本に最初に現れた種類で、シガゾウは滋賀県で最初に化石が発見されたので、この名前がつけられた。その後、北海道から九州まで各地から化石が発見されている。しかし歯の化石しか見つかっておらず、あまり詳しいことはわかっていない(ゾウの来た道)。
 1981年には大阪の羽曳野でシガゾウの牙が一対見つかっている。約110万年前の化石である。牙は有機質が多く腐りやすいとされ、一対でしかも原形をとどめたまま見つかったのは大変珍しいという(埋蔵文化財発掘レポート)。
 奈良県でもシガゾウの牙が見つかっている。旧石器人は石器に木の柄を付けて槍を作り、これでマンモスやナウマンゾウを狩っていた(旧石器時代)。
 人が今の近畿地方に住み始めたのが15000年ほど前だとすると、シガゾウを狩ることはなかったはずで、ナウマンゾウも既に絶滅していただろう。
 シガゾウの体の大きさはよくわからない。ステップマンモスだからかなり大きかっただろうと考えがちだが、ステップマンモスは分布が広く、生存期間も長いため、体格にはかなり変化があった。南方型の亜種タイワンゾウは小型で肩高3mくらいだった(国立台湾博物館)。

 ステップマンモスはアジアにも分布していて、こちらはアルメニアゾウ Mammuthus armeniacus と呼ばれることもある。アルメニアゾウが西へ進出し、ステップ・マンモスとなったが、現在では両方とも同一種とされるのが普通だ。アルメニアゾウの化石は更新世初期の台湾でも多数見つかっている(亜種タイワンゾウ taiwanicus )。これが北方に移動して日本に進出したらしくこれに近いと思われる50−150万年前のゾウの化石が知られている。琵琶湖付近からよく出るシガゾウ、千葉県の木更津で見つかったカズサゾウなどである(鹿間、1979)。

 マンモスの化石は北海道からも発見されている。1938年に夕張市で見つかったのが最初で、1954年にも日高山脈の氷河の痕から2−5万年前のマンモスの臼歯が見つかっている。
 これらの歯はウーリーマンモスというより、やや原始的で、その祖先であるアルメニアゾウ(ステップマンモス)との中間的な段階のものであることが明らかになっており、中国東北部からモンゴルにかけて分布していた松花江マンモスに近縁であろうと考えられている(大阪市立自然史博物館「ゾウのきた道」)。

松花江マンモス Mammuthus sungari

 更新世後期に中国にいた松花江マンモスは史上最大のゾウかもしれない。1980年に内蒙古のジャライノール炭鉱で2頭の(33000年ほど前の)化石が発見された。1頭は40%弱、もう1頭は60%以上の骨が揃っていた。両方を使って復元された骨格は肩高4.7mにもなった。牙は長さ3.1m、根本の直径22cm。ウーリーマンモスの牙ほど曲がりくねってはおらず、緩やかに上方へカーブしている(bytravel)。
 1985年、大阪で開かれた天王寺博で日本初登場。1994年には茨城県にミュージアムパーク自然博物館が開館し、松花江マンモスの初めてのレプリカが展示された。
 内蒙古で発見された3番目の松花江マンモスは肩高4.3mある。1984年から歴史展覧館に展示されている。



1973年に発見された21000年前の松花江マンモス(黒龍江省博物館)。中国で出土したマンモスとしては最も完全な骨格で肩高3.3m、牙は2m。推定13−14歳の雄。

 金子隆一氏(1996)は松花江マンモスは、独立した1種かウーリーマンモスの亜種かはわからないとしながらも、内蒙古のジャライノールで発見された個体は肩高5m、推定体重20tもあり、インドリコテリウム(バルキテリウム)を凌いで史上最大の陸獣であると書いておられる。

 これを見た時は少々大袈裟と感じられたものだが、最近(2008年4月)Wikipedia でマンモスを編集されている Asier Larramendi さんからメールで、内蒙古産の骨格は骨盤の幅が2.5mもあるところから体重は20t以上と推定できると知らされた。一般に最大のマンモスとされるステップマンモスより1/3近くも体の幅が広いという。ちなみに巨大竜脚類のスーパーサウルスの骨盤の幅が2mなのだが。
 マンモスは前脚が長く、その分肩が高くなり、体の後部にかけて低くなっている。胴体は現在のインドゾウよりも相対的に短めなので背の高さがそのまま体重に反映するわけではない。肩高4.5mのステップマンモスは、体重18tと推定されたが、その後11tに下方修正されている(DeCamp, 1965)。

