極東ロシアから中国の東北部にかけてのタイガには毛深い、どっしりとした体格の大きなトラが生息している。これをロシアではアムールトラ、中国では東北(満州)トラと呼び、世界的にはシベリアトラの名で知られている。誰に言わせても世界最大のネコ族で、サンフランシスコ動物園で大きなシベリアトラを見たとき、そのよく発達した逞しい前半身に圧倒されたものだ。これならば動物図鑑などに体長2.8mに達すると書かれていてもそのまま受け容れてしまうだろう。
 特大のシベリアトラとして最もよく引用されるのは、ロシアのナチュラリスト、ニコライ・バイコフが満州南部で撃ちとめた偉大なる王 Great Van で、その測定値は次のようだ。
 全長:380cm(内、尾は100cm) 肩高:115cm 胸囲:220cm 体重:320kg
 バイコフは満州中部の吉林で別のトラを撃っており、それは全長353cm、肩高107cm、体重254kgだった。
 ここで一つ注意しなければならないのは、バイコフの測定が体のカーブに沿ってなされているということだ。トラやライオンの大きさは全長で表されることが多いが、この測定には二つの方法があって、ひとつはバイコフのように体の曲線に沿って測る along the curves と呼ばれる方法。多くのハンターに採用されるので Sportsman Fashion とも呼ばれる。
 もう一つは動物学者が正規の方法としているもので、トラの鼻先と尾の先に杭を打ち、トラの体をのけてから二つの杭の距離を計る between pegs という方法だ。
 当然カーブに沿って計る方が長くなる。インドのハンターの間ではこれら二つの方法では5%ほどの差が出ることになっている。またトラの体に巻尺を当てる際の力加減によってその差はさらに大きくなる。そのため along the curves では公認記録とはされない。

 ウラジオストックでしとめられた巨大なトラは体長(頭胴長)317cmもあったという(Barclay, 1915)。これも背中のカーブに沿って測定されたそうだが(Heptner and Sludskii, 1992)、それにしても長すぎる! G. L. Wood (1982) は impossibly long として退けている。このトラは尾の長さを1mと仮定して、全長4.2mとして紹介されたこともあった。
 Mazak(1981)はシベリアトラの最大の記録として、全長351cm(along the curves)をあげている。これは1943年にヤンコフスキーが満州の松花江流域でうちとめたもので体重は推定300kg以上という。ヤンコフスキーは満州と北朝鮮の国境付近の豆満江でさらに大きなトラ(全長4m=along the curves)を撃っているのだが、Mazak はこちらの方は採り上げていない。深い雪の中でしとめたこのトラの推定体重が230kgというのが腑に落ちなかったのだろうか。
 もっとも冬のシベリアトラは必ずしも太っているわけではないようだ。餌となる草食動物の密度が低いため、トラは広い範囲を移動しなければならない。1日に80〜90kmも行動するためむしろ痩せているほどで、太って見えるのは毛が長いためだといわれる(Peter Matthiessen, 2000)。

 Mazak はまたベンガルトラの最大の記録としてジム・コーベットが1930年にインド北部のクマオンで撃ちとめたポワラガールの独り者 Bachelor of Powalgarth を挙げる()。コーベット(1944)によればポワラガールの独り者は人食いではなかったが、ロバほどはあるとか、ポニーくらいもあるとの噂に10年にわたってハンター達を惹きつけていた。全長 (along the curves) 323cmだった(Man-Eaters of Kumaon)。Mazak は between pegs なら310cmくらいだろうと考えている。
 また体重の方はヒューエット卿がテライのジャングルで撃った258kgをベンガルトラの最大として挙げている。もっと大きなベンガルトラの記録もあるはずなのだが、Mazak は何故か無視している。

 しかしバイコフの数字に疑問を感じるのは測定方法の違いだけではない。むしろ数字のバランスにある。偉大なる王は胴が長く、脚が短く、胴回りは大きいのに体重はそれほどでもないという奇妙な体形をしていたのかということだ。
 1932年にインド南部で撃ちとめられた非常に大きなトラと比べてみよう。インド・タイムスの記事によればハンターはアメリカの退役海軍大佐、G. F. Waugh でトラの大きさは全長335cm(尾は109cm)、肩高122cm、胴囲168cm、体重318kg
 もう一つ見てみよう。ライオンの項で紹介した Simba全長320cm、肩高112cm、胴囲211cm、体重375kgである。王大のプロポーションはおかしくないだろうか?



