北京原人が生活していた頃の周口店動物相においてハイエナは欠かせない一員だった。ハイエナは龍骨洞その他の洞窟に住んで、剣歯トラや原人たちとその住まいを取ったり取られたりしていたのだから、これはホラアナハイエナであった。
 彼らは大型ハイエナとか、巨大な中国のハイエナ(巨鬣狗)とも呼ばれている。どのくらい大きかったか、正確なサイズは不明だが、全時代を通して最大のハイエナは、確かに中国にいた。
 それは更新世から二時代前の中新世のハイエナであるペルクロクタ・ギガンテアという学名を持つもので、掛け値なしにライオンほどの大きさがあった。1対1で剣歯トラに立ち向かうことができたのである。しかしこれはホラアナハイエナではない。更新世までは生き延びなかった。
 更新世後期、アフリカとユーラシアにはブチハイエナ属が進出し、まもなく優位に立った。それは、アフリカでは、今のブチハイエナの成功を約束した。そしてユーラシアに発展し、穴居したものがホラアナハイエナになったのである(実吉達郎「サーベルタイガー」1986)。

 現在ではブチハイエナと同種(亜種)とされることが多いホラアナハイエナ Crocuta crocuta spelaea はヨーロッパの更新世中期以降(50〜2万年前)に栄え、洞穴に群棲していた。
 ずんぐりした体格で、頸を高く突き出し頭は比較的大きく太短い。体長132cm、肩高72cm(ブチハイエナと同大?)。
 化石はイングランドの洞穴で夥しく発見され、ピレネー等スペイン、フランスの洞穴にも多い。
 似た種が同時代の中国にも多く、周口店の北京原人洞から中国種 C. sinensis が発見されている。日本に現れなかった原因は不明だが興味深い(鹿間時夫、1978)。

 ホラアナハイエナは現在のブチハイエナよりも大きく体長1.5−1.7m、肩高1m近く、体重80−130kgくらいあったといわれる。
 Martin Dockner(2006)の測定では頭骨7点が267−288mm(平均276mm)で、これはブチハイエナ13点の237−291mm(平均264mm)と大差ないが、最大350mmの頭骨も知られている(モスクワ古生物学研究所)。ブチハイエナの最大の頭骨は311mm、幅187mm(Rowland Ward)である。

オーストリアで発見された頭骨。長さ305mm、幅197mm。

 ホラアナハイエナはブチハイエナより大きくて毛深く、毛色は薄く、たぶん斑点はなくて白っぽかった。
 ブチハイエナよりも猛獣性が激しかったことは確かである。寒冷な地域では、獲物が少ない上に捕りにくいため気性が激しく攻撃的になるからだ。シベリアなどの寒帯は、条件が氷河時代とほぼ同じである。そこに分布していたホラアナハイエナは、シベリアトラと同じ条件下にあったから、同じ反応−攻撃性と危険さを示したであろう(ここではシベリアトラが南方のトラより危険だとの前提に立っている)(実吉達郎)。

 ハイエナの専門家・A. J. サトクリフはイギリスの南デヴォンのトルブリアンにある、トルニュートン洞窟を発掘した。掘り出された山のような骨の中には、ホラアナグマの骨もあった。クマ、ハイエナ、クマと交代し重なって出土し、ここではホラアナハイエナとホラアナグマの間に、熾烈な穴争いが何万年にもわたって繰り返されてきたことがわかった。
 トルニュートン洞窟からは110頭分のホラアナハイエナの骨と、僅か20頭分のその他(ホラアナライオン、キツネ、サイ、ウシ)の動物の骨が出土した。これはその洞窟の主がホラアナハイエナであることを示しているだろう。

1994年、Jacques Toubon がフランスで発見した壁画に描かれたハイエナ
 寒冷な時代のホラアナハイエナが、こんにちのユキヒョウのように毛深く、淡色で斑紋が不明瞭であったことは想像に難くない。今のハイエナは熱帯の動物だが、シマハイエナはコーカサス南部やアルメニアまで生息している。これらの地域では、雪が深くなる冬はシマハイエナにとって厳しい季節である。
 川や池の近くに住んでいるハイエナは氷の下に閉じこめられて溺死することがある。トランス−コーカサスの Karayaz 湖で氷を割って水中に落ちたと思われる3頭のシマハイエナの死体が春に見つかったことがある(Ognev, 1931)。

 更新世に入るとハイエナ類はシマハイエナ属とブチハイエナ属のものが主流になった。シマハイエナ属の1種で、現生のチャイロハイエナに非常に近縁だが、ライオンほどもある巨大なものがヴィラフランカ期と更新世中期に(ヨーロッパに)存在した(B. クルテン「哺乳類の時代」1971)。
 この巨大なチャイロハイエナとは、Hyaena brevirostris を指しているのかもしれない。しかしこれは今ではパキクロクタであるとされている。絶滅巨大獣の百科(今泉忠明、1995)にはホラアナハイエナの学名を Hyaena spelaea −つまりシマハイエナ属としてあるが、これは Crocuta crocuta spelaea と同一であるとされてしまった。