暖帯のマンモス

Great Southern Elephant Great Southern Elephant

 ステップマンモスをさらにさかのぼると更新世前期(60−250万年前)に南ヨーロッパにいた南方マンモス Mammuthus(Archidiscodon)meridionalis がその祖先と考えられている。これは涼しい気候に適応した最初のゾウといわれる。インドゾウに似た体型で背中は僅かにアーチを描いており、体はいっそう大きく肩高3.6−4.2mもあった(一説では4.5mに達したともいわれているが)。
  ギリシャのマケドニア博物館には、南方マンモスとしては最古の−300万年前の化石がある。1977年に発見されたほぼ完全な骨格だが当時の人類によって狩られ、解体されたようでバラバラになっており、牙は失われていた。高さ4m、長さ5mくらいあっただろうと推定されている。
 この300万年前という鑑定に間違いはないだろうか? この時代には古代人類はまだアフリカから出てはいなかったはずである。1991年、グルジアのドマニシ遺跡でホモ・エレクトスの頭骨が発掘されている。これがアフリカ以外では最古の人類化石とされ、約160万年前のものと判定されているのだ(日経サイエンス)。
※ 300万年前との鑑定の信憑性は上田さんから指摘していただきました。

 2009年5月、セルビアの Kostolac で保存状態の良好なマンモス(肩高約4m)の骨格が発見された。沼に足を取られてそのまま脱出できずに死んだと見られる雌の南方マンモスで Vika と名付けられた。
 Belgrade 自然博物館の Zoran Markovicによればこの化石はなんと480万年も前のものだという(この年代判定はどう考えてもおかしいが)。
 ところが8月に Vika を検分したドイツの Dick Mol は、骨格や歯の特徴からして Vika は雌の南方マンモスではなく、雄のステップマンモスだと判断した(ステップマンモスの項参照)。かつてドイツでは、1930年代に発掘され雄のステップマンモスとされた骨格が、実は雌の南方マンモスだったと判定が覆ったことがある。Vika がステップマンモスだとしてもその価値はいささかも揺らぐものではないと Mol は言う。ステップマンモスとしても最も完全な骨格であるからだ。
 セルビアの科学者達は、その種や性別や年代に関する議論は継続しながらも、Vika を発見されたそのままの状態で保存することにしている(China Post)。

 アジアにアルメニアゾウ(これがヨーロッパに分布を拡げてステップマンモスとなった)を産んだ南方マンモスは、おそらく160−180万年前にシベリア経由で北アメリカに到達した。カリフォルニアのサンタバーバラ自然史博物館には2005年4月に発掘されたかなり完全な南方マンモスの骨格がある(肩高3.7m、牙の長さ2.4m)。

パリ自然史博物館に展示されている南方マンモスの骨格。肩高385cm。
※ Wikipedia の Asier Larramendi さんから知らせていただきました。

イタリアのアブルッツォ国立博物館には1954年に発見された南方マンモス(亜種 M. M. Vestinus )の完全に近い骨格がある。150万年ほど前のもので、肩高3.9m、頭頂までの高さ4.5mもある。

 ヨーロッパでは3世代のマンモス(meridionalis、trogontherii、primigenius) がオーバーラップしていたことがあるとの発表がなされた(2001年)。イギリスの Buckinghamshire や Norfolk で見つかった化石から、一時期に2種のマンモスが共存していたというのだ。
 ロシアの Andrei Sher とイギリスの Adrian Lister によれば、イギリスの Norfolk で見つかった化石から、100万年前には南下したステップマンモスがそこで南方マンモスと出会った。そして Buckinghamshire での発見から、19万年前にはウーリーマンモスとステップマンモスの出会いがあったと。いずれの場合も気候の変動(温暖化)に伴って北方種が南下し、古いタイプを追放したとしている。ただその間に限定的ながら2種の交わりもあっただろうという(BBC)。


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