 偉大なる王の長い胴と大きすぎる胸囲は毛皮の測定によって得られた可能性が高い。
 引っ張れば毛皮がいかに伸びるものであるかはハンターなら誰でも知っている。F. T. Pollock 大佐がインド南部で撃った肥満した皮膚のたるんだトラは全長307cm、その毛皮は406cmもあった。それほどでないむしろスリムな例でも:

全長(cm)尾長(cm)毛皮(cm)胴囲(cm)体重(kg)ハンター
318107391129229The King of Cooch Behar
313112361127Fateh Sinh of Ali Rajpur
312 95368132221The Maharaja of Cooch Behar
309101376130210The Maharaja of Cooch Behar

 上記は Rowland Ward Records of Big Game からのベンガルトラの抜粋であるが、同書はまたモンゴルトラ(=シベリアトラ)の毛皮の測定値も紹介している)。
 毛皮の測定例だけ並べたら、シベリアトラとベンガルトラとで明確な違いは見つけられないと思われる。それは正規の全長を比べても同様だろう。そうするにはシベリアトラの記録が少なすぎるが。
毛皮の全長(cm)所有者
411A. Bignold
376the Sultan of Johore
366the Duc d'Orle`ans
344Col. W. Hall Walker

 以下は動物学者によって確認されたシベリアトラの数少ない測定例(上段が雄、下段が雌)。全長は全てカーブに沿っての測定である。

体重(kg)全長(cm)場 所報告者
195280(尾は90)トランスバイカル(1953)胸囲117cm。モスクワ大学動物学博物館
203Ta-Sinancha River (1940)L. G. Kaplanov
221284ウスリー肩高85cm。Antonov (1950)
309(尾は99)シホテアリン肩高93cm、胸囲147cm。G. F. Bromlei
225310(尾は95)ウスリーヴィクトル・ユージン
約240Syao-Sinancha River (1940)L. G. Kaplanov
250トランスバイカルKorneev (1954)

体重(kg)全長(cm)場 所報告者
225(尾は89)シホテアリン胸囲110cm。G. F. Bromlei
96265(尾は88)ウスリー Khor River(1938)モスクワ大学動物学博物館
128Yamagan River (1932)L. G. Kaplanov
146260(尾は88)ウスリー Iman River(1938)モスクワ大学動物学博物館
160282(尾は109)ウスリー Bikin肩高76cm。Goodwin (1933)
184257(尾は85)ウスリーヴィクトル・ユージン

 モスクワ大学とベルリン大学の動物学博物館にあるシベリアトラの雄の頭骨7点は全長331−383mm(平均361mm)で(Heptner and Sludskii, 1992)、これはベンガルトラの雄7頭の平均353mm(今泉吉典)より僅かに大きい。バイコフ(1925)によれば Harbin(哈禰浜)に保存されている頭骨は長さ400mm、幅280mmもあるという。一方、インド北部 Cooch Behar のマハラジャが撃った最大のトラも頭骨全長400mmだった。

アムールトラ

 ロシア沿海地方におけるトラの生息数は430−530頭(2005年)でここ数年安定している(1965年には120頭くらいと言われていた)。他には中国東北部に数十頭いるといわれ、北朝鮮北部にもごく少数が生存している。ロシアでこれ以上増加させるには生息環境の質・量の充実が必要とされる。また飼育下のシベリアトラの数も約500頭で日本国内の動物園には59頭がいる(札幌市円山動物園)。
 シベリアトラの分布域はアムール川・ウスリー川流域を中心とした地域に限定されているが、昔はもっと西側、アルタイ辺りまで生息していた。また19世紀にはサハリンで何度か目撃されている。1950年と1965年にも足跡が見つかっている。トラは最低7kmを泳いで間宮海峡を渡ったのだろうか? 4mに達する深い降雪からしてもサハリンはトラが常時生息するのは不可能である(Heptner and Sludskii, 1992)。
※ 間宮海峡は冬には凍結するので歩いて渡ることができるはずと上田さんから知らせていただきました。トラも歩いて渡ったことでしょう。もっとも目撃例が冬ではないのかもしれません(原文では不明)。それ故、Heptner は泳いで渡ったのかと疑問視しているのかもしれません。

 1955年、当時のソ連首相、ニキタ・フルシチョフがインドを訪問した時、ウスリーで捕獲された2頭の大きなトラ(推定全長:雄3.2m、雌3m)を西ベンガルの州知事にプレゼントした。
 ジャーナリストの Richard Perry (The World of the tiger, 1964) によればそのペアの間に生まれた雄の子は4歳の時に全長315cm、体重300kgと父親とほぼ同じ大きさになった。
 Perry はまたヤンコフスキーやバイコフなどロシアの昔のハンターはシベリアトラには大小二つの亜種(アムールトラとチョウセントラ)があると主張しているという。そして狩猟記録に大きな幅が見られるのは、これら二つが混同されているからだと。しかし彼はたとえ大きい方のシベリアトラであっても、ベンガルトラと比べて、体長では大差ないと考えている。
 アメリカのハンター、William G. Morden は早くも1930年に Natural History 誌上でそのことを指摘している。彼はロシアの沿海州で2頭のトラを撃った。大きい方が全長305cm、体重250kg。もう1頭は292cm、218kg あった。Morden はこれらの数字はベンガルトラと比べて特に大きいわけではない。しかし私が見たどのインドトラよりも重量のある体格をしていると述べている。これら2頭の剥製はニューヨーク自然史博物館のガラスケースに収められて展示されている。

北京動物園に飼われていた368kgのトラ(1973年)

