スピノサウルスとディメトロドン

 スピノサウルスの歯は他の肉食恐竜と異なりまっすぐで、内側にカーブしていない。そのため死体を食べていたのではないかと考えられたこともあった。最近になって顎の先端部分が見つかり、その横に広がった形から魚を食べていたと考えられるようになった。今のワニの顎にも似ているからだ。しかしワニは魚だけを食べているわけではないので断定はできない。
※ スピノサウルスの大きな帆は水中生活や魚捕りに向かないのではとの指摘をいただきました。顎の形がワニに似ているというだけで生態まで同様だったとするのは早計かもしれません。
 しかし大英博物館にはニジェールで新たに発見されたかなりまとまった全身骨格があり、全長17−18mもありそうだという。さらにその腹部からは肺魚の骨が多数見つかったので、魚を主食としていた可能性が高まってきた(金子隆一、2002)。

 白亜紀後期(9500万年前)のスピノサウルスは1915年にエジプトで見つかった。最も大きな肉食恐竜の一つであるが、ティランノサウルスなどに比べるともっと軽量だったかもしれない。全長は15mに達したが体重は4トンくらいと推定されている。トーマス・R・ホルツ(2007)は8tに達したとしているが。
 同じ時代の大型肉食恐竜と比べると、前脚は大きくがっちりしている。そのため一部の学者はスピノサウルスは四足歩行だったのではと提言している。
 ふだんは二足歩行でも時々は前脚を地に付けた姿勢をとったのかもしれない。しかしこの仲間の化石の多くが第2次大戦で失われており、全身の復元は進んでいない。

 目をひく大きな特徴は背中から上に伸びた長い棘(spine)だ。これは脊椎の一部が大きくなったものだが、これくらい大きくなると(最大1.8m)棘が皮膚の帆を持っていたに違いない。
 この帆は雄同士の威嚇に使われたかもしれないが、熱交換のためにあったとも考えられる。もし彼らが冷血動物だったら、朝、早く温まるためにじっと立って太陽を体に受けることにより、他の恐竜たちよりも早く活動を始められた。獲物となるほかの動物がまだ体温が上がらなくて十分に動けないうちに攻撃できたからだ。3億年前(古生代石炭紀)のディメトロドンの帆と同様な働きをしていた。

 スピノサウルスの大きな帆は傷つきやすいので戦いには不向きだったかもしれない。グレゴリー・ポール(1988)はスピノサウルスは巨体にもかかわらず、同じ地域に生息していた大型のアロサウルス類からの攻撃には弱かったという。同じ時代(白亜紀後期セノマニアン期)に北アフリカのバハリア累層にいたアロサウルス類とはカルカロドントサウルスか、バハリアサウルスだろうか(ポールはこれらをアロサウルス科に分類している)。


 現在でもアフリカや南米では雨季にできた大きな湖が乾季の進行と共に小さな水溜りとなり、そして最後に干上がるが、これに伴って無数の魚が残った小さなドロ池に群がり、鳥類等に簡単に捕食されている。また、肺魚は土中にもぐって乾季を遣り過そうとする。今日ほど進化した鳥類がいなかった白亜紀には、スピノサウルスがこの様な状態の魚を捕食したり、さらには土中の肺魚を掘り出して食べていたのかも知れない。なお、肺魚を食べていたのは、白亜紀には未だ進化した真骨魚が少なく、肺魚が比較的多くいたからかも知れない。
※ スピノサウルスが肺魚を食べた状況について、上田さん(読者の方)から以上のような考察をいただきました。

 スピノサウルスのような巨大な肉食恐竜が魚を食べていたことには少し違和感がある。しかし肺魚が腹部から見つかったことだけでなく、ワニに似た顎の形から偶然の機会だけに魚を食べていたとは考えにくくなっている。ただ、ワニのような水棲ではないから、魚への依存度はあまり高くなかったのではないだろうか。
 D. Dixon(2007)もスピノサウルスのように大きな恐竜が魚だけを食べていたとは考えられないとしている。顎や歯の形状が魚食に適しているのは確かでそれは狩猟には不向きだと認めながらも、大きな爪は殺しの武器となり得ただろうとし、そして陸生動物の骨にスピノサウルスの歯形が残っているものが見られるという。
 トーマス・R・ホルツ(2007)もスピノサウルス科の恐竜は現在の大型のワニ類と同じような食性だったと考えている。水の中ではカメや魚を食べ、陸上では草食性の恐竜などを襲ったのだろう。魚食恐竜として知られるバリオニクスの化石にも半分消化されたイグアノドン(幼体)の骨を含んでいるものがあった。

