日本で化石として発見される古代の動物の中で、もっとも有名なものはナウマンゾウだろう。北海道から九州までの各地、100ヵ所以上から多数の化石が発見されている。日本ではゾウの化石は多いが、それらの多くが歯や頭骨など一部の骨しか見つかっていないのに対し、ナウマンゾウは全身骨格がいくつか知られている点で特に際立っている。

●千葉県印旛沼(1966)
 約15万年前
 上野の国立科学博物館所蔵。
 若い雄。肩高220cm。頭骨はない。

●北海道広尾郡虫類村(1969)
 12万年ほど前
 忠類ナウマンゾウ記念館所蔵。
 推定50歳以上の雄(滋賀県)。
 肩高215cm(頭の高さ240cm)。
 やはり頭骨は見つかっていない。

●東京都日本橋浜町(1976)
 約15万年前
 高尾自然科学博物館所蔵。
 老齢の雌。肩高190cm。牙88cm。

●神奈川県藤沢市(1975,1980)
 千葉県立中央博物館所蔵
 最大の組立骨格。肩高270cm。

 1962年には長野県の野尻湖の底から数頭分のナウマンゾウの化石が見つかっている。生息年代は2〜3万年前、ナウマンゾウの化石でも最も新しい。
 日本橋や北海道のものは氷河時代のうちでは比較的温暖な間氷期にあたり、同じナウマンゾウでも寒い時代のものは大型だったかもしれない。野尻湖の化石の中には肩の高さ3m近くあったものもいたようである。また2.4mの牙も見つかっている。
 野尻湖から見つかっているナウマンゾウの化石は、何体分もの骨がバラバラで見つかり、まだ1頭分の骨全体がまとまっては出土していない。当時の人類が狩りをして解体したのではと考えられている(野尻湖ナウマンゾウ博物館)。

 野尻湖にナウマンゾウが生存していたのは、寒さの厳しいウルム氷期と推定されており、それを裏付けるように同じ所から厳寒のツンドラ地帯に棲んでいたオオツノジカの化石も多数見つかった。
 ナウマンゾウの牙がオオツノジカの角と一緒に発見されたといってもこれら2種の動物が一緒に棲んでいたわけではない。この場所で生活していた人類が捕獲したナウマンゾウやオオツノジカをここへ運んできて解体したからである。しかしそこの住人が出かけて運んでこられる地域、同じ地方にどちらも住んでいたことが確認できたわけだ。

ヤベオオツノジカ

 博物館の組立骨格は標本ごとに多少異なった姿をしている。頭と肩の高さ、背骨の湾曲など。これらの違いは、復元に際して想定したモデルの違い−要はインドゾウに似せたか、あるいはアフリカゾウをイメージしたか−に起因する。
 ナウマンゾウの歯や頭骨はアフリカゾウとも、インドゾウとも似通った特徴を持っている。1921年に浜名湖近くで、ナウマンゾウの歯の付いた下顎の化石が見つかった時、槇山次郎氏は Elephas namadicus naumanni と名付けた。インドで見つかっていたナルバタゾウの亜種と考えたわけだ。もっと以前に日本の化石ゾウを初めて研究したドイツのエドモント・ナウマン博士はナルバタゾウと同一であると鑑定していた。
 Elephas の属名を冠することはインドゾウに近いことになる。槇山氏がナウマンゾウを命名したのと同じ年に、東北大学の松本博士はナウマンゾウを Palaeoloxodon naumanni とした。臼歯の形からアフリカゾウに近いと考えてパレオロクソドンの属名を用いたのだった(犬塚規久、1989)。

パレオロクソドン
Palaeoloxodon antiquus

 パレオロクソドン属の代表種でナウマンゾウやナルバタゾウに近いとされる巨ゾウ。今のアフリカゾウよりも大きく、肩高4mに達した。ヨーロッパ中南部の更新世(7−55万年前)にすんでいた。学者によっては、Elephas antiquus の名が使われることも多い。
 暖かい時代のヨーロッパの地層から多数の化石が発掘されているが、全身骨格はあまり見つかっていない。体の割に頭は小さめで、脚は長かった。
 暖かい間氷期に森林や草原に住んでいたが、気候が寒冷化するに伴い、マンモスに取って代わられるように南下し、地中海地域で最後の時−ウルム氷期を迎えた。
 英名 Straight_tusked Elephant。やや上反りながらほとんど真っ直ぐな牙は最大3.9mに達した(University of Rome 所蔵)。ギネスブック(2002)では、動物の牙としては史上最も長く平均5mもあったとしているが、かなり大げさではないだろうか。

 長鼻類の進化の過程で最後に登場した真のゾウ(エレファス科)はアフリカ起源でほぼ500万年前の鮮新世には4つのグループに分岐していたと考えられている。アフリカゾウ(ロクソドンタ)、インドゾウ(エレファス)、パレオロクソドン、それにマンモスである。
 このうちアフリカゾウのグループは今日に至るまでアフリカだけに分布していたが、他の3つはユーラシアへ進出し、マンモスは北アメリカにまで到達している。
 エレファスは鮮新世後期に中近東からインドへと分布を広げ、現在のインドゾウにまで繋がっている。パレオロクソドンがユーラシアに現れたのは更新世に入ってからで、日本のナウマンゾウは2万年前まで生存していた。マンモスは鮮新世の終わり頃、300万年ほど前にヨーロッパに拡散した(大阪市立自然史博物館・日本のゾウ化石、1995)。

 ナウマンゾウの祖先はアンティクウスでもナルバタゾウでもなく、アフリカのレッキ Elephas recki であると犬塚規久氏は言う。アフリカ産のレッキをパレオロクソドン属の共通祖先と考えたのである。
 そしてパレオロクソドン属の中では原始的なレッキからナルバタゾウ、アンティクウス、トルクメンゾウなどと共にナウマンゾウも分化したという(日本の長鼻類化石、1991)。
 犬塚氏はレッキの学名も Palaeoloxodon recki としているが、はたして海外の学者から支持を得られるだろうか? パレオロクソドンの名前は日本の松本彦七郎氏が1924年に提唱したものである。それまでエレファス属に入れられていたアンティクウスやナルバタゾウと共にナウマンゾウもここに含めて新属を創設したのだった。
 1960年に「ソ連の古代ゾウ」をまとめたロシアの I. A. Dubrovo は中央アジアで発掘されたゾウの頭骨と臼歯の研究からトルクメンゾウの位置づけを検討し、パレオロクソドン属の有効性を主張している。
 1943年にトルクメニスタンで発見されたこのトルクメンゾウ Palaeoloxodon turkmenicus はあるいはアンティクウスよりも大きかったかもしれない。推定肩高は4.5mに達するといわれる(DonsMaps)。

 ケニヤの東トルカナで発見されたほぼ完全な骨格の復元。肩高が4.5m近くもあった。鮮新世後期から更新世(350−100万年前)のレッキ Elephas recki は頭が相対的に小さく、前脚が長く、牙は体の割に明らかに小さい(アラン・ターナー、2004)。

ニューヨーク自然史博物館所蔵の骨格。パレオロクソドン Palaeoloxodon antiquus (左、イタリア産。牙の長さ3m)とアフリカゾウ(右、ケニヤ産。牙の長さ2m)の比較。頭骨の長さ(高さ)ではアンティクウスの方が25%ほど大きい(Osborn, 1931)。

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