2008年7月17日、ロシア・カムチャツカの鉱山で30頭ものヒグマが人を襲い、二人を殺して食べるという事件が起こった。殺されたのはプラチナ鉱山2カ所で働いていた警備員。さらに、近くの村で10頭ほどの群れが、ゴミをあさってエサを探している様子が目撃されている。鉱山の労働者約400人は、クマを恐れて作業現場に戻ることを拒否しているという(CNN)。
※ ac7059さんから知らせていただきました。
これらのクマを退治するために既にハンターチームが組織されたということだが、30頭ものヒグマが集団で人を襲うなど異例である。カムチャツカのヒグマはサケを重要な餌としているが、河川でサケの数が減ったためだと推測されている。犠牲になった二人はサケの捕獲場を警備しており、クマはそこを攻撃したのだといわれる(Telegraph)。
ソ連崩壊の頃、カムチャツカには20000頭のヒグマがいたが、最近では12000頭ほどに減っている。その主な原因が乱獲によるサケの減少と考えられている。カムチャツカのヒグマはサケへの依存度がかなり高いのだ。また、カムチャツカでは昨年、300頭以上が狩猟によって捕獲され、密猟は600頭を越えている(indiHot)。
カムチャッカに非常に大きなヒグマがいることは以前からよく話題にされていた。上記のニュースにあるように直立すると高さ3m、体重は700kgにもなるとの説明はよく散見する。
詳しいことは全くわからないが、Great Bear Almanac(Gary Brown、1993)では Lore and Legend の扱いで体重2500ポンド(1134kg)もの記録さえ紹介している。信じがたい数字だが。
スウェーデンのストックホルム自然史博物館の Sten Bergman は1920年の秋、それまで見たこともない大きな毛皮を見せられた。それはほとんど漆黒で、毛は短かった。カムチャッカで狩をした多くのハンターは、大物はたいてい毛が短く黒いと言っていた。彼は非常に大きな足跡も発見した。それは幅25cm、長さ37cmあった (Mystery Bears) 。
ベルグマンはこの黒毛の大型のヒグマを Ursus arctos piscator として、茶色のノーマルタイプ Ursus arctos beringianus と区別している。そして大型の方はベルグマンが報告してまもなく絶滅したことになっている。ベルグマンの報告(1936)以降巨大なクマがカムチャツカで見つかっていないから?
かつては北海道でも黒毛と赤毛の2タイプのヒグマがいるといわれていた。そして黒毛の方は別亜種 Ursus arctos lasiotus とする説もあった(日本動物図鑑、1948)。やはり黒い方が大きいということだった。今ではヒグマは毛色の変化が多様で、他の特徴との相関関係はないとされている。
Bergman's bear(= piscator、当時こう呼ばれていたらしい)も絶滅したというより元々同一の亜種に別の名が付けられたということだろう。そしてカムチャツカのヒグマが非常に大きいという話は今日に至るも続いている。
ずいぶん前のことだが NHK のいきもの地球紀行でカムチャッカのヒグマが紹介されていた。ナレーションでここのヒグマの体重は北海道のヒグマの2倍もあると語られていた。体長2.5m、体重500kgくらいは普通で、最大のものは800kgに達すると。
しかしロシアの古い狩猟記録はそれを裏付けない。ロシアの動物学者たちでさえ否定的である。
Averin(1948)が確認したカムチャツカ産の雄5頭は144−285kgに過ぎなかった。雌2頭は128kgと177kgだった。
ストロガノフ(1969)が集めた雄15頭のうちで最大は、A. D. Baturin が1917年4月に Zheltaya River Estuary で撃ち止めたもので体長244cm、肩高135cm、胴囲210cmあった。体重は推定で30poods(約490kg)。オグネヴ(1931)もこの記録を紹介している。
A. D. Baturin はカムチャツカで数多くのヒグマを撃っている。その最大のものは40poods(655kg)あったという。しかしストロガノフもオグネヴもこの数字には言及していない。そしてブロムレイ(1965)は、体重480kgまたはそれ以上のヒグマがいるといわれているのは、捕獲されたクマの体重がしばしば目見当で推定されているので疑わしいとしている。
カムチャツカでヒグマ狩のツアーを主催する profi-hunt.com は毎年、4、5人の客が3m(毛皮)の、15人以上が2.7m以上のクマを撃っているとしている。
www.trophyhunt.ru によれば1990年に頭骨全長454mm、幅272mmの記録がある(右下)が、Rowland Ward(1903)には Walter Rothschild がしとめた頭骨全長457mm(幅279mm)の古い記録が掲載されている。
2002年にイリノイ州の Mike Egger がしとめた大物は頭骨のスコア29 8/16インチ(749mm、長さ+幅)でほぼ100年ぶりに記録を更新した。毛皮は320cm(square =長さ+幅の平均)あった(huntingreport.com)。最近はコディアック島でもこれくらいがレコードクラスなのでベーリングヒグマにもそれに追いつく個体が存在するといえるかも。
細かいことだが、極東のヒグマは、東シベリア(スタノボイ山脈からカムチャッカにかけて)のベーリングヒグマと中国東北部からロシア沿海州にかけてのマンシュウヒグマ Ussurian Bearに分けられている。しかしストロガノフは多数の頭骨や毛皮を調べて、ロシアの両者を区別できる明確な特徴はないとしている。
ブロムレイ(1965)もロシア極東にはカムチャツカヒグマ(ベーリングヒグマ beringianus )という亜種だけが生息し、後に記載されたマンシュウヒグマ(mandchuricus )は前者のシノニムにすぎないと考えているようだ。
↑ロシア・沿海州のシホテ・アリン山脈で捕獲されたマンシュウヒグマの記録。ブロムレイ(1965)による。
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↑ 1940年に沿海州で捕獲された最大のヒグマは体長222cm、体重296kg、頭骨基底全長386mmで、ブロムレイが最近(1960−1963年)ではこれくらいのものでも極めて稀になったと述べていることに対し、ロシアのサファリクラブはもっと大きな頭骨を彼らは採集していると主張している(単位:mm)。
最大の頭骨はカムチャツカで基底全長386mm(Ognev, 1931)、同じくサハリンで372mm(Voronov, 1974)としているがこれらは控えめすぎないだろうか。
また2003年に発行されたジャーナル、“hunting and hunting economy”を引用して体重470kg(1958年11月)と437kg(1966年11月)の記録があり、しかもこれらは内臓や掌、皮を除いての計量なので、実際には600kgを越えていたはずだという。
ウスリーに巨大なヒグマが生息することは足跡からも推測できるという。1962年11月に前足の幅24cm、1966年にも24cm、1975年には25cmもある足跡が見つかっている。これらのクマの体長は2.7−2.8m(毛皮?)もあっただろうというのだが。
一方で、彼らもそんなに大きな個体はごく稀(100頭のうち3、4頭くらい)であることも認めており、雄10頭の平均体重は264kg、体長196cm、肩高115cmだった。雌12頭では体重189kg、体長160cm、肩高96cmだったとしている。