スコミムス Suchomimus tenerensis

 カルカロドントサウルスの頭骨発見で知られるシカゴ大学の Paul Sereno 率いる一行が1997年にニジェール中部のテネレ砂漠で見つけた。1億1000万年前(白亜紀前期)の大型肉食恐竜でスピノサウルス科の新種とされる。全長11m、腰の高さ3.7m (ScienceMag)。
 目に付く大きな特徴はワニ、それも魚食性のガビアルを想わせる長い頭骨(1.2m)だ。1983年にイギリスで発見されたバリオニクスにも似ているが、背にはスピノサウルスのような帆(高さ60cm)があった。肉食恐竜にしては大きめの前脚(1.2m)とその先の長い爪(30cm)は魚を捕まえるのにも他の恐竜を引き裂くのにも有効だっただろう(シカゴ大学)。
 2000年にやはりニジェールのテネレ砂漠で発掘された巨大ワニ・サルコスクスとは同じ時代の住人だった。スコミムスが魚を食べていたと推測されるのは無理からぬところだが、水辺で魚を狙っていたとしたら、両者の間に競合はなかったのだろうか。
 最近の研究では、バリオニクスもスコミムスと同様な帆を持っていたようだという。スコミムスはバリオニクスの1種とされるかもしれない(D. Dixon, 2007)。
シカゴ子供博物館

メガラプトル

 スピノサウルスはスピノサウルス科で最大、そして最後の種類と考えられているが、アルゼンチンの9000万年前の岩石中から見つかったメガラプトルはその名(Raptor)に反してスピノサウルス科の恐竜かもしれない。全長7m、高さ2.1m


白亜紀後期の獣脚類、メガラプトルはサルタサウルス(ティタノサウルス類)をおそったかもしれない。
 1998年に発表されたメガラプトルは、巨大なかぎ爪を持っており、多くの古生物学者は、ドロマエオサウルス科のラプトル類かもしれないと考えた。しかし最近になって発見された化石からかぎ爪は足ではなく、手に付いていたものとわかり、またその他の骨もメガラプトルがドロマエオサウルス科の恐竜ではないことを示していた(ホルツ、2007)。

 1989年にオーストラリアの Dinosaur Cove でメガラプトルに近いと思われる恐竜の化石が見つかっている。そのかぎ爪は約19cmで35cm以上もあるアルゼンチンのかぎ爪よりだいぶ小さい。メガラプトルの幼体もしくは小型の近縁種と見るべきだろう。
 さらに約1億年前のこの化石は当時ゴンドワナ大陸が南米とオーストラリアでまだつながっていたことを示している。これまでアフリカと南米がゴンドワナから分離したのは1億3800万年前とされていた(NationalGeographic)。


アクロカントサウルス

Acrocanthosaurus atokensis
 1950年、オクラホマの白亜紀前期の地層から見つかったアクロカントサウルスも30cmくらいの棘をもっていた。この棘はスピノサウルスの大きな帆ではなく、筋肉を脊椎に繋ぎとめるためだけにあったようだ。7体分の部分的な骨格が知られている。全長13mもある相当に大きな肉食恐竜だった。
 背に棘を持っていたので、アクロカントサウルスをスピノサウルスと共にここに紹介したが、分類上はアロサウルス科に入り、同じオクラホマで発見されたサウロファグナクスと関係があるかもしれない。
大恐竜帝国2009

 テキサスのパルキシーで見つかった有名な足跡化石は、アクロカントサウルスが巨大竜脚類サウロポセイドンを追いかけたものと考えられている。この足跡は、肉食恐竜が草食恐竜に襲いかかり、1歩だけ引きずられた後、振り落とされ、また追跡を続けたことを示している(ホルツ、2007)。またこの足跡化石から、アクロカントサウルスが群で狩りをしていたことも明らかになった(Dixon, 2007)。

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