 冒頭に掲げた実吉氏の一文で、最も気になるのは、実はホラアナハイエナではなく、「掛け値なしにライオンほどの大きさがあった」という中国の巨鬣狗、ペルクロクタ・ギガンテアなのだ。パキクロクタやホラアナハイエナがライオンほどもあったといわれても、それは雌ライオンぐらいなのだが、Percrocuta gigantea は本当に雄ライオンほどもあったようである。

 中新世に初めて現れたハイエナ類は、鮮新世ポント紀(500−1000万年前)に真に繁栄した。この頃のほとんどの化石産地で、ハイエナ科の遺骸は他の食肉類をすべて合計したものよりも数が多い。ハイエナ科は現代よりもはるかに多様であった。キツネ大からオオカミ大にわたる多数の種を含むバルヒアエナは−その歯列からすると−高度な捕食者であったと思われる。彼らはおそらく今日のドール(アカオオカミ)やオオカミにいくらか似たような群をなして狩りをしていたのであろう。
 また大型ハイエナ類のペルクロクタもいて、それには数種が知られているが、最大の種はライオン大の巨大な動物である。鮮新世が終わりに向かうにつれて、現生のシマハイエナ属(Hyaena)の中で最も古くに知られた種が、ヨーロッパとアフリカに出現し、ペルクロクタは絶滅した。現生のハイエナはおそらくバルヒアエナから進化したのであろう(クルテン)。

中国の巨鬣狗。日本でも昔、ハイエナをタテガミイヌと呼んでいたことがある。

 クルテンによれば中新世と鮮新世の大型ハイエナは、絶滅属ペルクロクタに属し、そのメンバーの大きさは、オオカミくらいからライオン大にまでわたっている。全時代を通じて最大のハイエナは中国の Percrocuta gigantea であった。アフリカには近縁の P. eximia がいた。
 ブリストル大学の Savage 教授(1998)もペルクロクタを史上最大のハイエナとし、ライオンほどもあったと述べている。そして大きいことを除けば現在のブチハイエナに非常に似ていたとも。
 中国の巨大ハイエナについて具体的なサイズを誰も語ってくれないのは何故だろう。頭骨はかなり見つかっているが、全身骨格はほとんど知られていないせいかもしれない。

 Percrocuta gigantea は現在ではペルクロクタ属から離れてディノクロクタ Dinocrocuta gigantea と呼ばれている。頭骨から推してブチハイエナのゆうに1.5倍はあった。頭骨だけならライオンよりも大きいくらいだ。ブチハイエナと同じプロポーションだとすれば、体長2m、肩高1.2m前後になる。大きなものは体重200kg以上に達しただろう。
 この時代の有力な肉食獣といえばサーベルトラ・マカイロドゥスが挙げられる。中国には大型種 Machairodus giganteus が生息していた。Shansi で見つかった頭骨は基底全長315mm(Alan Turner, 1997)、今のトラと同じくらいだ。ディノクロクタが2頭以上で行動していれば、マカイロドゥスも敬遠せざるをえなかっただろう。

 頭骨基底全長は動物学者がよく用いる測定法で、狩猟で重視される頭骨全長(最大長)とは微妙に異なる。シベリアトラの雄7頭の頭骨基底全長は平均319mm(頭骨全長361mm)だった(Heptner and Sludskii, 1992)。

ディノクロクタ(左)の頭骨は38−45cmもあった。ブチハイエナ(右)と比べると親子ほども差がある。

 ペルクロクタの仲間は、骨砕き用の大きな前臼歯や臼歯数の減少などの類似点に基づいて、従来はハイエナ科に含められていた。しかし乳歯についての研究から、ペルクロクタ類とハイエナ類の間で、互いに近縁と見るには乳歯の形態が違いすぎることが明らかとなり、成獣の歯列の類似は同様な機能に対する収斂適応にすぎないことが示されたのである。
 ペルクロクタは大型動物で、もっと後の時代の大型ハイエナ類に見られるような骨砕き用の歯列がよく発達している。この大型化と骨砕き用の歯は、北アフリカのディノクロクタ Dinocrocuta algeriensis で特によく発達している(アラン・ターナー、2004)。
 ディノクロクタを含むペルクロクタはハイエナ科から分離独立してペルクロクタ科となってしまった? この分類が広汎に受け容れられてしまえば、ディノクロクタを史上最大のハイエナと呼ぶわけにはいかなくなる。

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