 小原秀雄氏(猛獣物語、1980)はチェコのプラハ動物園を訪ねたとき、園長自慢の大きなトラを見せられた。確かにそれはライオンよりも大きく見えたが、生きていては正確には測れない、と残念そうに記している。
 このトラはあるいは1960年にウスリー川流域で捕獲され、プラハ動物園に送られたトラ()のことかもしれない。
 Guggisberg(1975)によれば死後の測定では体長220cm(カーブに沿っての測定で237cm)、尾は99cm、肩高124cmもあったが、老齢だったためか体重は192kgしかなかった。しかし同動物園では壮健な時には250−260kgもあったと推定している。

←飼育されたトラの中で最大は1986年10月、アメリカはニュージャージーの動物訓練士、Tiger Lady こと Joan Byron-Marasek が飼っていた当時9歳のシベリアトラで423kgもある。全長は333cm(Mark Carwardine, 1995)。ギネスブックによればこのトラは一時1025ポンド(465kg)に達した。

 1999年1月、ニュージャージーの警官は郊外をさまよっていた体重195kgのベンガルトラを射殺した。近隣の6ヶ所のサファリパークに問い合わせがなされたが行方不明になったトラはいなかった。Byron-Marasek にも調査が入り彼女は23頭のトラを飼っていることになっていたが17頭しか所在がはっきりしなかった。
 管理がずさんだと言うことで彼女は退去を求められた。何度も裁判所とのやりとりがあって2002年11月、トラをテキサスにある Wild Animal Orphanage に移すよう命令が下った。テキサスまでの1300マイル、30時間に及ぶ移動には24万ドルも必要だった。
 2003年3月、Byron-Marasek はメーン州の Steuben にトラを移動する決心をした。州当局は許可を与えるに当たってはまずトラを収容する施設を建設しなくてはならないと通告した。彼女はメーン州の銀行家と動物保護団体から100エーカーの土地を1ドルで借りる約束を取り付けた…。その後の状況についてはまだわからない。


山口県立博物館

 シベリアトラは以前は朝鮮半島にも分布していた。戦前、日本ではこれをチョウセントラと呼んでいたことがあり、古い図鑑には「朝鮮の特産とされるが、一説にマンシュウトラ(シベリアトラ)と同一であるという(日本動物図鑑)」といった記述が見られた。
 上の写真は山口博物館にある朝鮮半島産の剥製で、体長185cm、尾長86cm、肩高99cm。大正7年(1918年)に購入されたものだという。
 現在朝鮮半島ではすでに絶滅したとされている。白頭山にごく僅かが生き残っているかもしれないとの希望的観測があるくらいだ。韓国では1945年以降、出現の報告がされておらず、現在は果川(クァチョン)にある動物園のほか、エバーランドなど全国の動物園で約30頭が飼育されている(中央日報)。しかし韓国での絶滅はもっと早い時期だったのではないだろうか。そして韓国の動物園にいる30頭は純粋の朝鮮半島産なのかとの疑問が残る。1992年、京都動物園に日中友好の使者としてつがいのトラが贈られてきて、その間に生まれた子が王子動物園にいる(神戸新聞)。

カスピトラCaspian Tiger


 ロシアには、シベリアトラの他に、もう一つカスピトラが生息していた。中国西部のロプノールから、イラン北部、黒海東岸に至る広い地域に分布していたが、1970年までに絶滅したと見なされている。シベリアトラよりやや小さく、より明るい毛色をしていて、縦縞は長く、間隔は狭い。

 1899年2月、アゼルバイジャンのカスピ海西岸、Lenkoran 付近で射殺された大きなトラは、地元のウマほどもありそうに見えた(Satumin, 1905)という。剥いだばかりの毛皮で測定して全長3.6m(尾は90cm)もあった。頭骨は全長362mm、幅248mmだった。
 1954年1月、トルクメニスタン南部の Kopet-Dag で撃たれたトラは全長330cm(尾は105cm、アシハバード博物館所蔵の剥製)。頭骨全長は385mmでカスピトラとしては最大の記録だが、幅が205mmというのは少々解せない。また牙は長さ70mm、ロシアのトラでは最大の牙だという(V. G. Heptner)。
 体重の記録は極少なく、カザフスタンのイリ川下流域で1891年に240kg以上という大物が知られているくらいだ。このトラの体長は284cm以上となっているが、全長かあるいは毛皮の測定だろうと V. G. Heptner(1992)は考えている。

雄:
体長(cm)尾長(cm)体重(kg)備 考
18198181バルハシ湖南岸、1930; A. A. Sludskii
217アラル海南岸(ウズベキスタン); Kuznetsov
224100フェルガナ(ウズベキスタン東部)、 1903; Berg

雌:
体長(cm)尾長(cm)体重(kg)備 考
158肩高78cm、Lenkoran(アゼルバイジャン); Dinnik
16086851924年にイランからモスクワ動物園に来た(1942年に没)。
16287Aleya 川流域(アルタイ)、; Spasskii
1657797タジキスタン、1950; Chernyshev
16595135タジキスタン、1950
17291132Biisk district(アルタイ)、1839
173110トランスコーカサス、剥製

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